一人の少女を支えた「侍ジャパン」への憧れ 6連覇中の女子代表・出口彩香の想い

2020.4.13

10年以上の長きにわたり、世界の頂点に立ち続けているチームがある。それが侍ジャパン女子代表だ。2008年に「第3回 IBAF女子ワールドカップ」で初優勝を飾ると、その後は2年ごとに開催されるワールドカップを連覇し、2016年に大会名が「WBSC女子野球ワールドカップ」と変更されてもトップをキープ。2018年の第8回大会では前人未踏の6連覇を達成した。その大会で主将としてチームを引っ張ったのが、今年から埼玉西武ライオンズ・レディースに所属する出口彩香内野手だ。

写真提供=Full-Count

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2018年の女子W杯主将「侍ジャパンがあったから野球を続けられた」

 10年以上の長きにわたり、世界の頂点に立ち続けているチームがある。それが侍ジャパン女子代表だ。2008年に「第3回 IBAF女子ワールドカップ」で初優勝を飾ると、その後は2年ごとに開催されるワールドカップを連覇し、2016年に大会名が「WBSC女子野球ワールドカップ」と変更されてもトップをキープ。2018年の第8回大会では前人未踏の6連覇を達成した。その大会で主将としてチームを引っ張ったのが、今年から埼玉西武ライオンズ・レディースに所属する出口彩香内野手だ。

 日本代表になりたい――。それが中学生の頃から抱く一番大きな夢だった。侍ジャパンに女子代表も存在することを知り、ストライプのユニホームに対する憧れが野球を続ける原動力となった。

「侍ジャパンのユニホームを着るという想いが、自分の野球に対するモチベーションになりました。少しめげそうなことがあったり、弱気になっても、代表選手になりたいという気持ちがあったからこそ、野球がずっと続けられた。そんな存在でもありました」

 もしかしたら、その目標がなければ野球を辞めていたかもしれないという。女子選手の中には、高校に進学するまで男子チームに入ってプレーする選手も多い。中学生にもなれば、徐々に男女の体格差や体力差が大きくなり、きつくて野球を辞めたいと思ったこともあった。だが、侍ジャパンのユニホームへの憧れが、一人の少女の心を支えた。

プレーを変えた新谷監督の言葉「好きなようにやればいいじゃないか」

 どうすれば侍ジャパンのユニホームを着ることができるのか。そう考えながら、日々の練習に取り組んだ。自宅の壁には「日本代表になる」という目標を紙に書いて貼ったという。2012年、大学2年生の時に初めてトライアウトに合格し、夢の日本代表メンバー入り。カナダのエドモントンで開催された「第5回 IBAF女子ワールドカップ」に出場した。

「選ばれた瞬間は、素直に『やったー』という気持ちでしたが、浮かれることはなかったです。人って何かを達成できたら、すぐ次! ってなるじゃないですか。選出されたメンバーを見た時に、『この中でどうやってレギュラーを獲ろうか……』と考えていました」

 当時、出口選手は19歳。代表メンバーの中では2番目に若かった。先輩たちの実力がどれほど高いものかは、十分過ぎるほど知っている。最初は緊張の連続で、足を引っ張らないようにすることばかり考えていた。そんな自身のプレーが、当時の新谷博監督(現・尚美大学女子硬式野球部監督)には、消極的に見えていたのではないかと回想する。

「(監督からは)『年下がいちいち考えるな。好きなようにやればいいじゃないか』と言われました。それで『あ、やっていいんだ!』と思いました。先輩たちが年下の私たちがやりやすい環境を作ってくださいましたし、コミュニケーションを多くとってくれていましたので、安心感がありました。そういう方々の姿を見て、年齢を重ねたらこういう先輩になりたいな、と思いました」

 監督からかけられた一言で、気持ちが吹っ切れた。最初は遊撃のポジションから悪送球することもあったが、指揮官の言葉をきっかけにプレーが変わったことを実感できたという。

主将として大会6連覇に貢献、支えとなった過去2大会の出場経験

 初出場したワールドカップでベストナインに輝き、チームの3連覇達成に大きく貢献。2014年の第6回大会では経験者としての余裕も出た。そして、2018年の第8回大会では主将を任され、若い世代を束ねて世界一へと導いた。3度の出場は、それぞれ違った立場に身を置きながら世界の頂点に立った。

「すべての年で自分の役割は全く違いましたね。1度目は『がむしゃらに』という気持ちでやっていました。2度目は大学4年生になって『もしも代表でずっといられるのであれば、その時はキャプテンになってみたいな』という気持ちがありました。女子野球を引っ張っていく存在になりたいという想いもありました」

 その想い通り、2018年に主将を任され、責任ある立場となった。周りを見渡せば、自分よりも若い選手が多くなっている。プレッシャーはそれほど感じていなかったというが、大会が進むにつれて、主将という肩書きの重みが増した。

「試合をしていくにつれて、他の国のレベルも上がっていましたし、こちらが戦略を立てても失敗したり、うまくいかないことも出てきたり。負の連鎖ではないですが、『大丈夫かな?』と心配にもなりました」

 この時の原因は、選手たちに必要以上の堅さがあったのではないかと振り返る。自分が主将になって連覇が途絶えたらどうしようという不安もあったというが、ここで過去2大会の経験が生きた。自身が初めて代表入りした当時の新谷監督や先輩たちのように、普段から若い選手たちがやりやすい環境を整えることを意識。同時に、主将とは言え、年上の選手には頼った。チームの雰囲気を明るくし、一丸となることで優勝へと突き進んでいった。

 今や出口選手は、ジュニア世代の女子選手たちにとって憧れの存在となっている。女子で野球をプレーする子どもたちには、自分が侍ジャパンに憧れて強くなっていたように、大きな夢と希望を持ってもらえたらと願う。

「自分が持った夢に向かって、自信を持って挑戦してほしいです。例えば、叶わない夢だとか、大きいことを言っているだとか、周囲から思われることがあっても、本当に強い気持ちがあれば自分のモチベーションになる。その気持ちをずっと持ち続けてもらいたいです。野球に限らず他のスポーツでも、日本代表になれば海外の選手と試合ができるチャンスが多くあります。いい経験にもなりますし、私にとってはそれが『野球やっていて良かった』と思う瞬間でもあります」

 女子野球界が誇るトップ選手の1人として、これからも子どもたちに憧れられる存在であり続ける。

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