U-23W杯は「野球人生の転換点」 三菱重工East・武田健吾が感謝する貴重な経験

2026.4.20

2016年10月に開催された「第1回WBSC U-23ワールドカップ」(以下、U-23W杯)。メキシコ・モンテレイが舞台となった大会で野球日本代表「侍ジャパン」U-23代表は見事、初代王者に輝いた。この時、不動の1番打者として打率.455、出塁率.526の活躍を見せ、攻撃の起点となったのが、武田健吾外野手(当時オリックス)だった。現在は社会人野球の三菱重工Eastでプレーする武田選手にとって「あの大会で人生が変わった」というほど意味深い大会となった。

写真提供=Full-Count

写真提供=Full-Count

「クビじゃないか……」とくすぶっていたプロ4年目のU-23代表抜擢

 2016年10月に開催された「第1回WBSC U-23ワールドカップ」(以下、U-23W杯)。メキシコ・モンテレイが舞台となった大会で野球日本代表「侍ジャパン」U-23代表は見事、初代王者に輝いた。この時、不動の1番打者として打率.455、出塁率.526の活躍を見せ、攻撃の起点となったのが、武田健吾外野手(当時オリックス)だった。現在は社会人野球の三菱重工Eastでプレーする武田選手にとって「あの大会で人生が変わった」というほど意味深い大会となった。

 プロ4年目の2016年。1軍での出場機会はルーキーイヤーの2試合から10試合まで増えたが、まったく手応えを掴めないまま、焦りばかりが募っていた。ウエスタン・リーグでは打率.256、6本塁打、36打点。「全然結果が出なくて、本当に『クビじゃないか……』と思っていた」という時に舞い込んだのが、U-23代表選出の知らせだった。

「まさか、という感じでしたね。ただ、これはもう絶対にモノにしないといけないな、と」

 まさに、青天の霹靂だ。だが、試してみたいこともあった。実はシーズン終盤、当時の田口壮2軍監督からアドバイスを受け、バットを短く持って振るようになっていた。「最初は本当に嫌だったんです」と苦笑いするが、「結局、4年間も結果が出ずにやってきた。だったら、何かを変えなきゃ」と決心。行く手にかかったモヤを晴らすかのようにバットを振り込み、U-23W杯に臨んだ。


写真提供=Getty Images

不動の1番打者として打線を牽引…記念すべき第1回優勝に大きく貢献

 U-23代表を率いたのは、その年、読売の2軍をイースタン・リーグ優勝へと導いた“平成の大投手”斎藤雅樹監督だった。指揮官は武田選手がU-15、U-21でも代表として世界大会を戦った経験を買い、1番打者に抜擢。これが見事に的中した。

「U-21ではあまり活躍できなかったんですけど、海外の投手と対戦した経験が生きた。球も少し動きますし、真っ直ぐも速い。『初見の投手は見ていたらダメだな』というのがあって、どんどん積極的にバットを振っていったのが良かったと思います」

 初戦のニカラグア戦で3度出塁し、2度の生還を果たすと、続くチャイニーズ・タイペイ戦では満塁弾を含む4安打4打点と快音が止まらない。結局、オーストラリアに10-3で勝利した決勝まで全9試合に「1番・中堅」で先発出場し、無安打に終わったのは敗れたパナマ戦のみ。打率(.455)、出塁率(.526)、安打数(15本)、犠打数(4)で大会トップ5に入るなど、打席でしっかり結果を残した。

 さらには、俊足を生かした守備範囲の広さも評価され、外野手としてベストナインにも選出。記念すべき第1回大会優勝に花を添えた。

「僕の野球人生において一番のターニングポイント。あの大会で人生が変わった。バットを短く持って、(殻を破る)きっかけを掴んで自信にもなりました。おかげで次の年も1軍で結構打てたんですけど(97試合出場、打率.295)、それがなかったら多分、今の自分はなかったと思います」

 日本に戻ると、田口2軍監督が「(新たな打撃の形が)合って良かったな」と喜んでくれた。結果を出そうともがく自分に、新たな視点を授けてくれた恩師の優しさが心に沁みた。


写真提供=Full-Count

プロアマ混成チームで広がった交流「すごく良い刺激をもらいました」

 当時のU-23代表はNPBチームに所属する選手だけではなく、社会人野球からも6選手が加わったプロアマ混成チームだった。同世代ながらも普段は交流のない選手も多かったが、チームメートとして“優勝”の二文字に向かって突き進んだ時間は濃密で、刺激的で、楽しかった。

「いろいろな選手の意見や考え方を聞けましたし、それまでイースタン・リーグや社会人野球の選手とはまったく関わりがなかったけれど、野球を通じて輪が広がった。みんなが活躍していたら自分も頑張らなきゃと思いますし、すごく良い刺激をもらいました」

 武田選手は2019年のシーズン途中にオリックスから中日へトレード移籍し、2022年からは社会人野球へと舞台を移した。現在所属する三菱重工Eastでは、U-23代表でともに戦った大野亨輔投手と再会。「また同じチームになれたなんて嬉しいですね」と目尻を下げる。

社会人野球の後輩たちに送るエール「ぜひ出場を目指してほしい」

 2022年の第4回大会から、U-23代表は社会人野球の若手選手のみで構成されるようになった。社会人野球の選手にとって海外選手と対戦する場は少なく、世界を肌で感じられる貴重な機会でもある。今年11月にはニカラグアで第6回大会が行われるが、武田選手は「ぜひ出場を目指してほしい」と後輩たちにエールを送る。

「侍ジャパンのユニホームを着て戦うことは、とても光栄なこと。チームを代表して、日本を代表して大会に行くわけなので、僕はまずは嬉しい気持ちが大きかったです。もちろんプレッシャーや緊張感はありましたが、やっぱり楽しかった。僕にとってU-23W杯がターニングポイントになったように、何かのきっかけになるかもしれないですから」

 メキシコで優勝の歓喜に沸いた日から10年。今でも野球を続けられる毎日のきっかけを与えてくれた大会は、記憶にしっかりと刻まれている。

記事提供=Full-Count
写真提供=Getty Images, Full-Count

NEWS新着記事