大学代表の次はトップチームへ 苫小牧駒澤大・伊藤大海を突き動かす「夢」の存在
今秋のドラフト上位候補に名前が挙がる苫小牧駒澤大学の伊藤大海投手は、2018、19年と2年連続で野球日本代表「侍ジャパン」大学代表に選出された。昨年の「第43回 日米大学野球選手権大会」では守護神を務め、最速155キロの直球を主体とする攻めのピッチングで、3大会ぶり19度目の優勝に貢献。大学屈指の右腕に成長した裏には、日本代表への憧れと1年間の我慢があった。
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日米大学野球選手権に2年連続出場、今秋のドラフト上位候補の右腕
今秋のドラフト上位候補に名前が挙がる苫小牧駒澤大学の伊藤大海投手は、2018、19年と2年連続で野球日本代表「侍ジャパン」大学代表に選出された。昨年の「第43回 日米大学野球選手権大会」では守護神を務め、最速155キロの直球を主体とする攻めのピッチングで、3大会ぶり19度目の優勝に貢献。大学屈指の右腕に成長した裏には、日本代表への憧れと1年間の我慢があった。
昨夏の日米大学野球選手権では、侍ジャパンの高い投手力が際立った。大会を通じて先発を任されたのは、明治大学の森下暢仁投手(現・広島東洋)と早稲田大学の早川隆久投手(現4年)。中盤以降は、筑波大学の左腕・佐藤隼輔投手(現3年)、右腕では日本体育大学の吉田大喜投手(現・東京ヤクルト)、東海大学の山崎伊織投手(現4年)らが、クローザーの伊藤投手に繋ぐという勝ちパターンだった。優勝を決めた第5戦も、最後のバトンを受け取ったのは伊藤投手だった。
「自分は代表チームに勉強をしに行ったという感覚でした。昨年もそうですが、初めて代表に選ばれた一昨年は、本当に他大学の選手のレベルが高いと感じました。例えば、東洋大学の甲斐野央さん(現・福岡ソフトバンク)のスライダーです。打者がスイングしてから、変化球だと分かるようなキレ。僕の場合は、投げた瞬間に相手が『スライダーだな』と分かるような変化。大きな違いがありました」
2018年、アメリカ東海岸を転戦した「第42回 日米大学野球選手権大会」の期間中には、甲斐野投手や日本体育大学の松本航投手(現・埼玉西武)ら先輩から助言をもらった。帰国後も助言を忘れず、投球術に磨きをかけると誓った。
2018年の経験を生かし、翌年は守護神に 「直球で押して空振りが取れる感覚があった」
国際大会そのものが勉強の一つだった。伊藤投手にとってこのアメリカ遠征は、中学時代に行った台湾遠征以来2度目となる海外での大会。幼少の頃に見たメジャーリーグをきっかけに野球の虜(とりこ)になった右腕は、アメリカの地に降り立った瞬間に鳥肌が立ったという。
「マウンドに立った時も興奮しました。硬さや傾斜などはあまり気になりませんでした。アメリカ特有の滑るボールも、直球で勝負する自分にはあまり違和感はありませんでした」
国際経験は少なくても、どんな環境でも受け入れられる強さがあった。大会では先発、救援の両方を任され、第1、2戦は中継ぎ登板。初先発した第3戦は3回3安打2失点(自責点0)で、味方のエラーが響く不運もあって負け投手になった。
日本で開催された2019年は、全5試合で9回に登板。第2戦にサヨナラ本塁打こそ浴びたが、あとの4試合は無安打無失点と実力を見せつけた。
「1回目(2018年)の時は、バットに当てられるような高さの球は簡単に(スタンドへ)持っていかれる、打たれるという感覚でしたが、2回目(2019年)は直球で押して空振りが取れるという感覚がありました」
パワーが違うだけではなく、アメリカの打者は積極的にバットを振る傾向にあるため、一瞬の隙や甘い球は逃さない。バットが届く範囲の失投は、簡単にスタンドへ運ばれてしまう。「痛い目に遭った」という2018年の経験を生かし、昨年はしっかりとコントロールした球で打ち取り、大きな自信に繋げた。
駒澤大へ進むも半年で退学、苫小牧駒澤大に再入学後は1年間の“浪人生活”
今でこそドラフト上位候補に数えられるが、ここまでは苦難の道のりだった。駒澤大苫小牧高校では2年春に甲子園に出場し、2016年に駒澤大学へ進学。だが、半年後には退学し、地元にある苫小牧駒澤大学に再入学した。大学野球連盟の規定により1年間は公式戦に出場できず、一から体づくりをして練習に励む日々を送った。その間、約10か月はブルペンでの投球練習さえしなかった。
「高校生の時は、日本代表のユニホームを意識できるような選手ではありませんでした。大学を変えれば、1年間は試合に出られないのは分かっていたこと。なので、試合に出られた時にインパクトを与えられるような投球を見せて、大学ジャパンに入りたいと思っていました。(その結果が)評価され、選んでいただいたことは、自分にとって大きなターニングポイントとなりました」
もともと直球は平均時速140キロ台だったが、1年間で10キロほどアップさせた。ランニングの重要性やキャッチボールなどの基礎を、もう一度見つめ直したという。
「久しぶりにブルペンに入った時、『衝撃が走った』という感じでした。それまで球速がどれくらい出ているかも分からなかったんですが、その時は150キロが出ました。それまでの自分のピッチングに対する考え方が未熟だったなと感じました」
自分自身、どう変化しているのか期待を持って上がったブルペンでは、指先にかかるボールの感覚が違い、感動すら覚えたという。
大学ジャパンのユニホームを着たい、プロになりたい――。夢に支えられた“浪人生活”は、しっかりと実を結んでいる。
「僕にとって日本代表は憧れです。一番印象に残っているのは、小学生の時に見た2009年のWBCです。イチロー選手が決勝の韓国戦でタイムリーを放った大会でした。小学6年生になる年で、いつか代表のユニホームを着てみたいという思いはありました」
今の目標は、プロになり、トップチームのメンバーとして侍ジャパンのユニホームを着ることだ。飽くなきチャレンジ精神が、伊藤投手のピッチングに磨きをかけていく。
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