想定外の代表入りで痛恨失策 G.G.佐藤氏が後輩たちに伝えたい「準備の大切さ」
コロナ禍の影響を受けながらも、活動を本格化させている野球日本代表「侍ジャパン」トップチーム。今夏の大一番に向け、6月中にも最終候補メンバーが発表される予定だ。
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高校、大学と目立った活躍はなくも、米マイナーを経てNPB入り
コロナ禍の影響を受けながらも、活動を本格化させている野球日本代表「侍ジャパン」トップチーム。今夏の大一番に向け、6月中にも最終候補メンバーが発表される予定だ。
2013年に「侍ジャパン」として全世代が常設化される以前から、様々な国際大会で好成績を挙げてきた日本代表チーム。日本野球界の頂点とも言える代表チームに選ばれることは、野球選手ならば誰しもが栄誉に感じることだ。
かつて西武(現・埼玉西武)などで外野手として活躍したG.G.佐藤(本名・佐藤隆彦)氏は、高校通算わずか3本塁打、大学時代は4年間補欠という状況からプロ入りを果たし、日本代表まで上り詰めた。一方で、2008年の北京では“世紀の落球”を含む3エラーを犯してしまった。異色の野球人生を歩んだ佐藤氏にとって、日本代表とは何だったのか。
「プロになることに一生懸命だった僕にとって、ジャパンはまさに夢のまた夢でした」。佐藤氏はそう振り返る。
中学卒業時に野村克也氏から送られた言葉「念ずれば、花ひらく」
千葉県市川市生まれで、中学時代にはヤクルト(現・東京ヤクルト)、東北楽天などで監督を務めた野村克也氏の妻・沙知代さんがオーナーの「港東ムース」に所属。当時ヤクルトの監督だった野村氏からもたびたび指導を受け、プロ野球選手を志した。桐蔭学園高校、法政大学では目立った成績を挙げられず、ドラフト指名から程遠い存在だったが、大学卒業後に渡米。入団テストを受けてMLBフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結び、傘下1Aに3年間所属した。帰国後の2003年11月、NPBドラフト会議の直前に西武(現・埼玉西武)の監督だった伊東勤氏(現・中日ヘッドコーチ)の前でテストを受ける機会に恵まれ、ドラフト7位指名を勝ち取った。
25歳にして念願のNPB入りを果たした背景には、中学卒業時に野村氏から贈られた「念ずれば、花ひらく」という言葉があった。「野村さんからは、夢は叶うよ、夢が叶わなかった人は途中で念ずるのを諦めた人だよ、と言っていただきました」と佐藤氏。「大学時代に補欠だった僕が、諦めずに食らいついて頑張った結果、プロになれて、ジャパンにまで選ばれた。今の子どもたちへ『うまくいかないことはいっぱいあると思うけれど、続けることが大事。考え方、やり方によって人生は変えられる』とメッセージとして伝えたいです」と語る。
想定外の日本代表選出、北京の準決勝で感じた極度の緊張
しかし2008年夏、想定外の日本代表選出は、佐藤氏を思わぬ状況に巻き込んだ。「全く選ばれるとは思っていませんでした。とにかく西武でレギュラーを取ること、活躍することで頭がいっぱい。前年のアジア予選に出ていませんし、春のキャンプから6月くらいまで、ジャパンのことは頭の片隅にもなくて、追加招集でいきなり選ばれました」。佐藤氏は前年の2007年に25本塁打を放ちブレーク。2008年も前半だけで20発を量産した。自身の急成長に、意識が追いついていなかった。
経験したことのない緊張に襲われたのは、北京で予選ラウンドを4位通過し、決勝トーナメントを迎えてからだった。準決勝の韓国戦に「7番・左翼」で先発出場した佐藤氏は、「とんでもないところに来てしまった」と動揺していたという。すると、4回の守備でレフト前に弾き返された打球をトンネル。これでさらに弱気になり、8回には左中間の飛球を落球し、韓国にダメ押し点を献上した。
翌日の3位決定戦・米国戦は、準決勝の経緯からいって出番はないと決めてかかっていたところ、まさかのスタメン起用。意気に感じるどころか、精神的に追い込まれてしまった。3回には遊撃後方のフライを深追いし、またもや落球。「金メダル以外はいらない」と宣言していた日本代表は、まさかのメダルなしに終わった。
佐藤氏が現役選手に伝えたい「準備の大切さ」とは
重圧に押しつぶされた経験があるからこそ、今の現役選手たちに「準備の大切さ」を伝えたいと言う。「ソフトバンクの千賀(滉大投手)、巨人の坂本(勇人内野手)、西武の外崎(修汰内野手)らが思わぬ怪我に見舞われているだけに、NPBの全選手には今から、選ばれる可能性がある、と思っておいてほしい。僕のように選ばれてから準備するのでは遅い」と強調する。
具体的に「昔の国際大会の映像を見せたりして、雰囲気を教えておくことがすごく大事だと思う。僕の失敗を参考にしてくれてもいい」と熱弁を振るう。今年4月14日には「結束!侍ジャパンナイター」の一環として、高橋由伸氏、宮本慎也氏、藤川球児氏、中畑清氏、松中信彦氏とともにリモートでのトークショーに出演。「みんなプレッシャーを感じたと語っていました。(選手に)ああいうものを聞かせるのもいい。心の準備だけでもさせておいてほしい」と実感を込めて言う。
現在は副社長として多忙な一方、解説者・OBとして野球について発信
実際、今季のプロ野球は有力選手に故障が相次ぐ一方、阪神・佐藤輝明内野手、広島東洋・栗林良吏投手、東北楽天・早川隆久投手らルーキーの活躍が目覚ましい。1年前には想像もしていなかった選手が数多く、侍のユニホームを着る可能性が高い。
佐藤氏は現役引退後、父親が社長を務める「株式会社トラバース」に入社。測量、調査、地盤改良工事などを行う会社で、今年4月には副社長に就任した。社業で多忙な中、プロ野球ファンにも、テレビ中継の解説や自身のYouTubeチャンネル、SNSを通して発信を続けている。こういった活動を続けながら、後輩の“侍”たちへも温かい視線を注ぎ、心情に寄り添っていくつもりだ。
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