51回目の出場で目指す62年ぶりの頂点…OB辻発彦氏と澤村幸明監督が語った日通野球と都市対抗
社会人野球の頂点を争う「第97回都市対抗野球大会」(以下、都市対抗)が8月26日から東京ドームで行われる。12年連続51回目の出場となる日本通運野球部(さいたま市)は、1964年以来62年ぶりの優勝に向けて何を磨き、どう戦っていこうとしているのか。澤村幸明監督と、OBで埼玉西武の監督も務めた辻発彦氏に「社会人野球」を存分に語ってもらった。
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12年連続51回目の出場で、62年ぶりの都市対抗優勝を目指す日本通運野球部
社会人野球の頂点を争う「第97回都市対抗野球大会」(以下、都市対抗)が8月26日から東京ドームで行われる。12年連続51回目の出場となる日本通運野球部(さいたま市)は、1964年以来62年ぶりの優勝に向けて何を磨き、どう戦っていこうとしているのか。澤村幸明監督と、OBで埼玉西武の監督も務めた辻発彦氏に「社会人野球」を存分に語ってもらった。
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辻氏は1983年ドラフト2位で西武に入団。首位打者1回、ゴールデン・グラブ賞8回の巧打堅守を武器に、プロで16年間プレーした。その前に7年間在籍したのが、当時の日本通運(日通)浦和野球部だ。
辻:僕は日通に拾ってもらったんですよ。テスト生でしたから、僕の始まりがまさにここなんです。足も速くない、細くてパワーもない選手で、テストじゃ打球がケージから出なかった。木製(のバット)じゃ飛ばないから「ちょっと金属で打ってみろ」って言われたくらい。でも、佐賀からせっかく出てきたので、とにかく3年は死に物狂いでやろうと決めていました。ダメだったら日通の事業所は全国にあるから、九州に帰れるだろうと思っていたんです。
その3年目、辻氏は三塁のレギュラーをつかみ、都市対抗にもスタメン出場する。
辻:大学に行くのと違って、社会人ではやっぱり練習できたんですよ。最初は捕手より足が遅かった(笑)。首を傾げながら500グラムのバーベルを持って、手をいっぱい振れば足が速くなるんじゃないかってブルペンで試したりね。62キロしかなかった体重が、プロに行く時は74キロくらい。10キロ以上増えていたんです。
一方、澤村監督は、熊本工業高から進んだ法政大で4年秋に東京六大学野球のベストナイン(二塁手)を獲得するなど活躍し、入社した。大学野球との違いはどこに感じたのだろうか。
澤村:練習でやることは変わらないんです。キャッチボール、ノック、バッティングと。ただ内容がもう全然。練習の濃さが違うのは感じましたね。細かいところまで突き詰めますし、プロに行きそうな選手もたくさんいますし。そして量も、全然違いました。
辻:選手の意識も、今とはちょっと違ったかもしれません。今は会社に行く時間が短くなっていると聞いているんだけど、僕らはほとんど会社に行ってましたからね。朝「おはようございます」って行って、午後は練習があるので昼になったら「失礼します」って帰るんです。それで同じように給料を頂けるわけじゃないですか。これは結構プレッシャーですよ。だから最低限、都市対抗に出ることが野球部の予算達成だと思っていました。
澤村:私が入社した時も会社に行くことは多かったです。ただ、最近では会社が理解してくださって、1日練習という期間が長い。なので、私は結構プレッシャーがあるんですけど、今の選手たちはひょっとしたら、都市対抗に出られなかったら申し訳ないという感覚は昔に比べると薄いかもしれませんね。

歯磨きに見た都市対抗予選のプレッシャー…骨が折れても立ちたい舞台
辻:僕は与野の倉庫で勤務していたので、荷物の仕分けとか、重量の計算とか、集荷の依頼とか、仕事は何か見つけてやってました。何もない時は掃除したりね。もう何かしなきゃいけないと思っていたので。それで、都市対抗にも7年連続で出られた。良かったんですけど、先輩たちを見ていたら、予選のプレッシャーはすごいんだろうなと思っていましたよ。朝、歯を磨いていても皆「オエーッ」って言ってましたからね。
澤村:私も13年間現役でやらせていただいて、うち2年は予選で負けて、他のチームから補強選手として出たんです。でもその時、残った選手はもう死ぬような練習をしているんです。まさに今の時期ですね。怪我してもいいっていうような量をやるんですよ。都市対抗に出られなかった以上、次に向けて死に物狂いというところが出てこないといけないと思っているので。そういう練習をしたくないと思ってやってましたね。
辻氏は日本通運に在籍した7年間、全て予選を勝ち抜き都市対抗に進出している。1981年には8強、1983年には4強まで勝ち上がった。当時は屋外の後楽園球場が舞台だった。
辻:大昭和製紙と、ナイターで12時くらいまで延長をやって引き分け。翌日またすぐに再試合でしんどかったのは覚えていますね(1979年1回戦)。あと「何か痛いな」と思ってプレーしていたら、いつの間にかあばら骨にヒビが入っていたこともあった。仕方がないからテーピングして出たんだけど、三塁から投げるのも痛くてね(苦笑)。でも、その時にホームランを打った。やっぱりみんな、痛いところ抱えながらやってました。それくらい大切な舞台なんです。
澤村:私も大会1週間前くらいのオープン戦で攝津(正=元福岡ソフトバンク、JR東日本東北)と当たったんです。送りバントにいったらボールが顔の方に来て、ボールとバットで指を挟んでしまったことがありました(笑)。それでも都市対抗ではショートを守りましたね。人差し指はもう死んでたんですけど、中指の腹で押して投げていました。チェンジアップみたいなボールでしたけど。
辻:今は日通にもプロ野球に行きたいと目的を持って入ってくる選手が多いと話を聞きます。都市対抗にはスカウトの目もあるじゃないですか。そう考えると僕がプロに行けたのは、本当に運が良かったんですよ。電電関東(現NTT東日本)から補強選手が来たんですが、サードしか守れないという話で、僕がその試合だけセカンドをやったんです(1982年)。
澤村:え? その時だけなんですか?
