2023年の世界一直後…中村悠平がダルビッシュから掛けられた言葉 大谷翔平とのラストは「孫の孫まで」

2026.6.22

東京ヤクルトの中村悠平捕手は、今年3月に行われた2026 WORLD BASEBALL CLASSIC™(WBC)で2大会連続の日本代表「侍ジャパン」入りを果たした。初めて日の丸を背負った2010年から実に16年にわたり、国を代表しての戦いに身を投じる。「野球人として最も光栄なこと」と話す舞台で、栄光も挫折も味わいながら、成長を続けてきた。

写真提供=Full-Count

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2010年「第17回IBAFインターコンチネンタルカップ」で初の代表入り

 東京ヤクルトの中村悠平捕手は、今年3月に行われた2026 WORLD BASEBALL CLASSIC™(WBC)で2大会連続の日本代表「侍ジャパン」入りを果たした。初めて日の丸を背負った2010年から実に16年にわたり、国を代表しての戦いに身を投じる。「野球人として最も光栄なこと」と話す舞台で、栄光も挫折も味わいながら、成長を続けてきた。

 2008年ドラフト3位で福井商業高から入団し、ルーキーイヤーの2009年3月に侍ジャパンが第2回WBCで2大会連続世界一になった光景を目に焼き付けた。「同じプロに入った身として、そこは僕が目指すべきところだなって思ったのを覚えています」。まだおぼろげながら、行くことを誓った舞台だった。

 アマチュア時代は縁がなかった代表に初めて選ばれたのは、2010年に行われた「第17回IBAFインターコンチネンタルカップ」だった。25歳以下のプロで編成されたチームだったが「初めての世界大会で、すごく日の丸を背負う重みを感じました」と背筋が伸びた。

 日本代表は予選リーグB組を3連勝も、同最終戦だったイタリア戦に0-3で敗れ、最終的には5位に終わった。「米国とかキューバに重きを置いていて、正直(イタリアを)ちょっとなめていたというか、ヨーロッパでしょうっていうのがあって……。だから世界って広いな、侮れないな、と。気を抜いていたわけではないですけど、そういうのはダメだっていうのは、この時、痛感しました」と“失敗”から貴重な教訓を得る機会となった。

 東京ヤクルトでは、2012年に91試合出場と頭角を現した。2015年にはキャリアハイとなる136試合に出場して、チームは14年ぶりのリーグ優勝。ベストナインやゴールデングラブ賞に輝いた。日本シリーズこそ敗れたが、バラ色のシーズンの最後に待っていたのが、11月に行われた「第1回WBSCプレミア12」での初めてのトップチーム入りだった。

遠ざかった8年間「日本代表の試合も、テレビとかつけたくなくて…」

 しかし、現実は厳しかった。

「『よし』と思って行ったんですけど、なかなか試合に出られなくて。ベストナインとか獲らせてもらっても、まだまだだな、と痛感しました。途中から出た試合(ベネズエラ戦)も打たれてしまって(最終的には9回サヨナラ勝ち)、実力が足りないんだなと思いました」

 捕手陣は経験豊富な嶋基宏選手(東北楽天)、炭谷銀仁朗選手(埼玉西武)がいた。たとえ試合途中からマスクを被っても、まるで最初から守っているかのように落ち着いて試合に入っていった。「自分はふわふわしてしまっていて、だから悔しくて、新たな目標ができたというか、トップチームでレギュラーを張れるくらいの実力をつけないといけない、と改めて思いました」と心に火がついた。

 その後はチームでも正捕手に君臨するが、代表から声が掛かることはなかった。「日本代表の試合も、テレビとかあまりつけたくなくて……」と悔しさをあらわにする。それでも2021年、2022年とチームの中心選手としてセ・リーグ制覇を果たすと、2023年3月の第5回WBCで、実に8年ぶりとなる日の丸のユニホームに袖を通すことになった。

