侍ジャパン井端弘和監督を支える“盟友”と“後輩” 固い信頼で目指す世界の頂点

2023.12.24

井端弘和監督が率いる野球日本代表「侍ジャパン」は、11月の「カーネクスト アジアプロ野球チャンピオンシップ2023」(アジチャン)で全勝優勝を成し遂げ、24年11月には「ラグザスpresents 第3回WBSCプレミア12」(プレミア12)に挑む。48歳の井端監督を支えるコーチ陣には、同い年の盟友である金子誠ヘッドコーチ、9歳下で中日時代に同僚だった吉見一起投手コーチが含まれている。

写真提供=Full-Count

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同い年の金子ヘッドコーチ、就任要請にまさかの「嫌だ」

 井端弘和監督が率いる野球日本代表「侍ジャパン」は、11月の「カーネクスト アジアプロ野球チャンピオンシップ2023」(アジチャン)で全勝優勝を成し遂げ、24年11月には「ラグザスpresents 第3回WBSCプレミア12」(プレミア12)に挑む。48歳の井端監督を支えるコーチ陣には、同い年の盟友である金子誠ヘッドコーチ、9歳下で中日時代に同僚だった吉見一起投手コーチが含まれている。

 井端監督の就任が発表されたのは、アジチャン開幕が43日後に迫った10月4日だった。その井端監督から「手伝ってくれないか」と電話で就任要請を受けたという金子ヘッドコーチ。だが、最初の答えはなんと「嫌だ」だった。

 準備期間が短すぎると感じたこと、所属する千葉ロッテの戦略コーチとの掛け持ちになることから「そんなことでいいのか」と自問自答したことなど、理由はいくつかあったという。しかし同時に、最終的には受諾するであろう予感もあった。

 稲葉篤紀監督時代にも侍ジャパンでコーチを務めていたが、この時も北海道日本ハムとの掛け持ちで、最初の打診には首を横に振っていた。「最近は『嫌だ』と言ってから『分かりました』となることが続いていますね。今回も『ちょっと考えさせて』という意味の『嫌だ』でした」と胸の内を明かす。

守備の名手2人が共有する思い「いや、守備に目をつぶっては…」

 同じ1975年生まれの井端監督とは、アマチュア時代もプロ入り後も「会えば少し話をする程度」の仲だった。お互いの野球観を語り合い、意気投合するようになったのは、ともに“稲葉ジャパン”でコーチを務めた時だ。

 2人の共通点は「バッティングがあまり好きでないところ」と金子ヘッドコーチは苦笑する。井端監督は現役時代に遊撃手として7度、金子ヘッドも二塁手として2度、遊撃手として1度、ゴールデン・グラブ賞に輝いた守備の名手だ。打撃では巧打でいぶし銀の働きをしていたが、豪快な長打を連発するタイプではなかった。

 金子ヘッドコーチは「最近は守備を疎かにしたまま、上のカテゴリーに来ている選手が多いと感じています。小学生世代の侍ジャパンU-12代表監督を務めた井端監督も多分、そう感じていると思います。守備には目をつぶり、バットを振れる子ばかりがステップアップしてくる印象です」と指摘。「いや、守備に目をつぶってはいけないでしょ、と思っているところは2人とも同じです」と笑う。

 打撃が好きでない2人が首脳陣のトップにいる影響だったのか、先のアジチャンでは侍ジャパンに打撃コーチがいなかった。監督+コーチ5人は誰も「打撃担当」の肩書を持っていなかった。金子ヘッドコーチは「あの短期間で新しいことを教えたところで、効果はあまり期待できない。打撃投手役として投げたり、頭やデータを使って試合の準備をしたりすることは、僕らにもできますから」と説明する。

「井端監督がやろうとしていることのお手伝いをすること、独りぼっちにしないことが、僕の仕事だと思っています」。どこか似ている2人の信頼関係は、すでに強固に構築されている。


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現役時代に何度も助けられた好守「考えて野球をやっているんだよ、俺は」

 一方、現役時代は中日のエースとして活躍した吉見コーチは、遊撃手だった井端監督の好守に助けられた。野手の間を抜かれたと思った打球を、いつの間にか守備位置を変えていた井端監督が難なく捌いたことが何度もあったという。「データに自分の経験をプラスして、絶妙のポジショニングをされていました。僕が驚いて『どうしてそこにいたんですか?』と聞くと、『考えて野球をやっているんだよ、俺は』と言われました。その頃から僕の野球を見る目が変わりました」と振り返る。

 2020年限りで現役を引退後、解説者として球場で井端監督と顔を合わせる機会が増えた。「野球の話をする時は誰よりも勉強になりましたし、誰よりも緊張しました。適当な返事はできませんから」と打ち明ける。いつしか「井端さんがNPBのどこかの球団で監督になる時には(コーチとして)誘ってもらえるように勉強しておきたいなと、なんとなく考えるようになっていました」。まさかそれが侍ジャパンになるとは、想像もできなかった。

 現在は、古巣でもあるトヨタ自動車硬式野球部のテクニカルアドバイザーを務めているが、NPB球団でのコーチ経験はない。侍ジャパンU-12代表では井端監督と2年間コンビを組み、投手コーチとして支えた。

尊敬する先輩からのオファーに「不安は1割。9割以上は…」

 トップチームの投手コーチ就任要請には当初、「無理だと思いました。何しろ経験がありませんから。断るとか承諾するとかではなく『無理でしょ』という感じでした」と率直に明かす。「どうして僕を抜擢してくださったのかは分かりません。自分でいいのか、他に適任者がいるのではないか、と不安がありました」とも言う。それでも尊敬する先輩からのオファーだけに「不安は1割。9割以上は嬉しかったです」と本音を漏らす。

 アジチャンでは、ピンチでマウンドに駆け寄るタイミング、リリーフ陣に肩を作らせる順番など、慣れない判断を迫られた。井端監督からは「基本的にお前に任せる」と言われていたというが、「侍ジャパンでの経験が豊富な村田(善則バッテリーコーチ)さんに何度か相談して、アドバイスをいただきました」と感謝する。最終的に侍ジャパン投手陣は、大会期間中4試合で計4失点と抜群の安定感を発揮し、優勝の大きな要因となった。

 2024年は11月の第3回プレミア12に先駆け、3月に「カーネクスト 侍ジャパンシリーズ2024 日本vs欧州代表」が2試合開催される。井端監督、そして固い信頼で結ばれたコーチ陣でチームを導き、世界一に君臨したい。

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