「人生を懸けてプレー」するプロ意識の高さ…東京六大学3冠王が驚愕…共闘して痛感した“差”

2026.8.17

埼玉西武や横浜(現横浜DeNA)で活躍し、2018年限りで現役を引退した後藤武敏氏は、2001年に台湾で開催された「第34回IBAFワールドカップ」で日本代表としてプレーした。プロアマ合同チームとして注目され、当時は法政大3年生だった後藤氏は「すごくいい経験をさせていただいた大会でした」と振り返った。

写真提供=Full-Count

写真提供=Full-Count

2001年に「第34回IBAFワールドカップ」に出場した後藤武敏氏

 埼玉西武や横浜(現横浜DeNA)で活躍し、2018年限りで現役を引退した後藤武敏氏は、2001年に台湾で開催された「第34回IBAFワールドカップ」で日本代表としてプレーした。プロアマ合同チームとして注目され、当時は法政大3年生だった後藤氏は「すごくいい経験をさせていただいた大会でした」と振り返った。

 横浜高で松坂大輔投手らとともにプレーし、3年時には甲子園で春夏連覇を達成。大学進学後は東京六大学野球で2年生ながら3冠王を獲得するなど、リーグでも中心的な存在だっただけに、日本代表に選ばれたのも自然な流れだった。

 メンバーに選ばれた23選手のうち大学生は5人で、後にプロに進む久保裕也投手(東海大)、館山昌平投手(日本大)らがいた。社会人野球からは3人、高校生からも寺原隼人投手(日南学園高)が選ばれていた。プロからは若手だった井口資仁内野手(福岡ダイエー)、井端弘和内野手(中日)、高橋由伸外野手(読売)ら14人が参加していた。

「一番記憶に残っているのは、NPBの選手がいたからだと思うんですが、ホテルに集合した時に長嶋茂雄さんがいらっしゃって、僕らに激励の挨拶をしてくれたんです。僕は当時、大学生だったので『本物の長嶋さんだ!』と感動したのを覚えています」

衝撃を受けたプロ・高橋由伸の打撃練習「軽々と遠くまで」

 名門大学の中心選手だったとはいえ、チームが始動すると緊張と驚きの連続だった。「ただの学生だったので、ミーハーな気持ちというか、テレビで見ているプロの選手たちだ、と思っていました」。

 練習の段階から「圧倒されっぱなしでした」と振り返る。特に印象に残っていたのは、高橋選手のフリー打撃だったという。「スイングがめちゃめちゃ綺麗で、打ち損じがほぼないんです。それで打球が軽々と遠くまで飛んでいくんですよね。本当にすごいと思いました」。大学生とプロの違いを眼前で見せつけられた思いがした。

 プロ入りを目指す後藤氏にとっては、一流選手と野球で交流できる絶好機。だが、当初は「何か吸収してやろうという思いでいたんですけど、なんかオーラがあって話しかけづらかったですね」という。

 それでも、大会を通じて共に過ごす日々を重ねたことで距離は近づき、最終的には打撃論を交わせたことは貴重な時間となった。「由伸さんからバットをいただいたんですけど、すごく振りやすいし、打球の“弾き”もすごい。プロの選手はこんなにいい道具を使えるんだ、というのも自分のモチベーションになりました」と笑った。


写真提供=Full-Count

守備練習でのたった1球のトスで学んだプレーに対する責任感

 また、同世代で敦賀気比高から広島東洋に入団していた東出輝裕内野手の存在も大きかった。期間中は何度も食事をともにしたが、プロ選手としての意識の高さを痛感した。

「プロの世界は本当に厳しい、と。日常生活からすべて野球に繋げていました。広島の練習量は多いということも言っていましたが、それを毎日続けないと試合には出られない、という話も聞きました。同い年でしたが、プロ野球界に先に飛び込んだ東出の言葉には重みがありました」

 練習では日本ハムの中村隼人投手に“厳しさ”も教えられた。投内連携のノックの時だった。一塁でゴロをさばいた後藤氏が、ベースカバーに入った中村投手にトスをあげたのだが、走ってくる進路とは少しずれたポイントに投じてしまったという。

 すると、中村投手はそのボールを捕球することなくスルーした。アマチュア選手の送球が逸れたらプロ選手は捕ってくれないのか……。後藤氏はショックを受けたが、その直後に「ごめんね。怪我しちゃうかもしれないから、もう少しこっちに投げてくれる?」と中村投手。無理な体勢で捕球することで生じるリスクがあると教えられ、一つのプレーに対する責任の重さも痛感した。

アマチュアとしてプロ選手との共闘は「すごくいい経験」

 大会では控えにまわることが多かったが、キューバ戦では代打で出場機会がやってきた。「空振り三振しているんですが、あんなに曲がる球を初めてみました。当時のキューバは強かったですし、代表ではこんなにすごい選手がいるんだというのも知ることができました」。

 練習では穏やかだったプロ選手たちも試合に入れば目の色が変わり、「すごくピリピリしている雰囲気はありましたね」と集中力の強さを肌で感じた。大学生ながらプロとともに真剣勝負に臨んだ日々は、その後の野球人生にも大きな影響を与えた。

「自分の未熟さを感じました。自分も大学野球界では多少は注目されていましたけど、それで満足なんかしていたら、とてもじゃないけどプロで通用しないということが分かりました。練習での集中力、1打席にかける思い……まさに人生を懸けてプレーしているんじゃないか、と感じるほどでした。すごくいい経験をさせていただいた大会でした」

 この大会は、2000年のシドニーで生まれた流れもあってプロアマ合同チームで臨んだ数少ない世界大会の一つとなった。自身の経験も踏まえながら、後藤氏は「アマチュアの選手がプロ選手と触れ合う機会ってすごく大事だと思います。クリアすべき点は多々あるのかもしれませんが、野球界の発展のために、色々なことが実現できたらいいなと思います」と願いを込めた。

記事提供=Full-Count
写真提供=Full-Count

NEWS新着記事