山本由伸&菊池雄星に受けた衝撃 楽天・藤平尚真が過ごしたWBCでの刺激的な1か月「上を目指したい」

2026.7.13

東北楽天の藤平尚真投手はプロ10年目を迎えた今季、チームの守護神として最終回のマウンドに君臨する。2024年に救援へ転向し、同年11月にトップチームでは初めて野球日本代表「侍ジャパン」に選出されて「第3回WBSCプレミア12」に出場。2026年3月には「2026 WORLD BASEBALL CLASSIC™」(WBC)で世界の打者の前に立ちはだかった。アンダー世代では“常連”だった日の丸だが、プロでは回り道の末にたどり着いた場所だった。

写真提供=Full-Count

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2024年に救援へ転向して覚醒…同年プレミア12でトップチーム初選出

 東北楽天の藤平尚真投手はプロ10年目を迎えた今季、チームの守護神として最終回のマウンドに君臨する。2024年に救援へ転向し、同年11月にトップチームでは初めて野球日本代表「侍ジャパン」に選出されて「第3回WBSCプレミア12」に出場。2026年3月には「2026 WORLD BASEBALL CLASSIC™」(WBC)で世界の打者の前に立ちはだかった。アンダー世代では“常連”だった日の丸だが、プロでは回り道の末にたどり着いた場所だった。

 2024年、今江敏晃監督の打診を受けて救援に転向すると、47試合に登板して防御率1.75、20ホールド、1セーブと活躍し、くすぶっていた才能を開花させた。そして待っていた代表招集の報せ。「僕の中では、そこ(プレミア12への出場)がなかったら、今これだけできていないかなと思うくらい大きな大会になりました」という転機となった。

 強化試合と1次ラウンド3試合で9者連続三振の離れ業を見せると、主にセットアッパーとしてチーム最多の6試合に登板。計6イニングで4安打無失点、12奪三振と、その名を轟かせた。

「自分ができることを理解して試合に臨めていました。僕はストライクゾーンの中で勝負できることが自分の強みだと思っていましたし、ちょっと独特なフォームで投げるところも、強化試合で投げた時に『外国人打者に対して使えるな』と感じました。使えるものと、無理して自分のできないことをやらなかったことが良かったかなと思います」

 9者連続三振を振り返り「自分の新しい姿じゃないですけど、これくらいできるんだっていう嬉しさがありました」と目尻を下げる。また、大勢投手(読売)が連投していたことによりクローザーを任されたキューバ戦では「ピンチを招きましたけど、しっかり粘れたところは自信になりました」。1点リードの9回に1死満塁としながらも、無失点に抑えたことに胸を張った。

WBCは追加招集も「『よし、やっと戦える』という気持ちが大きかった」

 この活躍で周囲の期待は一気に高まったが、右腕自身は地に足が付いていた。1年半後に迫っていたWBCについては「全くまだそこまで考えられていなかったです」というのが本音だった。一方で、井端弘和監督から掛けられた「最終的に決定したのは俺だから、やりたいようにやってくれ」との言葉は胸に残っており、「この監督の下だったら、もしかしたら自分がもっと頑張ればWBCに出られるのでは」と感じていたのもまた事実だった。

 しかし、2026年1月に発表されたWBC代表に「藤平尚真」の名前はなかった。それでもMLB球でのキャッチボールを続け、気持ちを高めていたのだという。

「なんか選ばれるような予感はずっとしていたんです。何かあった時は絶対に呼ばれそうだなって。急にキャンプに入ることにならないように、モチベーションを高めながらやっていました。だから、追加招集でしたけどそんなに驚きはなく、『よし、やっと戦える』という気持ちが大きかったです」

 まさに予感的中。代替選手としてメンバー入りを果たし、宮崎春季キャンプから参加した。メジャー組も名を連ね、連日ファンが殺到。「これだけの人が集まることはなかったので凄さを感じましたし、優勝して当たり前の雰囲気なんだろうなという、プレッシャーじゃないですけど、そういうのもありました」と明かした。