 メンバーにはダルビッシュ有投手(サンディエゴ・パドレス)、大谷翔平選手(ロサンゼルス・ドジャース)らメジャーリーガーも名を連ねた。「一緒に野球ができるのは正直驚いたし、『来てくれるんだ』って。それだけ大きな大会だなと感じました」と自然と胸は踊った。

 この大会で初めて出場したのは、スタメンマスクを被った1次ラウンド・プールB第2戦の韓国戦だった。ブルペンで先発・ダルビッシュ投手との最終調整を終えベンチに戻った時、体に異変が起きた。


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日韓戦前に震え止まらず「あの試合は自分にとって特別でしたね」

「震えが止まらなくて。試合開始まで5分くらい、タオルをギュッと握りしめながら、手汗を拭いていました。そんなことは初めてです。野球に限らずですけど、スポーツにおける日韓戦ってやはり特別。周囲も騒ぎ立てますし(笑)。そんな負けられないという思いの中で、あの試合はちょっと自分にとって特別でしたね」

 ダルビッシュ投手は梁義智(ヤン・ウィジ)選手に一発を浴びるなど3回3失点(自責2)も、チームは13-4で逆転勝ち。中村選手とダルビッシュ投手は決勝の米国戦でも8回にバッテリーを組んだが、カイル・シュワーバー外野手に右中間ソロを浴びた。

「(世界一になって)シャンパンファイト中に、ダルさんから『中村くん、良かったね! 見事に俺ら組んだ時にホームラン打たれたね、2回も』って言われて『すみません! へへへ』って」。頂点に輝いたからこその、微笑ましい後日談も明かした。

 そして何よりも、9回に大谷選手をリードし、マイク・トラウト外野手を空振り三振に仕留めてウイニングボールを掴んだ。伝説のシーンに「一生自慢できますし、一生語り継いでくれるものだと思っています。孫の孫くらいまで。WBCという大会がある限り、あの映像も使われると思いますし。大谷さんが投げてくれたからこそ、あのシーンが使われると思うので感謝ですよ」と笑った。

 世界一の反響も大きかった。捕手という特殊なポジションで、報われた瞬間。「若い時から悔しい思いばかりしてきた中で、初めて称賛の嵐というか、いろいろな祝福がありました。めげずにやってきてよかった、諦めず努力してきてよかったなって」。歓喜の時を思い出すかのように、感慨に浸った。

2026年は野手最年長「僕が伝えていきたい。一致団結したチームを」

 大会連覇を目指す2026年は、野手最年長となった。捕手陣でいえば若月健矢選手(オリックス)、坂本誠志郎選手(阪神)と国際大会の経験が豊富とはいえないメンバーだった。「僕も前回、年下ですけど甲斐(拓也)選手に教えてもらうことが多かったので、僕も伝えていきたいと思っていました。あとは一致団結したチームジャパンをキャンプから作っていきたいと参加させていただきました」と自身の役割を口にする。

 チーム一丸で戦ったが、結果は過去ワーストの準々決勝敗退に終わった。悔しさとともに味わったのは、“世界の変化”だった。

「全勝できた予選もそうですけど、確実に『打倒日本』というのを強く感じました。簡単には勝てないなと思って。マイアミには行けましたけど、やはりそう簡単ではなかったですね。ベネズエラも初回から目の色を変えてというか、相手の感じは全然違いました。この3年間で他国はすごく力をつけたということを、ベンチから見ていても感じましたね」

 プロ18年目を迎えた35歳は「侍ジャパンがあったからこそ、日々精進、努力し続けてくることができました。これからも代表がある限り、自分の可能性を信じてやっていきたいなと思います。トップチームで優勝も負けも経験できたことはかけがえのない財産ですし、そこでプレーできたことは選ばれた人しかできないことなので自分自身を褒めてあげたい気持ちもあります」と力を込める。

 正捕手としてリーグ優勝3度、日本一1度の栄光の裏には、常に「日本代表」の存在があった。

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写真提供=Getty Images, Full-Count

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