プロデビュー戦でも「緊張しなかった」 大型右腕が侍ジャパン社会人代表で得た「糧」
「日の丸を着けて戦う舞台を経験したことで、自信がついたというのが1番大きいかもしれませんね」。こう語ったのは、中日の鈴木博志投手。2017年のドラフト1位で入団すると、2018年、ルーキーイヤーから、いきなり中日のセットアッパーとして君臨することとなった最速157キロの豪腕投手だ。
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最速157キロの中日ルーキー鈴木投手、「第28回BFAアジア選手権」で手にしたものとは…
「日の丸を着けて戦う舞台を経験したことで、自信がついたというのが1番大きいかもしれませんね」。各世代で日本を代表して戦う野球日本代表「侍ジャパン」。その侍ジャパンでの経験についてこう語ったのは、中日の鈴木博志投手。2017年のドラフト1位で入団すると、2018年、ルーキーイヤーから、いきなり中日のセットアッパーとして君臨することとなった最速157キロの豪腕投手だ。
鈴木投手が初めて日の丸を背負って戦ったのは、2017年10月に台湾で行われた「第28回BFAアジア選手権」。オリックスの田嶋大樹投手、福田周平内野手、阪神の谷川昌希投手、千葉ロッテの渡辺啓太投手、藤岡裕大内野手、菅野剛士外野手、読売の大城卓三捕手、田中俊太内野手、若林晃弘内野手、横浜DeNAの神里和毅外野手ら、のちにプロ入りを果たす錚々たるメンバーの中に、鈴木投手の名前もあった。
初の世界との戦いに臨んだ鈴木投手。出番自体はファーストラウンドのパキスタン戦(13-1)とスーパーラウンドでのチャイニーズ・タイペイ戦(10-0)の2試合、計3イニングだけだったが、初めての国際舞台で、これまでに味わったことのない経験を得ることができたという。
「緊張はほとんどしなかった」と“強心臓”ぶりも発揮した右腕は「代表にまでなれたこと自体が初めての経験で、それこそ楽しまなくてはいけないなと思っていましたし、本当に楽しくできた期間でした。自分の持っているボールを世界を相手に試していきたいという思いがすごくあった」と初の世界大会を振り返る。さらに「代表自体が初めてだったのもありますけど、緊張というよりも、自分のせいで負けたりとか、細かいサインプレーとかで絶対にミスはできないなという、プレッシャーというか、しっかり普通のことをできないといけないなと思った大会でしたね」と、日の丸を背負って戦う独特のプレッシャーも感じたという。
磐田東高校から社会人のヤマハへと進んだ鈴木投手。初めて日本以外の国の野球を目の当たりにし、同じアジアの国といえども全く異なるスタイルに驚きを隠せなかった。「チャイニーズ・タイペイも韓国も、同じアジアじゃないですか。アメリカとかなら、メジャーリーグを見れば、明らかに肩が強かったり、パワーがあったりで、全然違う野球をやるんだろうと思っていました。アジアはそんなに変わらないだろうと思っていました。でも、実際は全然そんなことはありませんでした」。チャイニーズ・タイペイや韓国は、日本の選手たちとは違って身体能力を武器としたプレースタイルだった。
「サードとかショートがものすごく肩が強かったり、イメージはガラリと変わりましたね。野球が栄えていない国もある中で、チャイニーズ・タイペイや韓国はものすごく強くて、スイングスピードも全然違いました。真っ直ぐを普通に捉えられるというか、当時でプロ野球選手と対戦しているような感覚がありましたね。バッティング練習を見ているだけで全然違いますよ。みんながみんなスタンドにポンポン放り込んでいて、打球のスピードも違う。そこの時点で少し違うレベルにいるのかなとは思いました。みんなでヤバいなって話していました。年齢が同じだか、まだ18歳だとか思いながら……」。チームは見事に優勝を果たしたものの、他国の選手の能力の高さはひしひしと感じたという。
あらゆるカテゴリーでの「侍ジャパン」入りが目標「僕は全てを目指したい」
2試合3イニングだけの登板だったが、自らにとって間違いなく重要な「糧」になった。「メンタル面はかなり成長したと思いますね」と鈴木投手は言う。中日に入団すると開幕3戦目、敵地マツダスタジアムの広島東洋戦でデビュー戦のマウンドに上がった。真っ赤に染まる独特の雰囲気の敵地だったが、「全く緊張しなかったんです」。最速155キロをマークし、圧巻の無失点デビュー。「それまでは緊張するタイプだったんですけど、侍ジャパンでの経験もそうですし、色々な経験をすることで自分の中で落ち着けるようになりました。あそこまでの経験をしているのだから、ここで緊張することはないなと思える。メンタル面が強くなったと思います」。
当時のメンバーから実に11人が、その年のドラフトで指名を受けて、プロの世界へと進んだ。「その時のメンバーからプロに行った人が多くて、刺激にもなりますし、負けていられないというか、自分も頑張らないといけないと思いますよね」。オリックスの田嶋投手はローテの柱として投げ、(千葉)ロッテの藤岡裕内野手は遊撃のレギュラーの座を掴んだ。そのチームメートたちの活躍もまた、刺激になっている。
高校までは日の丸とは無縁の存在。磐田東高校時代は相次ぐ故障に苦しみ、満足に投げられなかった。鈴木投手にとって転機となったのは社会人の1年目だった。「高校3年で引退した後に右肘の手術を受けました。社会人に入って1年間リハビリ、体作りをしっかりやったら球速が10キロ以上上がりました」。球速が150キロを超えるようになると、侍ジャパン社会人代表も視界に捉えられるようになり、いつしか「代表には行かないといけないものだと思うようになっていました」。
好奇心溢れる鈴木投手の性格。「未知の世界でやるのが楽しいんですよね。やったことがないことをすごくやりたい。挑戦したい」という。ある時は興味本位でルービックキューブに挑戦しメキメキと腕前を上げたり、最近ではスペイン語の勉強にも励んでいる。まだ知らない、見たことのない世界には、人一倍、興味があるという。
それは「侍ジャパン」でも同じ。「全ての代表、U-23代表だったり、五輪だったり、WBCだったり、そういうものがある限り、僕は全てを目指したいと思っています」とキッパリと言い切る。秋にはトップチームが日米野球を戦い、U-23代表は「第2回 WBSC U-23ワールドカップ」を戦う。鈴木投手はまだ21歳。そのどちらでも候補になれる。
「そこを目指して普段頑張るわけではなく、普段から頑張っていったその結果、代表というところにつながっていけばいいと思っています。また、そういうところに行って色々な経験をすることができて、より一層自分が成長できると思う。ですから、侍ジャパンというのは常に目指したいなと思いますね」。日頃の積み重ねの先に、侍ジャパンの舞台がある。いつか訪れるその時を夢見て、鈴木投手はその豪腕を振っていく。
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