「奥川と一緒に」読売・山瀬慎之助が描く未来 1軍定着から目指す侍ジャパンへの飛躍

2024.5.13

昨季までの1軍出場は13試合にとどまるが、それでも日本球界屈指の強肩と評され、将来を嘱望されているのが山瀬慎之助捕手(読売)だ。幼馴染の奥川恭伸投手(東京ヤクルト)と小学校、中学校、高校時代を通じてバッテリーを組み、高校3年の2019年夏には揃って野球日本代表「侍ジャパン」U-18代表として韓国で行われた「第29回 WBSC U-18ベースボールワールドカップ」に出場した。今年でプロ5年目。当時思い描いた未来に向かって、歩み続けている。

写真提供=Full-Count

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2019年に「第29回 WBSC U-18ベースボールワールドカップ」に出場

 昨季までの1軍出場は13試合にとどまるが、それでも日本球界屈指の強肩と評され、将来を嘱望されているのが山瀬慎之助捕手(読売)だ。幼馴染の奥川恭伸投手(東京ヤクルト)と小学校、中学校、高校時代を通じてバッテリーを組み、高校3年の2019年夏には揃って野球日本代表「侍ジャパン」U-18代表として韓国で行われた「第29回 WBSC U-18ベースボールワールドカップ」に出場した。今年でプロ5年目。当時思い描いた未来に向かって、歩み続けている。

 そもそも「慎之助」という名前は、今年から読売の1軍を率いる阿部慎之助監督にちなんで付けられた。「僕が生まれた2001年は、阿部監督のプロ1年目。野球好きの父と、学生時代にソフトボールをやっていた母が、ルーキーでジャイアンツの正捕手になるなんてすごいということで、名前をいただきました」と説明する。

 石川県かほく市出身。奥川投手とは小学1、2年で同じクラスになり、2年の時に地元の軟式野球チーム「宇ノ気ブルーサンダー」で一緒に野球を始めた。当初から、球の速い奥川投手はピッチャー、強肩の山瀬選手はキャッチャーでバッテリーを組んだ。それ以降、野球人生は奥川投手とともにあった。

 宇ノ気中学時代には、全国中学校軟式野球大会で優勝。県内きっての強豪の星稜高に進学することになる。実は山瀬選手には、他の高校から「ピッチャーとして来てくれないか」という誘いもあったが、奥川投手とバッテリーを組み続けることを選んだ。

「野球を始めてからずっと奥川がいて、投げることも、打つことも僕より上。足も速かった」と振り返るが、「中学まで球速は同じくらいでした。最後にスピードガンで計って勝負したのは中2の時。僕は138キロ、奥川は137キロで、勝って終わっているんです」と笑う。

 星稜高では2年の春から4季連続で甲子園に出場し、最後の3年夏には決勝に進出して準優勝。そして、8月30日開幕の「U-18ベースボールワールドカップ」に臨んだ。


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「奥川の球を受けていたからこそ、他の投手の球も余裕を持って受けられた」

 侍ジャパンU-18代表の同僚は、岩手・大船渡高の佐々木朗希投手(千葉ロッテ)をはじめ、沖縄・興南高の宮城大弥投手(オリックス)、岡山・創志学園高の西純矢投手(阪神)、愛知・東邦高の石川昂弥内野手(中日)ら、そうそうたる顔ぶれだった。

 それでも「いろいろな投手がいて、全員の球を受けましたが、奥川がずば抜けて良かった」と断言する。「逆に僕は奥川の球を捕っていたからこそ、他の投手の球も余裕を持って受けることができました」と頷く。

 当時から最速163キロを誇っていた佐々木投手は「今思えば、あの大会では調子が良くなかったのかもしれません。めちゃくちゃ速くて、フォークもすごく落ちましたが、少し粗い感じがしました」と見ていた。「朗希とは大会期間中、2人部屋で一緒に過ごして、ストイックなやつだなと感じました」とも。

 現在オリックスで活躍している宮城投手には「左投手でこんな球を投げるピッチャーがいるのか」と驚かされたという。「高校生の左投手は、対角にあたる右打者の内角には投げられても、外角への球はシュートしてしまう。しかし、宮城は外角にも強い球を投げられて、変化球も全ての球種の精度が高かったです」と証言する。

 それでも大会中、ピカイチの投球を演じたのは、やはり奥川投手だった。スーパーラウンド初戦のカナダ戦に先発すると、ストレートとスライダーが冴えに冴え、7回2安打1失点。ソロ本塁打1発こそ浴びたものの、なんと21アウトのうち18アウトを三振で奪った。「6回までに100球の球数制限が微妙なところにきていたのですが、『行けます』と言ってマウンドに上がり、実際にイニングを投げ切ったのもすごかった」と振り返る。これまで受けてきた中でも、1、2を争うピッチングだった。

 同大会は最終的に5位に終わったが、山瀬選手の胸の内には「いつか、侍ジャパンのトップチームでやりたい。できれば、奥川と一緒に」という強い思いが生まれた。

今春のキャンプは1軍に抜擢、開幕は2軍スタートも5月に昇格

 当時は「まだ幼くて、海外の選手を見ても『日本とは違う野球をやるな』とか、『日本人とは比べものにならないパワーを持っている選手がいるな』という程度しか感じられなかった」。しかし、プロとして日々勉強を積んできた今は改めて、海外のトップ選手たちと対戦してみたいと思っている。

「僕は日本でしか野球をやったことがないので、偏見のようなものもあると思います。外国人選手ともコミュニケーションを取りながら、ぶち壊していきたいです」と考えるようになったのも、国際大会を経験できたからこそだろう。

 侍ジャパントップチーム入りの目標を達成するにはもちろん、チームで1軍に定着し、レギュラーの座をつかむことが大前提だ。今年は春季キャンプで1軍に抜擢され、オープン戦では5試合で打率.400(5打数2安打)をマーク。開幕1軍は逃したが、今月8日に初昇格を果たした。

「守備のスキルでは、誰にも負けないと思っています。あとは打撃。それに、守りの面では信頼度など、判断の難しいところが基準になると思います。まずはグラウンド外を含めて、投手、首脳陣の信頼を積み重ねていきたいです」と課題を明確に認識している。

 奥川投手も2021年に9勝を挙げ、ポストシーズンでも大活躍した後は、故障に苦しんでいるが、遠からず本来の投球を取り戻すはず。山瀬選手が幼馴染と一緒に、国内トップの場に立つ日が楽しみだ。

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