ドラフト前に急激に開花 プロ入りを決めた日本通運24歳右腕が狙う悲願の優勝

2021.11.22

10月11日に行われた2021年プロ野球ドラフト会議。この日、支配下選手として指名を受けた77人の中に、異色の経歴を持つ人物がいた。それが東京ヤクルトから3位指名を受けた日本通運野球部・柴田大地投手だ。

写真提供=Full-Count

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大学時代は公式戦登板なしも、東京ヤクルト3位指名を受けた柴田大地

 10月11日に行われた2021年プロ野球ドラフト会議。この日、支配下選手として指名を受けた77人の中に、異色の経歴を持つ人物がいた。それが東京ヤクルトから3位指名を受けた日本通運野球部・柴田大地投手だ。

 24歳右腕の何が異色なのか――。上位指名選手は高校や大学で輝かしい成績を収めていることが多いが、柴田投手は甲子園出場歴もなければ、大学では公式戦に登板したこともない。社会人2年目、つまり今年になって秘める才能を急激に開花させたのだ。

 柴田投手の大学生活は、常に怪我と隣り合わせだった。日本体育大学に入ってから間もなく、右肘の靱帯を損傷。PRP(多血小板血漿)療法を受けながら回復に務めたが、患部の状態は一進一退を繰り返した。「先輩や同級生、後輩が試合で投げる姿を、僕はずっと応援する立場でした。正直、何やってるんだろうな、と思うこともありました」と振り返る。

 同時に、故障さえ治れば「復帰した時にはこのくらいの球が投げられる」と具体的なイメージを描けるほど、積み上げた練習には自信があった。「投げられない分、基礎的なトレーニングをしたり、投球動作に関係する細かな動きを確認し直したり、体をイチから作ることができた。そこが大きかったと思います」。入学時には180センチ、70キロほどだった華奢な体は、卒業する頃には13キロ増えた筋肉質な体に変わっていた。

「期待している」 モチベーションとなった辻コーチの言葉

 幼い頃から持ち続けていた「プロになりたい」という気持ちは、大学時代も「自分がドラフトで選ばれるイメージはしっかりありました」とブレることはなかった。地道なトレーニングを積む中で柴田投手のモチベーションを支えたのは、大学で投手コーチを務める辻孟彦氏から掛けられた「期待しているぞ」という言葉だった。

「『期待する』と言っていただいた言葉がすごく好きで、自分の中で一番の芯になっています。1年の時から期待していただきながら怪我で離脱しましたが、それでも定期的に指導してくださったり、目を掛けてくださった。誰かから期待される。それが自分の中ではパワーになりました」

 コーチの想いに応えたい。その気持ちをモチベーションとし、懸命にトレーニングに励んだ。元々、肩が強いタイプで高校時代から力強いストレートが持ち味だった。大学時代は数回しかできなかったブルペンでの投球練習でも「球が走っているな」と実感できたこともある。だが、その次の日は決まって肘に痛みが走った。

練習参加で認められた才能、予想外の採用通知に「え、本当ですか?」

 転機が訪れたのは、大学3年の冬だった。辻コーチ同様、未完の右腕が秘める才能の大きさを知る古城隆利監督の計らいで、日本通運野球部の練習に参加。すると、当時日本通運を率いた藪宏明前監督の目に留まった。

「練習に参加した後、そのまま大学に戻ったら、古城監督から『日通さんが採ってくれることになったぞ』と言われたんです。もう驚きが大きすぎて『え、本当ですか? いいんですか?』と(笑)」

 卒業までに故障をしっかり治すため、右肘内側側副靱帯再建術(トミー・ジョン手術)を受けることになった。術後はマウンド復帰まで1年以上を要するため、踏み切れなかった手術。「ようやくちゃんと治せるといううれしさと、投げられる見込みが立った。僕にとっては本当に希望に溢れた手術でした」という。

 2019年3月にトミー・ジョン手術を受け、その後は肘の可動域を広げたり走り込みを続けたり、トレーニングを重ねながら翌年4月の入社に備えた。新型コロナウイルスが感染拡大し、世界中が慌ただしい状況で新天地に飛び込んだが、不測の事態にもブレることなく、キャッチボールから積み上げた。

トミー・ジョン手術で拓けたプロへの道「みんなが喜んでくれたのがよかった」

 手術後初めて打者を立たせて投げたのは昨年11月のこと。「ようやく投げられる。やっとここまで来た。そう思うと楽しさの方が大きかったです」。改めてピッチングの楽しさに触れた右腕が、その才能を開花させるまで時間はかからなかった。

 今年5月に行われたオープン戦で球速154キロのストレートを披露。同月のJABA東北大会で公式戦デビューを果たすと、その力強いピッチングで一気に注目を集める存在となった。そして、その5か月後のドラフト会議。心の中に持ち続けたイメージ通り、指名を受けることになる。

「正直、3位で指名されるとは思っていなくて、心の準備もしていない状態でテレビを見ていたので、とにかく驚きました(笑)。みんなが喜んでくれたのが本当によかったです」

 ここまで来れたのも、怪我がちだった大学、そして社会人で支えてくれた周囲の人々のおかげ。特に、大学時代の実績を抜きにチャンスを与えてくれた日本通運には「本当に感謝の気持ちしかありません」と力を込める。

チャンスを与えてくれた日本通運への感謝「都市対抗で優勝してからプロ入りしたい」

 プロの門を叩く前に最後の恩返しとして達成したいのが、11月28日に開幕する「都市対抗野球大会」での優勝だ。日本通運は澤村幸明監督の下、1964年以来となる2度目の優勝を目指し、12月1日にパナソニックとの1回戦に臨む。

「目指すは優勝のみ、ですね。自分にチャンスを与えてくれたチームにしっかり貢献して、都市対抗で優勝してからプロ入りしたいと思います。採っていただいた藪さん、受け継いで育ててくださった澤村監督やコーチの皆さん、いろいろな人に感謝を伝え、恩返しをしていきたい。なので、優勝まで5試合投げて、そこからプロに行きたいと思います」

 プロで目指すのは、阪神、メジャーで活躍した藤川球児氏や、ボストン・レッドソックスの澤村拓一投手のようなストレート勝負ができるクローザーだ。そして、いつかは野球日本代表「侍ジャパン」のユニホームも着たいと話す。

「いつかは選ばれてみたいですね。やっぱりあのユニホームは格好いい。僕もあのユニホームを着て、マウンドで投げてみたいです」

 逆境に屈せず、思い描いたイメージを実現させてプロ入りを掴んだ男だ。数年後、侍ジャパンの一員としてマウンド上で躍動する日が訪れても不思議はない。


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