侍ジャパンU-12代表はなぜアジアの頂点に立てたのか 仁志監督が明かす強さの秘密

2016.12.19

中国・広東省で開催された「第9回 BFA U-12アジア選手権」で初優勝を飾った侍ジャパンU-12代表。これまで6度、決勝に進むも、あと一歩のところで逃してきた栄冠をついに手にした。

写真提供=Getty Images

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アジア選手権で初優勝、仁志監督は「ほとんど子供たちのおかげ」

 中国・広東省で開催された「第9回 BFA U-12アジア選手権」で初優勝を飾った侍ジャパンU-12代表。これまで6度、決勝に進むも、あと一歩のところで逃してきた栄冠をついに手にした。選手、チームスタッフにプロ野球の現役時代の背番号と同じ8回、胴上げされた仁志敏久監督は「(胴上げは)いつ以来か忘れましたけど、ありがたいですね。ほとんど、子どもたちのおかげですよ」と、優勝トロフィーを見つめた。

 2年前、仁志監督が初めて指揮して臨んだ第8回大会では決勝でチャイニーズ・タイペイに敗れた。昨年の「第3回 WBSC U-12 ワールドカップ」は6位。日の丸を背負う責務はあるが、育成に主眼が置かれる小学生による日本代表だけに仁志監督は団体生活や試合内容にこだわった。

 今大会も決勝戦までは快勝を続けたが、仁志監督は「内容にこだわれ。勝てばいいのは決勝戦だけ」と試合内容を重視した。ヒット数や盗塁数が多くても、相手チームのレベルを考慮すると、手放しでは喜べない試合もあった。初戦のフィリピン戦は15-0の4回コールド勝ちだったが、仁志監督の第一声は「最初の試合なので、思った通りにいかなかったと思います」だった。

 一方で、準決勝の中国戦で5本の長打など11安打を放ち、「選手たちは内容の良いヒットを打ちたいと思っていても、そうならなかった選手が多かったですからね。今日は質の良い、本当のヒットを打っていましたね」と称えた。

 試合前に行われるフリー打撃では仁志監督が自ら打撃投手を務め、全選手の状態を把握。準決勝と決勝はフリー打撃後にティー打撃を入れて入念に準備をさせた。個々に送るアドバイスも的確で選手が結果を出していった。その上で、出塁を求められているのか、ヒットを打つことを求められているのか、投手として抑えることを求められているのか、役割を理解している選手がそろっていた。

どんどん早まった10分前集合「1回、言われたことを守る子たち」

 また、所属チームでは守っていない外野など、チームの方針で慣れないポジションに就きながら役割を果たした選手もいた。指揮官は「空回りしていたところもありますが、自分のいいところを出そうと意識していましたね」と、それぞれの姿勢をしっかりと見ていた。

 采配もさることながら、チーム力も高かった。仁志監督は「組織的にいいモデルケースのチームになった」という。キャプテンシーに溢れる星子天真主将にナインがしっかりとついていき、まとまった。「星子キャプテンは嫌われることを恐れず、しっかり言うべきことを言ってくれました。こちらの言わんとすることをやってくれた。星子キャプテンの存在は大きかったですね。いなかったらと思うと、チームが変わっていたと思いますね」と指揮官は言う。

 ただ、星子主将は「一人一人がキャプテンみたいだったので強かったと思います」と謙遜し、「思い返してみると、一人一人が高い意識を持ってやってくれたと思います。メリハリができるチームでした。僕がまとめたというよりもチーム全体が自然にまとまり、それが勝利につながったのだと思います」と振り返った。

 集団生活を乱す選手はおらず、時間もきっちりと守った。10分前集合はどんどん早まり、チームスタッフは「大人の方が、ついていくのが大変です」と笑っていた。仁志監督は「1回、言われたことを守る子たち。それは当たり前のことかもしれませんが、中にはわからない子もいます。しかし、この子たちは1回、言ったら守ってくれた。私生活の決まりを守れるということは結局、野球につながっていくんですよね」と改めて生活と野球の結びつきを実感していた。

 跳ね返され続けた決勝を“7度目の正直”で制し、初のアジアチャンピオンに輝いた。「彼らが活躍して、報道され、『JAPAN』に入りたいと夢を持つ小学生が増えてくれるといいですね」と仁志監督。そのためにも、システムの構築が不可欠だと話す。

「選考方法や1つの大会のための強化ではなく、日本全体、各地のレベルアップが求められます。また、野球人口も減らないように。少子化なので増えることは難しいかもしれませんが、少子化と野球人口減少がせめて比例するように。少子化よりも早く減らないようにしたいですね」

侍ジャパンU-12代表は日本の野球界の底辺を支える存在

 昨年は各連盟の推薦で集まった選手でチームを構成。一昨年はビデオ選考のみが行われ、「来てみないとわからない部分があった」という。今年は大阪と東京の2会場で選手選考合宿が行われた。今回の代表15名は初めて開催されたトライアウトで選ばれており、「力量を把握してチームを作れた」(仁志監督)。それも初優勝の原動力だった。

「連盟の方々に協力をいただいて、より多くの子どもたちを見たいと思います。来年は硬式野球の子たちで代表が組まれるので、連盟の方々と連携していきたいですね。ある程度、実際に見ないとチームのイメージができなかったり、ポジションの把握ができなかったりします。硬式野球の子たちはポジションを決めているところが多く、普段やっていないポジションを守るのが難しいので」

 いかに原石を発掘し、能力を伸ばすか。そして、代表選手に限らず、野球を愛する多くの子どもたちの目標となり、野球人口減少に歯止めをかけられるか。侍ジャパンU-12代表は日本の野球界の底辺を支える存在になる。

「アジアには日本よりすごい選手がいっぱいいました。もっとうまくなって、世界で通用する選手になりたいです」と話したのは、決勝戦で先発した高橋大和だ。代表のユニホームに袖を通したことで新たな世界が開けた。星子主将は「また一緒にU-15代表やU-18代表を目指して、最後はトップチームで集まろうと言っています」という。さらなる高みに向かう上で侍ジャパンU-12代表として戦った経験は糧になるに違いない。

 勇敢に戦い抜き、アジアの頂点に立った選手たちも、閉会式を待つ間、他国の選手と無邪気に触れ合う姿は小学生そのものだった。そんな微笑ましい姿を見つめながら仁志監督は「仲間のミスをカバーしたり、こちらのミスもあったけど、難なくこなしてくれたり。いい選手に巡り合うことができました。彼らはいい仲間になりましたね。毎回、連れて帰りたいくらいかわいいのですが、これからは彼らの成長を楽しみにしたいと思います」と別れを惜しみつつ、今後に期待した。

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