左肩を故障もWBC連覇貢献「本当に貴重な経験」 元阪神・岩田稔氏が手にしたもの

2021.12.27

1型糖尿病を抱えながらも送った16年間のプロ野球生活に、2021年を最後に幕を閉じた元阪神の岩田稔氏。2009年に行われた「第2回ワールド・ベースボール・クラシック™」(以下WBC)では初めて日の丸を背負い、大会2連覇に貢献した。国民の期待を一身に受けてマウンドに上がった経験は、引退した今でも大きな支えになっている。

写真提供=Full-Count

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2009年の第2回WBCで日本代表に初選出「背負うものは大きいなと」

 1型糖尿病を抱えながらも送った16年間のプロ野球生活に、2021年を最後に幕を閉じた元阪神の岩田稔氏。2009年に行われた「第2回ワールド・ベースボール・クラシック™」(以下WBC)では初めて日の丸を背負い、大会2連覇に貢献した。国民の期待を一身に受けてマウンドに上がった経験は、引退した今でも大きな支えになっている。

 中学、高校、大学と日本代表に縁がなかった男が、念願のユニホームを手にしたのは2009年。前年12月に発表された第1次候補34人に名前はなかったが1月に追加招集され、宮崎合宿での好投が認められて最終メンバー入りを果たした。

「超一流が集まる場所。そこに入れるだけでも価値がある。入れるなら入ってみたいと思っていました。どんな所なんだろう、と。(実際に選ばれると)ユニホームはめちゃくちゃカッコいいけれど、背負うものは大きいなと感じましたね」

 WBCでは1次ラウンド、2次ラウンドの韓国戦にリリーフ登板し、2試合(計1イニング)を無安打無失点4四死球の内容だった。当時を振り返り、「2試合ともフワフワしていた。全然どっしり感がなく、緊張もしていたと思います。ほとんどやったことないリリーフ。凄いメンバーだったので、僕は荷物持ちのような感覚でした」と笑う。

2次ラウンドの韓国戦で痛感した国際大会の難しさ

 当時の投手陣は松坂大輔(当時ボストン・レッドソックス)、岩隈久志(当時東北楽天)、田中将大(東北楽天)、ダルビッシュ有(当時北海道日本ハム、現サンディエゴ・パドレス)ら豪華メンバーが揃っており、岩田氏の役割はロングリリーフ、左打者へのワンポイント救援など限られた役割だった。そんな中、2次ラウンド・韓国戦は国際大会ならではの緊急登板だった。

 1-3で迎えた8回。2死二、三塁の失点危機に5番手で登板したが、2連続四球で決定的な追加点を許して降板。試合は敗れた。急遽マウンドに上がることになったため、肩を作れていない状況だったが、「もういかなアカン」と腹を括った。結果として左肩を痛めてしまい、その後はブルペンに入ることもなく、準決勝、決勝をベンチで見届けた。

 阪神では経験のなかったリリーフにも柔軟に対応したが、残ったのは悔しさだけだった。

「チームにすごく迷惑をかけたという思いが強かったですね。国際大会では想定通りにはいかないと改めて感じました。準決勝、決勝はもう投げられない状態だったので、イチローさんの決勝打はベンチの一番前で見ていました。やっぱり凄かった」

日本代表の経験を誇りに投げ続けたプロ生活に2021年で終止符

 個人的には満足する結果を残せなかったが、チームとしては選手、首脳陣が一丸となり、WBC連覇を達成。宿敵・韓国を下した決勝戦では、チーム全員が味わったことのない重圧を感じながらも「絶対に日本に金メダルを持って帰る。みんながその思いだけでした」と振り返る。「(優勝できて)本当に良かったです」。世界、日本を代表するメンバーが1つになった瞬間を忘れることはない。

 帰国後は左肩の治療に専念したが、6月には戦列復帰。その後は先発ローテーションを守りながら、16シーズンで通算200試合に登板し、60勝82敗、防御率3.38の成績を残した。現役中は“世界一メンバー”として戦い抜いた誇りを胸に、マウンドで腕を振り続けた。

「(日本代表は)肩書として残るので、阪神に帰っても変な成績は残せない。その自覚は凄くありまして。あの経験はやりたくても誰もができるものじゃない。本当に貴重な時間でした」

 伝統ある阪神一筋でプレーし続け、2021年限りで背番号「21」のユニホームに別れを告げた岩田氏。日本代表で得た経験を糧にしながら、第2の人生を歩み出す。

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