アルバイト生活から一念発起 劇的なWBC優勝まで繋がった城石コーチと“師”の縁

2024.4.8

野球日本代表「侍ジャパン」が「2023 WORLD BASEBALL CLASSIC™」(以下WBC)で世界一の歓喜を味わってから1年が経った。当時、栗山英樹監督を内野守備・走塁兼作戦コーチとして支えた東京ヤクルトの城石憲之2軍総合コーチは「夢だったんじゃないかなって、たまに思うんです。あの1か月は特別な時間だったというか……別ものなんですよね」と噛みしめるように言った。

写真提供=Getty Images

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栗山ジャパンのWBC優勝に内野守備・走塁兼作戦コーチとして貢献

 野球日本代表「侍ジャパン」が「2023 WORLD BASEBALL CLASSIC™」(以下WBC)で世界一の歓喜を味わってから1年が経った。当時、栗山英樹監督を内野守備・走塁兼作戦コーチとして支えた東京ヤクルトの城石憲之2軍総合コーチは「夢だったんじゃないかなって、たまに思うんです。あの1か月は特別な時間だったというか……別ものなんですよね」と噛みしめるように言った。

 それほどまでに濃く、信じられないようなストーリーが描かれた。準決勝のメキシコ戦は、不振だった村上宗隆内野手(東京ヤクルト)の一打で逆転サヨナラ勝ち。決勝の米国戦は、大谷翔平投手(現ロサンゼルス・ドジャース)がロサンゼルス・エンゼルスで同僚だったマイク・トラウト外野手から空振り三振を奪って締めくくった。まるで漫画のような展開が続いたが、城石コーチにも負けないくらいの物語があった。

 大学の野球部になじめず、わずか1週間で中退した後、約2年間野球から離れてガソリンスタンドなどでアルバイト生活を送った。そんなある日に出会ったのが、栗山監督が現役時代に上梓した著書「栗山英樹29歳 夢を追いかけて」だった。メニエール病を患いながら野球を諦めない栗山監督の言葉に心を打たれ、再び野球の道へ。日本ハムの入団テストを受けて合格し、1994年ドラフト5位で指名され、プロ野球選手になるという夢を叶えた。

 1998年、開幕直前のトレードで導かれるように栗山氏がプレーしたヤクルトへ移籍すると、堅守を武器に出場機会を増やした。故障や若手の台頭などもあり、2009年限りで現役を引退。翌年には1軍守備走塁コーチに就任し、指導者の道を歩み始めた。

 2015年から北海道日本ハムに移り、栗山監督の下でコーチ職に就いたことが「自分のコーチ像を100%変えてくれた」という。球界の常識にとらわれず、チームや選手を本気で思う姿に共感し、「これだけチームや選手のことを考えてやらないといけないんだなって。色々なタイプの人がいますけど、僕は栗山さんの考え方にマッチして、そのやり方に引っ張られました」と感謝の思いを述べた。

侍ジャパンのコーチ要請に喜びも「時間が進んで、正直ビビり始めていました」

 そんな“師”から、WBCに向けて準備を進める代表チームのコーチ要請が来た。「ジャパンの経験もなかったので、最初は本当に嬉しかったですけど、時間が進んで相手チームのメンバーを見ていくにつれて、正直ビビり始めていました」というのが本音だが、参謀として最高の景色をともに見た。「漫画みたいですよね。全て繋がっていたのかなって」。不思議な巡り合わせに、運命を感じずにはいられない。

 超一流選手ばかりが集まる代表チームのコーチとして、最初は戸惑いもあった。面識のない選手も多かったが、時間は限られている。宮崎キャンプから守備練習後には作戦面の確認だけではなく、使っているグラブの話などをしながら、選手と打ち解けていった。初めてメイン球場でシートノックのノッカーを務めた時には「空振りするんじゃないかというくらい緊張していた」とガチガチに。その様子に気付いた甲斐拓也捕手(福岡ソフトバンク)から“イジリ”も受け、「格好つけて隠すこともないし、さらけ出してやっていました」と笑う。

 日を重ねるごとに、それぞれの選手の性格も理解していった。作戦担当コーチとして、代打や途中出場する選手に伝達するタイミングには人一倍気を遣い、選手がいいパフォーマンスを発揮できるように奔走した。

 緻密な野球や準備力に加えて、チームワークは日本代表が誇る武器の1つだった。印象的な場面として、城石コーチは宮崎キャンプで最初に行った投内連携やサインプレー練習を回顧する。

「ダルビッシュ(有投手 サンディエゴ・パドレス)がキャンプに最初から来てくれて、一緒にやったんです。僕は正直、米国ではそんなに練習しないだろうし、日本に来ていきなりでもあるし、負担になるならサインプレー練習とかはやらなくてもいいと思っていたんです。でも、凄く前向きに『僕もやります』と。正直、得意そうではなかったけれど、それが逆に他の選手にとって壁がなくなるきっかけになったのかなと感じました。室内でやったからファンの方もメディアもいなくて、選手にも笑いが出たりといい雰囲気で、そこから1つになったんじゃないかなと思いました」


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一流選手のルーティンや練習姿勢は、若手指導のヒントに

 約1か月間、代表選手を見ていて「ルーティン、練習の仕方が凄く確立されている。チームでする練習は、あまり大きな割合を占めていないんです。意外と野球って個人の能力が大事なんだなと改めて思いました」と、“成功するためのヒント”を感じたという。

 現在は東京ヤクルトで2軍総合コーチを務める。ドラフトで獲得した選手を育成することがメインのため、代表チームでの役割とは異なる部分が多い。それでも「今(2軍に)いる若い選手たちも、何か一つやり方を変えたり意識を変えたりすれば、それで開花する可能性は秘めているんじゃないかなと思うようになった。内容は全く違ったけど、ヒントは見つけられたかなというのはあります」と、今後のコーチングにも活かせる財産を得た。

 WBCの激闘を終えた後、栗山監督にふと「城石、これからの10年だからね」と声を掛けられた。どんな意味があるのかは、あえて聞かなかった。そして、その後、顔を合わせても、この話はしていない。

「この10年は、今まで以上に真剣に生きないとなって。ある意味、僕も自分探しの10年なんです。どういう生き方をしないといけないのか、まだ探し中ですけど、答え合わせは10年後、会って聞いてみたいですね」

 恩師とともにたどり着いた世界一と、そこから課された“宿題”。城石コーチはどんな道を歩んでいくのだろうか。

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写真提供=Getty Images, Full-Count

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