横浜DeNA大型右腕が忘れられないU-23での一幕 稲葉監督が最初に伝えた言葉とは

2021.9.6

横浜DeNAで4年目の阪口晧亮投手は2018年秋、コロンビアのバランキージャで行われた「第2回WBSC U-23ワールドカップ」に出場した。当時はプロ1年目。まだ1軍での登板もない頃だったが、大会では2試合に先発して好投。日本の準優勝に貢献した。さらに、代表入りしなければ訪れなかったであろう国でのプレーは、人間的にも大きな経験になったという。今後の飛躍を期待される大型右腕が、忘れられない10日間を振り返った。

写真提供=Full-Count

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今季プロ初勝利を挙げた阪口皓亮「大した結果も残していないのに」

 横浜DeNAで4年目の阪口晧亮投手は2018年秋、コロンビアのバランキージャで行われた「第2回WBSC U-23ワールドカップ」に出場した。当時はプロ1年目。まだ1軍での登板もない頃だったが、大会では2試合に先発して好投。日本の準優勝に貢献した。さらに、代表入りしなければ訪れなかったであろう国でのプレーは、人間的にも大きな経験になったという。今後の飛躍を期待される大型右腕が、忘れられない10日間を振り返った。

 U-23代表入りの一報は突然だった。阪口投手は1年目を2軍で18試合、3勝9敗1セーブ、防御率6.15という成績で終え、1軍登板はまだなかった。「率直にうれしかったことはもちろんですけど、大して結果も残していないのに、という不安はありました」。

「侍ジャパンU-23代表」という存在自体にもなじみがなかった。前身の「IBAF 21Uワールドカップ」から数えても3回目と若い大会で、阪口投手も「高校の日本代表は知っていましたし、大学や社会人の代表があることは知っていました。だけど、U-23って何だろう?」と頭に疑問符が浮かぶばかり。嬉しさと期待、不安がないまぜになった感情に襲われた。

 日本代表のメンバーでは、寺島成輝投手(東京ヤクルト)ら1学年上の先輩が中核を占めていた。同年代では安田尚憲内野手(千葉ロッテ)や西巻賢二内野手(当時東北楽天、現千葉ロッテ)が名を連ね、「高校時代も日本代表だった人ばかりで、そのレベルについていけるのかと思っていた」と振り返る。北海高校(北海道)では遅咲きで、試合で投げ始めたのは2年秋と最上級になってから。3年夏に出場した甲子園での好投が注目を集め、ドラフト3位という高評価を受けてプロ入りしたものの、日本代表は遠い存在だった。

ドミニカ共和国戦では打球直撃も7回零封「無我夢中で投げていました」

 U-23代表で投手陣にはすぐまとまりが生まれた。不安を感じていた阪口投手が輪に入っていけたのは、同じ横浜DeNAから選ばれていた櫻井周斗投手のほかに、種市篤暉投手(千葉ロッテ)の存在が大きかったという。「すごく優しいし尊敬できる投手。僕らがいじりやすいというのもありますけど(笑)」。時速150キロを超える剛球を投げる種市投手は、みんながエースと認める存在。年齢の垣根を越えた絆ができた。

 招集後すぐ、阪口投手には「先発で投げてもらう」という方針が伝えられた。球場やボール、対戦打者と何もかもが初めて尽くしの中で、オープニングラウンド3戦目のメキシコ戦で初登板。4回2/3を8奪三振、1失点と試合を作ったものの、満塁のピンチを残しての降板は決して満足のいくものではなかった。今振り返れば「ホームランも打たれましたし、球が浮いてボール先行という場面もあった。緊張していたのかなと思います」と、どこか普通ではなかった。

 日本はオープニングラウンドのグループAを1位で通過。阪口投手に2度目の先発機会が回ってきたのは、スーパーラウンド3戦目のドミニカ共和国戦だった。「スイングが強烈な打者が多くて、一発に気を付けました。高めなら強いボールで空振りを取ろう、他はとにかく低めに集めよう」という戦略を忠実に実行した。5回1死から強烈なライナーが右足首に当たるというアクシデントを乗り越え、7回3安打無失点の快投。ただ、「ボールに当たったことくらいですかね。覚えているのは。あとは無我夢中で投げていました」。そう笑うが、日本は4-0で完封勝利し、8戦全勝で決勝へコマを進めた。

意味を考えた稲葉監督の一言「グラウンドに唾を吐くな」

 メキシコとの決勝戦は投手戦となった。日本は近藤弘樹投手(当時東北楽天、現東京ヤクルト)が先発、成田翔投手(千葉ロッテ)、水野匡貴投手(ヤマハ)とリレーし、延長10回の末、1-2で敗れた。阪口投手は前日先発したため登板予定がなく、ベンチで試合を見守っていたものの、握った両手の汗が止まらなかったという。「投げていないのに、投げている時みたいにドキドキしてましたね。短い期間で絆が生まれて、何よりも優勝したいなと思っていたので」。最初は「みんな探り探りでした」というチームには、わずか10日間で立派な一体感が生まれていた。

 この大会で日本代表を率いたのは、のちの2021年夏に金メダルを獲得した稲葉篤紀監督だ。阪口投手には、強烈な印象が残る指揮官の一言がある。

「最初に言われたんです。グラウンドに唾を吐くなって」

 元々そんなタイプではない阪口投手も言葉の意味を考えた。

「もちろんグラウンドは神聖な場所だというのが一つ。あとはやっぱり『野球の神様は見ているぞ』ということじゃないかなと。唾を吐いている姿を神様に見せられるのか、と問われた気がしました」

オフは海外で積極的にプレー「いろんなことを経験したいと思っています」

 大会が行われたコロンビアは、この機会がなければまず行くことがなかった場所だ。街並みを見るだけで、様々なことを考えさせられた。

「貧富の差が激しくて、住んでいるところによって(生活のレベルが)6段階に分かれていると現地の人に聞きました。スラム街もあったりして……」

 安心安全な日本との違いに、まず驚いた。「全世界から貧困がなくなるのにはどうしたらいいのかなと考えたりもしました。人間的に貴重な経験ができたというのはあります」。野球に限らず、恵まれた環境にいる自分と対比せざるを得なかった。

 続く2019年オフには横浜DeNAから豪州のウインターリーグに派遣されるなど、若い時から海外でプレーする経験を積んでいる。「1回しかない人生ですから、いろんなことを経験したいと思っています。海外に行くこともそうですし、人生をより良いものにしていきたい。野球で成長することはもちろんですけど」。様々な場所でのプレーを楽しみ、生きていくうえでの糧にしている。

 U-23代表で着た背番号19のユニホームは、大阪の実家と祖母宅に置いてある。家族も阪口投手が楽しくプレーする姿を応援してくれている。今年の夏は本拠地・横浜スタジアムを舞台に世界一を決める戦いが行われたが、今後、侍ジャパン入りへの野望はあるのだろうか。

「もちろん日本代表に選ばれれば嬉しいですけど、その前に自分のチームでしっかり投げられるようにならないと。投げられるイニングを増やして、信頼されることが重要だと思います」

 今年4月4日の広島東洋戦(横浜)では、4年目にしてプロ初勝利を挙げ、涙した。身長187センチの大型右腕は、もっともっと大きな存在になるべく腕を振り続ける。

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