戸惑った初の国際大会 横浜DeNAの25歳右腕を成長させたU-21代表の経験

2020.8.17

2014年11月、21歳以下の選手が参加する「第1回 IBAF 21Uワールドカップ」が台湾・台中で開催された。野球日本代表「侍ジャパン」U-21代表は全勝で決勝にコマを進めたが、最後はチャイニーズ・タイペイに敗れて2位に終わった。当時、読売に所属していた平良拳太郎投手(現・横浜DeNA)も19歳のルーキーながらマウンドに立った。

写真提供=横浜DeNAベイスターズ

写真提供=横浜DeNAベイスターズ

元U-21代表の平良拳太郎、今季は球界トップの防御率を争う存在に

 2014年11月、21歳以下の選手が参加する「第1回 IBAF 21Uワールドカップ」が台湾・台中で開催された。野球日本代表「侍ジャパン」U-21代表は全勝で決勝にコマを進めたが、最後はチャイニーズ・タイペイに敗れて2位に終わった。当時、読売に所属していた平良拳太郎投手(現・横浜DeNA)も19歳のルーキーながらマウンドに立った。

 平良投手は1次ラウンドのベネズエラ戦、2次ラウンドのチェコ戦では中継ぎとして1回無失点。同じく2次ラウンドのチャイニーズ・タイペイ戦では先発し、3回無失点に封じた。

「僕にとって初めての日本代表の経験でした。その年のイースタン・リーグで調子が良かったので、選ばれたいなという思いでやっていました。日本代表のユニホームをもらえたことはすごく覚えてますし、嬉しかったです」

 沖縄県立北山高校からプロ入りし、当時はまだ1年目。今ではセ・リーグを代表する投手になったが、初めて海外で戦う試合は不安の連続だった。

「食べ物とか結構、好き嫌いが多いので心配でした。あとは試合で投げる不安の方が大きかったです。決して状態は良くなかった。選ばれたのはすごく嬉しかったんですけど、結果を出せるかと言われたら、あの緊迫した状況では無理でした」

大きなプレッシャーを感じながらも「みんなのために頑張ろう」

 チームに迷惑をかけたくない思いから、同じく読売から派遣されていた豊田清コーチ(現・埼玉西武1軍投手コーチ)には「できることなら投げたくないです」と胸の内を明かしていた。

「バッターに向かって投げられる状態ではなかったんです。気持ちの部分が大きかったですね。選ばれたのに全然何もできなかったので、恥ずかしさがありました」

 先発したチャイニーズ・タイペイ戦は3回を投げて1安打1奪三振で無失点。数字だけを見れば上々の投球内容のように思えるが、両チームともに決勝進出を決めた後の試合だった。

「先発と言われてびっくりしましたが、コーチから『(決勝で当たる)相手の傾向を見たいから、こういう風にやってほしい』と言われていました。自分の投球がチームに影響を及ぼすのではないかというプレッシャーの中で、自分のためではなく、みんなのために頑張ろうと思って投げました」

 この前哨戦には6-2で勝利した日本だが、決勝では0-9と完敗し、銀メダルに終わった。それでも平良投手にとって初めて臨んだ国際大会の経験は大きく、大歓声の中で野球をする喜びを感じた。

「海外の選手は体も大きいですし、バットの振りも強いなと思いました。台湾は地元での開催だったので、そういう盛り上がりも感じました。1軍の投手はこういう(雰囲気の)中で投げているのかな、と思っていました」

U-21代表の経験から6年、球界トップの防御率を争う右腕に成長

 当時のメンバーには、現在チームの主軸として活躍する鈴木誠也外野手(広島東洋)や牧原大成内野手(福岡ソフトバンク)らがいた。イースタン・リーグとウエスタン・リーグで面識はなかったが、いとも簡単に外野手の頭を越す打球を放つ鈴木選手や、広角に打ち分ける牧原選手の打撃センスに驚いた。自分が活躍するためには、もっともっと上を目指さないといけないという気持ちになったという。

「台湾以外にも、プエルトリコのウインターリーグなどにも行きましたが、そういう経験があるから今があると思っています。あの時、侍ジャパンに選ばれていなかったら、すごい選手たちを見ることはなかったので……」

「すごい人たち」が集まるのが日本代表チーム――。19歳の頃に抱いたその想いは、今でも平良投手の支えになっている。

 あれから約6年が経過し、横浜DeNAの一員となった平良投手は今、球界トップクラスの防御率を誇る右腕に成長した。

「あの頃は今みたいに考えて投球をしていなかったと思います。ただ投げていただけです。今の僕は侍ジャパンとは遠いところにいる存在だと思っているので、またユニホームを着るチャンスがあったら嬉しいです。すごい声援を受けてプレッシャーを感じたりするかも、と思いますけど……。そういう(侍ジャパン入りできるような)選手になりたいなと思います」

「できることなら投げたくない」と言った19歳のルーキーは、大きな成長曲線を描きながら25歳の頼れる先発投手になった。再び侍ジャパンのユニホームを着て、今度はトップチームの大事なマウンドを任せてもらえるように、己を磨いていく。

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写真提供=横浜DeNAベイスターズ

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