「あれ以上の緊張感はない」…松井稼頭央氏が呼び覚ます2013年WBC激闘の記憶
日米球界で25年の長きにわたり活躍した松井稼頭央氏は、2013年に野球日本代表「侍ジャパン」のメンバーとして「WORLD BASEBALL CLASSIC™」(以下WBC)の激闘に身を置いた。山本浩二監督の指揮の下、大会3連覇が期待された日本だが、結果は準決勝でプエルトリコに敗れてベスト4。コロラド・ロッキーズ時代の2007年にはワールドシリーズに出場するなど経験豊富な松井氏に、「あれ以上の緊張感はないですよね」と言わしめるWBC独特の雰囲気とは……。
写真提供=Full-Count
2003年に初めて代表入りするも、メジャー移籍で本戦出場ならず
日米球界で25年の長きにわたり活躍した松井稼頭央氏は、2013年に野球日本代表「侍ジャパン」のメンバーとして「WORLD BASEBALL CLASSIC™」(以下WBC)の激闘に身を置いた。山本浩二監督の指揮の下、大会3連覇が期待された日本だが、結果は準決勝でプエルトリコに敗れてベスト4。コロラド・ロッキーズ時代の2007年にはワールドシリーズに出場するなど経験豊富な松井氏に、「あれ以上の緊張感はないですよね」と言わしめるWBC独特の雰囲気とは……。
初めて日の丸のユニホームに袖を通したのは2003年11月アテネ予選を兼ねた「第22回アジア野球選手権」だった。憧れを抱きながらもアマチュア時代には縁が無かった日本代表。千載一遇の舞台では「1番・遊撃」として全3戦に先発出場した。
初戦の中国戦での第1打席。「先頭打者として出塁が条件」と打席に立つと、思いがけず死球を受けた。「ボールが当たって喜んだのは、あの時が初めてですよ。よし、出塁できるって」。勝つためには体を張ることも厭わない。それほど「国を背負う重さやプレッシャー」は大きかったという。
3戦全勝で優勝した日本はアテネ出場権を獲得したが、松井氏は同年オフに西武からニューヨーク・メッツへ移籍。MLBの方針によりアテネ本戦には参加できなかった。「予選を一緒に戦ったメンバーとアテネに行きたい思いはありましたが、ルール的にね」と、新天地での挑戦に気持ちを切り替えた。

プロ20年目で再び代表入り…「一度は出てみたい」と思っていたWBC
その10年後。再び代表ユニホームに身を包む機会が訪れた。2013年の第3回WBCだ。MLBで7年プレーし、2011年から東北楽天の一員として日本球界に復帰。プロ20年目、37歳という円熟期での代表選出だった。
「特別な意味合いがありましたよね。アテネのこともあったし、WBCも第1回、第2回と参加できなかったので、一度は出てみたいと思いもありました。(出場チャンスとしては)本当に最後の最後だったので、このタイミングで選んでいただいたことは意味があったんだと思います」
2006年に産声を上げたWBCは、第1回、第2回と日本が連覇を遂げた一方で、“野球の母国”としての威信を懸ける米国を筆頭に、ドミニカ共和国、ベネズエラ、プエルトリコら強豪チームが、回を重ねるごとに本気度を高めた。韓国やチャイニーズ・タイペイといったアジア勢も侮れない。包囲網がグルリと張り巡らされる中で狙う3連覇は容易ではなかった。
ワールドシリーズともひと味違う独特の雰囲気「興奮もあり、ちょっと怖い感じもあり」
1試合1試合、集中力を高めて全力を尽くした。その中でも、松井氏の記憶と体に当時の興奮が染みついているのが、2次ラウンドの初戦、チャイニーズ・タイペイ戦。1点を追う9回2死一塁の場面、鳥谷敬内野手から始まった起死回生の同点劇だ。
「やっぱり鳥谷のあの盗塁ですよね。井端(弘和)の打席もそうですけど。東京ドームでの試合は歓声もすごいし、期待もすごい。ファンの方々には、アメリカに行って優勝することを前提に応援していただいているので、あの場面でのプレッシャーはハンパない。ベンチの中にいた僕にも伝わってくる緊張感。そこで盗塁を決めるすごさ、タイムリーを打つすごさっていうのは、ちょっとレベルが違いましたよね」
失敗したら試合終了という場面で見事、鳥谷選手が二盗を決めると、続く井端選手がセンター前へ起死回生の同点打。延長10回に中田翔選手のレフト犠飛で勝ち越した日本は、劇的な逆転勝利をもぎ取った。「もう大興奮ですよ。あの時は選手とファン、球場内全てが一体になっている、それくらいの雰囲気でした」と話す声は徐々に熱を帯びてくる。13年経とうという今、振り返るだけでも気持ちが高ぶるのだから、当時味わった興奮は想像をはるかに超えるものだったのだろう。
ワールドシリーズともひと味違う、WBCが持つ独特の雰囲気について「あれ以上の緊張感はないですよね」と表現する。特に東京ドームに響きわたる「あれだけのファンの声援は、力を与えてくれる一方で、異様な雰囲気も生み出す。本当にWBC独特というのか、日の丸独特というのか、球場の盛り上がりの中に僕らも入って一体になっていたので、興奮もあり、ちょっと怖い感じもあり。ファンの方々1つになって送ってくれる声援は非常に心強いですけど、同じくらいプレッシャーも感じましたね」。
さらに、この時は松井氏に加え、鳥谷選手、井端選手、坂本勇人選手と、遊撃を本職とする選手が4人選出されていた。そのため、MLB時代の経験を買われた松井氏は、主に二塁で鳥谷選手と併用され、代打など慣れない途中出場の機会も多かった。「いつ代打の声がかかるか分からないし、1打席に懸けなければいけないので、気持ちはずっと落ち着くことなく張り詰めたままでした」と苦笑いする。

無念の準決勝敗退…代打で向かった最後の打席
日本は1次ラウンドではキューバに敗れ、2勝1敗の2位で2次ラウンドへ進むと、2次ラウンドではチャイニーズ・タイペイ戦で苦しみながらも勝利し、1位で通過。戦いの舞台を東京ドームから米サンフランシスコへと移した準決勝でプエルトリコに1-3で敗れ、涙を呑んだ。9回2死一塁で代打として打席に立ち、センターフライに倒れた最後の打者が松井氏だった。
「ファンの方々の期待を受けながら、3連覇を果たせなかった悔しさは非常に大きいものでした。ちょっと何も考えられない、そんな状態でしたよね」
無念のベスト4という結果ではあったが、松井氏は真っ直ぐな視線で「WBCを経験できて良かったです」と言い切る。
「今、WBCに憧れる子どもたちもいるし、WBC出場を目標にする選手もいる。大谷(翔平)選手もWBCを見て育てきた1人ですから、特別な大会になりましたよね。あの舞台を経験できたことは本当に良かったと思います」
選ばれし者しか味わうことができない独特の雰囲気や興奮、緊張感など全てが、野球人として大きな財産になっている。
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