元U-18/U-23代表内野手の心に残る指揮官2人の言葉 「自由にプレーして」

2022.4.11

「大河は自由にしてください」2016年8月。熊本・秀岳館高3年だった松尾大河内野手(現福岡北九州フェニックス)は、台湾で行われた「第11回 BFA U-18アジア選手権大会」に向け、野球日本代表「侍ジャパン」U-18代表入りを果たした。チームを率いた小枝守監督から出会って間もなく掛けられたのが、冒頭の言葉だ。

写真提供=福岡北九州フェニックス

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今季から福岡北九州フェニックス所属の大河選手「なんであの言葉を…」

「大河は自由にしてください」

 2016年8月。熊本・秀岳館高3年だった松尾大河内野手(現福岡北九州フェニックス)は、台湾で行われた「第11回 BFA U-18アジア選手権大会」に向け、野球日本代表「侍ジャパン」U-18代表入りを果たした。チームを率いた小枝守監督から出会って間もなく掛けられたのが、冒頭の言葉だ。

「なんであの言葉を掛けてくださったのか、理由は聞けなかったんですけど、試合や練習を見ていただく中で感じられたのか。おかげで気持ちが少し楽になりました」

 秀岳館高はその年、甲子園で春夏連続ベスト4入りする強さを光らせた。チームの中心にいたのが、走攻守で大活躍した大河選手と、同じくU-18代表に選ばれた扇の要・九鬼隆平捕手(現福岡ソフトバンク)だった。甲子園の活躍で注目を集めてはいたが、代表入りは「狙っていたわけでもないし、入れるとも思っていませんでした」と話す。

 初めて選ばれた日本代表は「緊張よりもワクワク感の方が大きかったです」。だが、周りを見回せば、甲子園を沸かせた同世代のスター選手ばかり。この中で自分はどんな働きを求められるのか。慣れない役割も覚悟していた中で小枝監督に掛けられた予想外の言葉は、大河選手の持ち味を最大限に引き出した。

 全6戦に三塁手として先発出場すると、打席では5番として選球眼の良さと勝負強さを発揮。セミファイナルラウンド最後の韓国戦、そして決勝のチャイニーズ・タイペイ戦ではリードオフマンを任され、俊足も絡めながら好調のバットで全勝優勝へ導いた。終わってみれば、19打数8安打の打率.421で大会首位打者。「自由に伸び伸びプレーさせてもらって楽しかったです」と感謝する。

プロ野球で待っていた苦戦の日々 予想外のU-23代表入りを「きっかけに」

 その年の新人選手選択会議(ドラフト会議)で横浜DeNAから3位指名を受け、プロの門を叩いた。1年目は2軍で102試合に出場し、打率.185と苦戦。前年の反省と学びを生かして迎えた2年目は、2軍で95試合に出場して打率.237。数字は少し上向いたとはいえ、十分なアピールには繋がらず、1軍デビューはお預けになったままだった。

 何をすべきなのか、頭では分かっているつもりでも結果が出ない。モヤモヤした気持ちを抱えながら、プロ2年目を終えようとしていた時、思わぬ知らせが届いた。侍ジャパンU-23代表に選ばれたというのだ。2年の月日を経て、再び侍ジャパンのユニホームに袖を通す機会が巡ってきた。

 出場したのは、2018年10月にコロンビアで開催された「第2回 WBSC U-23ワールドカップ」。チームを率いたのは、トップチームと兼務する稲葉篤紀監督だった。

「ベイスターズでは全然ダメだった。それでもU-23に選んでもらえたので、ここで結果を残して、日本に戻った時にチャンスを掴むきっかけにしようという気持ちがありました」

稲葉監督から掛けられた「自由に」の言葉「いい集中ができました」

 U-18の時とは違う緊張や責任を感じながら向かったU-23代表チーム。そこで稲葉監督から掛けられた言葉に、大河選手はハッとしたという。

「稲葉監督からも、小枝監督と同じように『自由にプレーしてほしい』と声を掛けていただいたんです」

 日の丸の重みを感じる一方、アピールしたい想いも抱えながら、知らぬ間に肩に力が入っていたのかもしれない。指揮官の言葉を受け、スッと心が楽になった。「いい集中ができました。余計なことは考えず、自分のすべきことだけを考えた。対戦したことのない投手ばかりでしたが、集中力高く勝負できた感じがありました」と振り返る。

 大会では全9試合に遊撃手として先発出場。打席では28打数7安打6四死球と躍動し、三塁打を3本記録した。「ベイスターズでは2年で1本だけだったのに、あの大会だけで3本打てたんですよ」。日本は決勝でメキシコに敗れ、連覇は果たせなかったものの、大河選手にとってこの時の経験は大きな糧となっている。

代表チーム、NPBで重ねた経験を「伝える立場になってきたのかな」

 横浜DeNAでは3年を過ごし、1軍デビューを果たせないまま戦力外となった。2020年には沖縄初のプロ野球チーム、琉球ブルーオーシャンズに入団。茨城アストロプラネッツへの派遣期間も含め、2シーズンにわたりプレーした。そして、今季からは九州アジアリーグの福岡北九州フェニックスに所属する。

 昨年12月には12球団合同トライアウトに2度目の参加を果たしたが、NPB球団から声が掛かることはなかった。もちろんNPB復帰を諦めたわけではない。それでも「現実的に考えると、ほぼ戻れない状態だと思います」。そう思った時、2度の代表入り、そして横浜DeNAで過ごした経験を良いも悪いも全て、NPBを目指す若い選手たちに伝えようという気持ちになったという。

「野球ではいろいろな経験をさせてもらって、プロでも3年プレーした。今年で24歳になりますが、もう自分のことだけじゃなくて、後輩たちにどうしたら上手くなるかとか、どういう対策があるとか、そういうことを伝える立場にもなってきたのかなと感じるようになりました」

 2人の監督から掛けられた言葉をきっかけに、大舞台で自分らしく伸び伸びプレーすることができた。言葉の力を知る大河選手だからこそ、自らの経験を伝えながら後輩たちを目指す方向へ導いてあげられるのかもしれない。

記事提供=Full-Count
写真提供=福岡北九州フェニックス

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