辻:そう。グローブも借りて、1試合だけ後楽園で出た。その時に、投手の頭の上、ちょっと二塁寄りに上がった打球を前に突っ込んでアウトにしたんです。このプレーで、ライオンズは「辻はセカンドができる」ってなったみたいで。スカウトにも「山崎(裕之)の後釜は辻だ」って殺し文句を言われてね、プロに入ったんです。
澤村:スカウトは選手がどこをできるかを見ていると思うんですよ。それはすごい。
辻:本当にワンチャンス。だから僕はもう、全部運なんです(笑)。ただ当時の僕らは、会社の社員としてまずやるんだという感覚があった。今はプロ野球に行けないと、会社も辞めてしまう選手もいると聞くんだけど。

辻氏がもし社会人野球のチームを率いたら…選手に求めること
澤村:でも、半分くらいは残って、一生懸命仕事をしていますよ。私としてはやはり、野球を通じて人間的に成長したものを会社に還元してほしいという思いはあります。今は転職にすごく前向きな時代。再雇用制度もありますし、戻ってきたいという選手がいれば戻ってこられるようにもなっています。社員の皆さんに応援していただいたからこそ、野球を終えた時にはしっかり仕事をしてほしいなと思っています。
辻:すごく理解があるよね。本当にいい会社だと思う。僕らOBも誇りですよ。ワールド・ベースボール・クラシックでも、メジャーの球場でもたくさん「NIPPON EXPRESS」って広告が出てくるじゃないですか。すごいなと思っています。
西武とヤクルトで10回日本シリーズに出場し、7度日本一に輝いた辻氏。短期決戦を勝ち抜けるチームはどこに特徴があるのだろうか。
辻:もちろん選手の能力はあると思うんだけど、今のパ・リーグを見ても福岡ソフトバンクホークスがやっぱり強い。なぜかといえば経験ですよ。プレッシャーのかかる試合にたくさん出ているかどうかです。安全策のプレーはみんなできます。でも、そこで冒険して、それでも自然とプレーできるかどうか。成功体験の差はやっぱり強いんですよ。
澤村:やっぱり初戦の戦い方だと思います。みんな硬くなる中で、監督としていかにうまく入れるようにするかを一番考えています。あと、選手みんながポイントだと分かっている試合で、いかに勝ちきれるか。近年はそういう試合で、私たちが負けたチームが優勝していることが多いんですよ。辻さん、もし社会人の監督をやられるとしたら、何を大切にしますか?
辻:プロは日本シリーズでも、その1戦で終わるわけじゃない。全く違うんです。そこで一番大切だと思うのは“自分作り”かな。自分がどういう形、タイプで勝負するのか決めないといけない。打てなくても「俺はもう守備でいくんだ」とか「足のスペシャリストでいくんだ」っていうのも1つの形なんです。自分をいかにアピールして、居場所をつかむかという世界だと思うんです。都市対抗では、自分が打つ打たないじゃなく、いかにチームが勝つためにプレーしているかが出る。己を知り、勝つために絶対にこういうプレーをするんだという“形”を作っておいてほしいな。
日本通運野球部の初戦は8月31日。相手はこちらも12年連続出場となるNTT西日本だ。
辻:俺は勝つところを見たい。あれだけの応援もありますからね。頼みますよ。
澤村:大人が必死にやる、一生懸命やる姿を見てもらいたいという気持ちはあります。プロとはまた違う“出し切り”の世界なんで。9回出し切りでいきたいと思います。応援よろしくお願いします!
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