元チャイニーズ・タイペイ代表・陽岱鋼の成長を後押し WBCで痛感した「日本の野球」

2024.6.17

かつて北海道日本ハム、読売で俊足・強打の外野手として活躍した陽岱鋼(よう・だいかん)外野手は、今年からオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(以下オイシックス新潟)に所属し、イースタン・リーグでNPB球団の2軍と戦っている。台湾出身の陽選手は、過去にチャイニーズ・タイペイ代表の一員として野球日本代表「侍ジャパン」と対戦した経験が、自分の成長を促してきたと語る。

写真提供=Full-Count

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19歳で第1回WBC出場、日本代表に驚嘆「控えを含めて全員スター」

 かつて北海道日本ハム、読売で俊足・強打の外野手として活躍した陽岱鋼(よう・だいかん)外野手は、今年からオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(以下オイシックス新潟)に所属し、イースタン・リーグでNPB球団の2軍と戦っている。台湾出身の陽選手は、過去にチャイニーズ・タイペイ代表の一員として野球日本代表「侍ジャパン」と対戦した経験が、自分の成長を促してきたと語る。

 陽選手が初めてチャイニーズ・タイペイ代表のトップチームに選出されたのは、まだ19歳の時だった。日本の福岡第一高に留学し、2005年の高校生ドラフト(高校生選択会議)で北海道日本ハムから1位指名され入団。翌2006年3月、プロデビューを飾る前に代表チームへ招集され、第1回ワールド・ベースボール・クラシック™(以下WBC)に出場することになった。

 東京ドームで行われた第1ラウンドの日本戦には出場できず、終始ベンチから見守った。それでも「日本はイチローさん(当時シアトル・マリナーズ)をはじめ1番から9番まで、いや、控えの選手を含めて全員がスターでした。リリーフに出てくる投手も、各球団のエースばかり。改めて憧れましたし、これからNPBでやっていくなら、もっと頑張らないといけないと痛感しました」と衝撃を受けた。チャイニーズ・タイペイはこの試合で、日本に3-14で7回コールド負けを喫した。

第3回WBCの第2ラウンド、鳥谷の二盗に「これこそ日本の野球だ」

 そして「自分が出場した国際試合で一番印象に残っている」と話すのは、2013年第3回WBC。やはり東京ドームで行われた第2ラウンドの日本戦だ。陽選手が「1番・左翼」でフル出場したこの試合で、チャイニーズ・タイペイは3-2とリードして9回を迎え、日本を敗戦一歩手前まで追い詰めた。

 しかし、日本はこの回1死走者なしの崖っぷちから、鳥谷敬内野手(当時阪神)が四球で出塁し、2死後に井端弘和内野手(当時中日、現侍ジャパン監督)の初球で二盗成功。井端選手の中前適時打で同点に追いついたことは、広く語り草になっている。結局、日本は延長10回に1点を取り、4-3で逆転勝ちした。

 アウトになれば敗戦の状況で二盗を決めた鳥谷選手には、今も称賛の声が絶えない。実は、この場面でレフトを守っていた陽選手には『盗塁してくるのではないか』という予感があったが、バッテリーに注意を促す間もなく決められた。

「チャイニーズ・タイペイにとって、あのタイミングでの盗塁はちょっと考えられないですが、日本で長年、9回2死になっても諦めない野球を教わっていた僕は『動いてくるかもしれない』と思いました」と説明。「足が速く、盗塁技術が高く、読みも素晴らしい鳥谷さんだからこそできたことですが、僕は『これこそ日本の野球だ』と感じました」と感慨深げに振り返る。


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日本の高校に留学したきっかけ「基本がしっかりしている」

 そもそも、陽選手が日本の高校に留学したのも、小学6年で世代別のチャイニーズ・タイペイ代表に入り、世界大会のアジア予選で日本と対戦したことがきっかけだった。

「試合には勝ったのですが、同い年の日本の子どもはみんな上手で、守備にしても走塁にしても、基本がしっかりしていることが印象に残り、日本の高校に行きたいと考えるようになりました。それに、台湾でも甲子園での高校野球の様子が放送されていて、憧れを抱いたことも日本に来た理由の1つです」と明かす。

独立リーグで若手を積極指導も「アドバイスというより“交流”」

 現在37歳となった陽選手は、オイシックス新潟で若い選手へ積極的にアドバイスを送る姿が目にとまる。だが、陽選手自身に言わせれば「アドバイスというより“交流”です」となる。

「もちろん聞いてくれればアドバイスもしますが、基本的に『僕は打席でこういうところを意識しているけれど、君はどう?』という感じ。僕の方が自分にない感覚を知り、新たなことを試してみるきっかけになっています。日々、野球の勉強です」と穏やかな笑顔を浮かべる。

 日本の高校に留学してから22年目。国境を越え、年齢も超え、誰よりも野球を通じた“交流”を実践してきたのが陽選手なのかもしれない。

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