第1回から20年「正直、何のことかって」初代投手コーチ、武田一浩が忘れ得ぬWBC

2026.2.23

NPBで最多勝、最優秀救援投手などに輝いた武田一浩氏は、現役引退から4年が経過した2006年、日本代表の投手コーチとして「第1回 WORLD BASEBALL CLASSIC™」(以下WBC)を戦った。メジャーリーガーが参加して初めて行われた世界一決定戦。東京ドームで開催された1次ラウンドでは、スタンドに空席も目立った。手探り状態からのスタート。「正直、何のことかって感じだった」と、武田氏は当時の“本音”を振り返る。

写真提供=Getty Images

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王貞治氏からの連絡も「正直、何のことかって」

 NPBで最多勝、最優秀救援投手などに輝いた武田一浩氏は、現役引退から4年が経過した2006年、日本代表の投手コーチとして「第1回 WORLD BASEBALL CLASSIC™」(以下WBC)を戦った。メジャーリーガーが参加して初めて行われた世界一決定戦。東京ドームで開催された1次ラウンドでは、スタンドに空席も目立った。手探り状態からのスタート。「正直、何のことかって感じだった」と、武田氏は当時の“本音”を振り返る。

 初めて行われた同大会で、日本は決して無双したわけではなかった。1次ラウンドでは韓国に、2次ラウンドでも米国と韓国に敗れた。それでも最終的に決勝トーナメントへ進出し、初代王者に。そこから20年の月日が経過。「本当に強いチームが勝つ大会になってきた。アメリカもかなりメンバーを揃えてきていますしね」。世界中が熱狂するイベントへと積み上げた同大会について感慨深く話す。

 2002年限りで現役を引退。野球解説者などで“第2の人生”を送っていた武田氏にコーチ就任の打診をしたのは、第1回大会に監督を務めた王貞治氏(現福岡ソフトバンク球団会長)だった。幼少期からの憧れの存在であり、福岡ダイエー時代の恩師でもある王氏からの誘いに胸が躍った。

「王さんのファンで、王さんに憧れて野球を始めたから。ホークスでもお世話になったし、憧れの存在でした」。一方で、自身は引退後のコーチ経験はゼロ。ましてや、初めて行われる国際大会で、今ほど他国の情報もない状況。決断するまでに葛藤もあった。

「正直(コーチ)経験もないから、どうしようかと思ったけど、色々な人と話して。最終的には、(王)会長からそんなこと言われるなんてなかなかない。ましてや、第1回だから今のような位置付けでもなかった。それだったらやってみようかなと」

 2023年に行われた第5回大会は、日本中で話題を独占した。当時ロサンゼルス・エンゼルスだった大谷翔平投手がチームメートで米国代表の主将、マイク・トラウト外野手を三振に斬って世界一に輝いたシーンは今でも語り草になっている。ただ、第1回大会の注目度は決して高くなかった。

「満員じゃなかったですよ」。東京ドームで行われた1次ラウンド初戦、中国戦の観客数は1万5869人。勝ち抜いて、2次ラウンドを戦うため米国へ旅立つチームの見送りはほとんどなかった。

選手たちも最初は「正直、浮かれている部分があった」と振り返る。1次ラウンドの韓国戦では、8回に李承燁内野手に逆転2ランを浴びて敗戦。2次ラウンドでも米国、韓国に敗れ、崖っぷちに立たされた。


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「今みたいにメジャーの情報もデータもなかった」…手探りだった第1回大会

 2次ラウンドを1勝2敗で終えた日本が決勝ラウンドへ進むには、残る1試合でメキシコが米国に勝つことが必須だった。吉報が届いたのは、2次ラウンドが行われた米カリフォルニア州アナハイムから決勝ラウンドの舞台となるサンディエゴへ向かうバスの中だった。

「もしメキシコが負けていたら、サンディエゴから帰国する予定だったんですよ」。メキシコが勝利し、大逆転で決勝ラウンド進出を決めた日本は勢いに乗り出した。準決勝でそれまで2敗していた韓国にリベンジを果たし、決勝ではキューバに勝利すると初代王者に輝いた。

 当時から埼玉西武の松坂大輔投手、読売の上原浩治投手らのちにメジャーで活躍するスター選手が揃っていた日本代表。そんな日本代表のコーチを務めるのは、難しさも楽しさも大変さもあった。

「最初は全部手探りでしたよ。今みたいにメジャーの情報もデータもなかった。あとは、当時のボールは今以上に良くなくて滑る。その対策にも苦戦しましたね」。今でこそ、メジャーリーグの情報はインターネットを通じて一般でも手に入るようになっているが、当時はデータ会社から資料を購入して対策を立てていた。

忘れられない痛恨の被弾「初球を思い切り打たれて…」

 忘れられない苦い思い出もある。2次ラウンドの米国戦で清水直行投手(千葉ロッテ)がデレク・リー内野手に同点本塁打を浴びた。「(清水投手は)ブルペンにいる時から緊張していて、マウンドに向かう目が泳いでいた。『初球から(勝負に)いくなよ、様子を見ていけよ』と言ったんだけど、初球を思い切り打たれてね……」。NPBのスターたちでも思い通りにいかない難しさを感じた。

 出発する時はひっそりしていた日本だが、2次ラウンド、決勝ラウンドと勝ち上がるにつれて状況は一変。米国にいても「日本で話題になっているという声が聞こえてきた」と振り返る。苦しみながらも、最後の最後で手にした世界一の称号を掲げて帰国した時の盛り上がりは目を疑うほどだった。

 あれから20年。大会は第6回を迎え、井端弘和監督率いる「侍ジャパン」は2大会連続の世界一を目指す。米国やドミニカ共和国も錚々たるメンバーを揃える中、武田氏は「最後は運だよ」と語る。 「王会長も言っていた。『最後は裏方も含めて、全員で運を拾えるかだ』ってね」 崖っぷちから手にした初代王者の称号。武田氏は “らしい言葉”で、後輩たちにエールを送った。

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