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初登板は2死満塁、冷静に火消し「バタバタしないのは分かっていた」

 出番は1次ラウンド初戦にいきなりやってきた。チャイニーズ・タイペイ戦、13-0の大量リードではあったものの、3回2死満塁で山本由伸投手(ロサンゼルス・ドジャース)の後を受けてマウンドへ上がった。「そういう場面で行ってもバタバタしない、というのは自分でも分かっていたので」。言葉通り、空振り三振でピンチを脱した。

 準々決勝のベネズエラ戦では4-4の5回2死から登板。「自分が野球をやってきた中で一番凄い歓声と熱量のマウンドでした」と振り返るが、「怖さもありましたけど楽しさというか、こういうところで活躍する選手がたくさんいるんだと思って野球ができました」と崩れないのが藤平投手の強みだ。捕邪飛に打ち取り、胸を張ってベンチに戻った。

 自身は好投を見せたが、チームはこの試合で敗れて準々決勝敗退。「あれだけのメンバーが集まって、優勝するだろうと誰もが思っていましたし、感じるものはたくさんありました。もっと頑張らないといけないし、もっとチャンスをもらって戦いに行きたいと思いました」と重く受け止め、糧とした。

 代表の一員として過ごした約1か月の日々は、色濃く記憶に刻まれている。山本投手や菊池雄星投手(ロサンゼルス・エンゼルス)の試合の入り方には衝撃を受けた。「いい意味で近寄りがたいというか、黙々と、これだけやって打たれたら後悔ないくらいの準備をしていました。僕らはこれ以上のことをやらないと追いつけないと考えたら、凄く刺激になりましたね」。今季に挑むにあたって、その経験を活かしている。

「本当に、これから野球人生を続けていく中で凄く大きな1か月になりました。もっと上の世界を目指したいなと改めて感じさせられた大会になったので、こういう世界を見られて、自分のモチベーションや準備の仕方に直結できるようになって良かったと思います」

「2023年に入る時に、本当にダメだったら野球を辞めるって…」

 日本代表で見せた華々しい活躍。しかし、そこに至るまでは簡単な道のりではなかった。U-15、U-18で日本代表を経験するなど常に注目を浴び、横浜高から2016年のドラフト1位で東北楽天に入団。ルーキーイヤーから3勝をマークするなど2年目までに計7勝を挙げたが、3年目以降は4シーズンで計3勝にとどまり、苦悩が続いた。実はある決断までしていたという。

「プロに入って最初は順調でしたが、その後あまり順調ではなくて……。2023年に入る時に『本当にダメだったら野球を辞める』と自分でも決めていて。背番号も変わっていたし(入団時の「19」から2022年に「46」へ)、もう本当に最後の年かもって。でも、その辞めるという覚悟ができてからですかね。怖いものがなくなって、自分が後悔しないように最後の年を送りたいという気持ちでできているのが一番強いんだと思います」

 確かに藤平投手を見ていると、強い“覚悟”が伝わってくるようだ。一発勝負が多い国際大会での堂々たる姿もそう。挫折を乗り越えたからこそ、今は穏やかに語ることができる。

「代表クラスで野球を辞めることを本気で考えた人って、自分が見ている中ではいないと思うので。辞めてはいないですけど、そこまでいったというのは、正直もう、何も怖いことはないんです」

 紆余曲折あったプロ野球人生。誰よりも自分の足元を見つめ、落ち着いた口調で視線を上げる。

「(WBCには)年齢的にも出られてあと1回だとは思うので、もう1回出たいという気持ちはありますし、次こそは世界一を経験したい気持ちはあります。それまでしっかり自分を磨いて、そこに呼んでもらえるだけのパフォーマンスをしっかり発揮していけたらいいかなと思っています」

 WBCへ“忘れ物”を取りに行くためにも、27歳の挑戦は続いていく。

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