侍ジャパンの未来を担う大砲 筒香嘉智が育った“原点”に迫る
24歳ながら野球日本代表「侍ジャパン」でも4番を任される大砲・筒香嘉智。「野球は楽しく」、「焦らずじっくり力を伸ばす」という2つの支柱は、いつ筒香の脳裏にインプットされたのか。そのルーツをさかのぼると、大阪・堺にあるボーイズリーグにたどり着く。筒香が中学時代に野球に熱中した堺ビッグボーイズ(堺BB)だ。
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筒香嘉智が育った原点、堺ビッグボーイズに迫る
DeNAに名称変更後、初のクライマックスシリーズ(CS)進出に向けて、好位置につける横浜DeNAベイスターズ。開幕ダッシュにつまづき、5月3日には借金11まで膨れあがったが、現在は勝率5割前後を推移している。2位以下が混戦模様のため、念願のCS進出が手の届く位置にあるが、そんなチームのど真ん中に立って牽引しているのが、主将にして4番の筒香嘉智だ。
およそ50試合を残しながらも、本塁打数は自身最多の24本を大きく上回り、打率も3割超。24歳ながら野球日本代表「侍ジャパン」でも4番を任される大砲のモットーは「野球は楽しく」だ。昨年オフにはドミニカ共和国へ武者修行に旅立ち、誰もが笑顔で伸び伸びプレーする環境の中で心身ともに鋭気を養ってきた。
プロ6年目の昨季に開花した筒香の道のりを「長かった」と捉える向きもあるが、それは目先の結果にこだわらず、自分の能力を最大限に発揮できるタイミングまで、焦らずじっくりと努力を積み重ねてきた結果だ。まずは目標を立てて、それを達成するために、今は何をするべきかを逆算するのが筒香流だ。
では、今ある姿まで導いた「野球は楽しく」、「焦らずじっくり力を伸ばす」という2つの支柱は、いつ筒香の脳裏にインプットされたのか。そのルーツをさかのぼると、大阪・堺にあるボーイズリーグにたどり着く。筒香が中学時代に野球に熱中した堺ビッグボーイズ(堺BB)だ。埼玉西武ライオンズ・森友哉も輩出したこのチームでは、一体どんな方針で子供たちを育成しているのか、堺市内から車で30分ほどの山間部にある練習場を訪ね、代表を務める瀬野竜之介氏に話を聞いてみた。
「勝つための野球」に対して生まれた漠然とした違和感
あいにくの雨の中、室内練習場では3年生28人がハツラツと練習に励んでいた。コーチの掛け声を合図に準備体操をする子供たちの様子を見つめる瀬野代表の表情は穏やかそのもの。ティー打撃が始まっても、あれこれ口うるさく指導する姿はない。「うちは勝つ野球は目指していません。今、勝つことに目標を置いて子供を早熟させるのではなく、子供が持つ才能が最大限に開花する準備を手伝うこと。プロ野球選手を目指す子供は、プロになってから長く活躍できるように。プロにならない道を選んだとしても、社会で自分の長所を最大限に発揮できるように。野球を通じて、子供たちに“生きる力”が備わるような活動をしています」と話す。
そんな瀬野代表も、かつては「勝つための野球」を子供たちにたたき込んでいた。父が創設した堺BBでプレーした後、関西の強豪・浪速高から東海大に進学し、野球漬けの毎日を過ごした。大学卒業後、堺BBのコーチに就任。自分が経験したのと同じ「勝つための野球」を教え、全国大会の常連チームを築いたが、見聞を広げるために一度指導現場から離れることにした。
再び指導の現場に戻ってみると、何か漠然とした違和感のようなものを感じたという。
「勝つ野球を教えること、トーナメントで成績を残すこととは、大人の自己満足でしかないのではないかと思いました。子供は本当に楽しく野球をやっているのか。勝つために子供を早熟させてしまってはいないだろうか。自分がやっていることに対して矛盾みたいなものを感じるようになったんです」
当時、堺BBから巣立ち、高校野球の強豪校へコマを進めた選手の多くは、高校や大学で活躍するものの、その先=プロでの活躍にはつながっていなかった。中には、高校で怪我をしてしまい、野球そのものを諦めなくてはならない子供もいた。瀬野代表は当時を振り返り、「子供にとって本当に大切な指導とは何か、子供の将来につながる指導は何か、を考えながら、練習方法を変えてみるなり、技術や戦術を一方的に教え込むことをやめてみたり、より体に気を配った体操やメンテナンスを重視したり、少しずつ試行錯誤を加えてみました」と話した。
転機となった出会い、改革が始まった―
ちょうどその頃、堺BBの門を叩いたのが、中学に進学したばかりの筒香だった。実家のある和歌山から家族の運転する車で、片道1時間をかけて通っていたという。子供には決して簡単なことではないが、それでも3年間も通い続けられたのは、伸び伸びと野球を楽しめる環境があったからだろう。プロ7年目を迎えた今でも、筒香が瀬野代表を慕い、アドバイスを求めるのは、自分の原点が堺BBで過ごした日々にあることを忘れていないからだ。試行錯誤中の取り組みだったとはいえ、メッセージは伝わっていた。
