松尾汐恩が驚いた海外投手の「日本と違った軌道」 プロでも日の丸を「常に目指して」
横浜DeNAの2年目・松尾汐恩捕手は、2022年夏に「第30回 WBSC U-18ベースボールワールドカップ」(以下U-18W杯)に野球日本代表「侍ジャパン」U-18代表の一員として出場した。ベストナインに選出されるなど、チームを牽引して銅メダルを獲得。大きな経験を手にドラフト1位で進んだプロの世界でも、“日の丸”を目指す思いは変わらない。
写真提供=Full-Count
2022年夏U-18W杯出場「うれしい気持ちと代表として行かせてもらえる意識」
横浜DeNAの2年目・松尾汐恩捕手は、2022年夏に「第30回 WBSC U-18ベースボールワールドカップ」(以下U-18W杯)に野球日本代表「侍ジャパン」U-18代表の一員として出場した。ベストナインに選出されるなど、チームを牽引して銅メダルを獲得。大きな経験を手にドラフト1位で進んだプロの世界でも、“日の丸”を目指す思いは変わらない。
内野手として入学した大阪桐蔭高で、1年秋から捕手に転向。2年夏には正捕手となり、3年春の第94回選抜高等学校野球大会では5試合で打率.353、2本塁打、4打点と活躍し、優勝に貢献した。その夏の第104回全国高等学校野球選手権大会は準々決勝敗退。甲子園での春夏連覇を逃したが、次の目標はU-18代表での“世界一”となった。
「U-18に選ばれて率直にうれしい気持ちと、全国の高校生の代表として行かせてもらえるという意識がともに溢れ出てきた感じでした」と代表選出の瞬間を振り返る。幼少期から憧れ、高校入学後は目標としていた日の丸に、背筋は伸びた。
最終戦となった3位決定戦の相手・韓国とはスーパーラウンド初戦で激突し、0-8で敗れていた。「1回負けた相手とまたやるということで、チームにピリついた空気もあった。その中でどうにかメダルを持って帰ろうとやった試合で、自分の中では一番印象に残っています」と振り返る。チームは最後の力を振り絞り、6-2で3位を勝ち取った。
刺激になるチームメートたち「活躍を見て自分も負けられないなと」
自身は木製バットにも対応し、打率.321(28打数9安打)、6打点をマークしただけでなく盗塁阻止も決めて、ベストナインを獲得。「最初はなかなか自分のスイングができないところが多かったですが、常に練習からフルスイングを意識して強く振り、段々慣れが出てきたかなと思います」と頷いた。
海外の選手との対戦には驚きも多かったという。
「まずは球速の違い。それ以上に球質の違い。日本とまた違った軌道を感じました。日本で言ったらきれいな回転の真っ直ぐが多かったが、外国の投手はツーシームだったり、真っスラしたり、日本とは違った球の軌道がありました。しっかりボールを見て打とうということを意識しました」
米フロリダ州に滞在したが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で外出に制限があった。ホテルで過ごす時間も多く、仲のいいメンバーでプールに行くなどリラックスする方法は限られた。すると、同じホテルに韓国代表メンバーも泊まっていたことで自然と仲良くなり、「言葉は喋れないですけどコミュニケーションを取ったりして、何人かインスタグラムを交換しました」と思わぬ出会いもあったという。
当時のチームメートは、プロや大学、社会人と様々なステージでそれぞれの道を進む。「あまりニュースとかは見ない方で……」というものの、「色々と活躍しているのを見て、自分も負けられないなと。みんな頑張っているので自分も頑張ろうと、元気や勇気をもらっています」と刺激を受ける存在となっている。
実家に泊まりにきた浅野は同じドラフト1位で読売へ「今も結構連絡くれる」
特に浅野翔吾外野手(高松商業高)は、U-18W杯後に実家に泊まりにくるほど仲が良かった。自身と同じドラフト1位で読売に進み、ルーキーイヤーから24試合に出場してプロ初本塁打も放った。1年目は1軍出場なしだった松尾選手は「なんか気が合うというか仲良くなって、今も結構連絡をくれるので見ています」と切磋琢磨を誓う。
U-18W杯での経験は、プロの舞台に進む前に多くの気付きをもたらした。
「ああやって慣れない環境の中で過ごす生活面であったり、そこで得られた野球観は、今に生きているなというのは感じました。監督が変われば野球も変わる。僕らは他のチームに比べて力もないし、その中で勝つためにはスモールベースボールをやっていきながら点を重ねていきましょう、という野球をやった。こういう戦い方もあるんだなと。コツコツできるチームが、力は及ばないけど勝てるんだと感じさせてもらいました。大阪桐蔭時代は経験していなかった野球でした」
かけがえのない経験を胸に、まずはチームの正捕手を奪い取るために汗を流す毎日。目指すのは、再び日の丸のユニホームを着ることだ。
「まだまだ実力不足なんですけど、やるからにはそこ(侍ジャパン)を目指してやっていきたいと思います。常に目指しながら練習も頑張っていきたいです」
19歳の未来は、明るく広がっている。
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