ロッテ期待のルーキー捕手が成長を実感 2年連続で選ばれた大学代表での経験

2020.7.27

正直なことを言えば、千葉ロッテのルーキー・佐藤都志也捕手にとって大学進学は、第一志望の進路ではなかった。福島県の強豪・聖光学院高校で2度、夏の甲子園に出場し、プロ志望届を提出したが、ドラフト会議で名前は呼ばれず。「ショックな気持ちがあった」と振り返るが、結果として進んだ東洋大学で過ごした日々は「自分の中では大きな4年間だったと思います」と胸を張る。

写真提供=千葉ロッテマリーンズ

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ドラフト2位ルーキーの佐藤都志也捕手、東洋大学時代に日米大学野球に2度出場

 正直なことを言えば、千葉ロッテのルーキー・佐藤都志也捕手にとって大学進学は、第一志望の進路ではなかった。福島県の強豪・聖光学院高校で2度、夏の甲子園に出場し、プロ志望届を提出したが、ドラフト会議で名前は呼ばれず。「ショックな気持ちがあった」と振り返るが、結果として進んだ東洋大学で過ごした日々は「自分の中では大きな4年間だったと思います」と胸を張る。

「これから絶対にスカウトを見返すんだ、と思って始まった4年間でした」

 大学に入り、まず最初に苦労したのが「木製バットへの対応」だった。金属バットよりも芯がややヘッド寄りにある木製バットは「ヘッドの重さを利用しないと前に飛ばないんです」。1年生の頃は「差し込まれて、よくバットが折れていました」と言うが、2年生の春には東都大学野球の春季リーグで打率.483を記録し、首位打者に輝いた。4年間で通算打率.325を記録し、“強打の捕手”としてスカウト注目の存在に成長。「高校からプロに行っていたら対応が難しかったと思うので、大学4年間を挟めたことは大きなことでした」と話す。

 捕手としても、最高の経験を積めた。東洋大学の1学年先輩には、甲斐野央投手(福岡ソフトバンク)、上茶谷大河投手(横浜DeNA)、梅津晃大投手(中日)といった当時の大学野球界を代表する好投手が在籍。高校時代には見たことのないようなボールをミットで受けた。

2年連続選出され、感じた使命「今度は自分がそれを後輩に伝えよう」

 もう一つ、佐藤選手が選手としても人間としても成長できたと感じる場所がある。それが野球日本代表「侍ジャパン」大学代表だ。

 佐藤選手は3年生の時から2年連続で大学代表入り。2度の「日米大学野球選手権大会」と、「第29回ハーレムベースボールウィーク」を経験した。試合には主に外野手として出場したが、ブルペンでは大学野球界を代表する投手の球をキャッチ。「投手も野手もすごくレベルが高くて、大きな刺激を受けました」とアンテナを張り、吸収できるものは何でも吸収した。

「3年生の時は気持ちの持ち方だったり、試合に向けての準備の仕方であったり、1つ上の先輩方からいろいろ学ばせてもらいました。ルーティンを事細かにやっている方がいれば、試合の1時間以上前から準備をしている方もいる。皆さん、本当に高い意識を持っていた印象があります。4年生で選ばれた時は、今度は自分がそれを後輩に伝えようという気持ちになりました。それが2年連続で選ばれた自分の使命なのかな、と思ったんです」

 東洋大学でもトップレベルの投手たちとバッテリーを組んでいたが、大学代表では千葉ロッテでチームメートとなった小島和哉投手、松本航投手(埼玉西武)、森下暢仁投手(広島東洋)、津森宥紀投手(福岡ソフトバンク)らのボールをキャッチ。「松本さんのコントロールの良さには驚きましたし、同世代でも森下や津森はいい球を投げていたなという印象があります」。並み居る好投手の球を受け、「キャッチャーとしてのリード、配球は、自分の中に引き出しを増やせたと思います」と頷く。

プロ入りした佐藤が新たに抱く願いとは…「もう一度同じチームで」

 プロ入りする前に、打者として外国人投手の生きた球を体感し、捕手としては外国人打者の反応を見ることができた経験は「すごく生きている部分があります」という。

「打者としては、少し動くボールであったり、ものすごく腕を振るピッチャーが多いので変化球のキレであったり、外国人投手特有のピッチングに対する目付という点では、すごく生かされています。捕手としても、外国人打者は縦の変化に対して弱い印象を受けたので、インコースに投げた後の縦の変化であったり、緩急を使った攻め方はすごく使えるなと感じました」

 実は大学代表の存在は、2年生の時に1学年上の中川圭太内野手(オリックス)が選ばれ、「初めて知りました」と笑う。同時に「身近な先輩が日本代表になって、自分もなってみたい」という想いを抱いたという。その願いが叶い、侍ジャパンの縦縞のユニホームを2年連続で身にまとった佐藤選手には今、新たな願いを抱いている。それは、侍ジャパンのトップチームに選ばれることだ。

「甲斐野さんはプロ1年目で侍ジャパンに選ばれました。そういう身近な先輩が日本代表としてプレーする姿を見ると、自分も代表のユニホームを着てみたいと思います。もう一つ、大学3年生の時にバッテリーを組ませてもらった甲斐野さん、上茶谷さん、梅津さんというピッチャーと、もう一度同じチームで組んでみたいという気持ちがありますね」

 その想いが実現する場はただ一つ、侍ジャパンのトップチームだ。まずは自身が千葉ロッテで存在感を示し、近い将来、トップチームに選ばれるように成長の階段を一歩ずつ上がっていく。

記事提供=Full-Count
写真提供=千葉ロッテマリーンズ

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