瀬野代表が思い切った改革に乗り出したのが、2009年、森友哉が中学2年生になる年だった。ひょんなことからドジャースで日本担当スカウトを務めた小島圭市氏に出会い、海外での育成方法など話を聞くうちに「今まで解けなかったパズルがはまった感じ。見つからなかった答えが見つかった気がした」という。早速、小島氏にアドバイザー就任を以来。「勝つための野球」という考えは一切捨てて、「考える野球、伸ばす野球」を目指すことにした。
土日祝の練習は、朝8時20分から午後2時30分までとし、長時間の練習をやめた。練習メニューも張り出すことにした。1日の流れが分かっていれば、子供たちも進んで動くことができるようになる。メニューの中には“自主練習”の時間を組み込み、子供たちが自分に必要だと思うことを何でもさせた。
バッティングをする子もいれば、鬼ごっこをする子もいる。極端な話をすれば、寝てもいい。何が必要なのか、何がやりたいのか、自分で考え、それを大人に伝えられる子供たちにしたい。「野球だけではなく、普段の生活でも、しっかり自分の考えを持つ人間に成長してもらいたいんです。ゆくゆくは野球をやめてしまうかもしれない。でも、ここで学んだことが、いつか役立つ形を見つけたかったんです」という。
練習時間は短く、サッカーなど他競技も積極的に取れ入れる
子供たちの体がバランスよく成長するように、練習は野球だけではなく、サッカーなど他競技も取り入れることに。取材に訪れた日も、室内練習場でミニサッカー大会を開催。2時間ほどの練習のうち、野球に直接関わる練習は半分ほどで、それ以外はサッカーやリレーの時間になっていた。基本は「野球を詰め込まない」こと。子供たちの心の中に「もう少し野球をやりたい」という気持ちを残すことが、自発的な練習や積極的で効率のいい練習につながっていくという。
父兄のボランティアが大半だった指導者も総入れ替えした。堺BBをNPO法人化し、若い世代のコーチを雇い入れ、“プロ”の指導者として自覚を持たせた。「ボランティアだと、なかなか頼みづらい部分がある。プロの指導者を入れることで、指導者もまた何が子供のためになるのか、どんな改善点があるのか、積極的に意見を出し合うようになりました」と効果を感じ取っている。
かつては、全国大会や世界大会まで出場した強豪チームの変革は、最初はなかなか父兄に受け入れられなかった。それを少しずつ変えていったのは、子供たちの変化だ。
野球の練習で疲れ切っていた子供たちが、気が付けば生き生きとした顔をしている。嫌々練習に出掛けていた子供たちが、野球が楽しいから早く練習に出掛けたいと言う。この効果はたちまち口コミで広がり、今では中学3学年を合わせて100人を超える子供たちが集まった。遠くは岡山県倉敷市からやってくる子供も。スパルタ式教育ではなく個性を伸ばす教育方針の家庭が増えつつある時代の流れに、うまく合致した。
筒香らプロ野球選手の輩出へ
トーナメント方式の大会が、子供たちに与える影響についても考えた。堺BBも参加するボーイズリーグ全国大会には全国各地から64チームが参加。4日間で開催される大会は、勝ち進むと、ダブルヘッダーも含めて6試合を戦うことになる。1日7イニングという規制はあるものの、あまり効用を発揮しているようには思えない。しかも、全国大会に出場するために、各チームは支部の予選(トーナメント方式)を戦ってもいる。
そこで堺BBでは、実験的に3年前から独自のリーグ戦を開催。8チームの総当たり戦で優勝を決める大会を行うと、思いがけない反応が生まれた。堺BBが所属するボーイズリーグ大阪阪南支部が、今季から全国大会の出場権を懸けた予選をリーグ戦方式に変える大決断をしたという。合計10チームを5チームずつ2つのグループに分け、総当たり戦の結果、各グループの上位2チームが優勝決定トーナメントに進出し、全国大会出場の切符を争う。当然ながら日程は長くなり、手間も労力も掛かる取り組みだが、それ以上に大阪阪南支部は「子供たちの将来のため」と変革を決意。長らく「トーナメント形式が当たり前」とされていたボーイズリーグ界に一石を投じた。
こうした堺BBの取り組みの成果は、筒香や森といったプロ野球選手の輩出という形にも表れた一方で、北海道(旭川道北ボーイズ)、岡山(備前ボーイズ)など指導方針に賛同するチームを中心に、少しずつ全国にネットワークが広がっていることにも見てとれる。また、国際事業部では、ドミニカ共和国など海外での育成方針を紹介する講演会を全国で開催。現状に疑問を抱いている指導者たちと意見交換をすることで、新しい動きを生み出そうとしている。
自分で考える力を持って、道を切り拓いてもらいたい。中学生時代、そのメッセージを胸に刻んだ筒香は、今、24歳とは思えぬ落ち着きと思考力を持つ、球界を代表するスラッガーに成長した。「勝つ野球」と「育てる野球」。どちらが大切なのか、あるいは両者が共存することはできないのか。大人も考える力を駆使しながら、未来の野球界につなげていくべきなのかもしれない。
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