「プラスに思えばプラスの結果に」 牧田和久を変えた日本通運での4年間

2022.3.7

希少なサブマリンとして埼玉西武、サンディエゴ・パドレス、東北楽天でプレーした牧田和久投手。無所属の現在は現役続行を目指し、古巣の社会人・日本通運のグラウンドなどで自主トレを続けている。牧田投手はドラフト2位で2011年に埼玉西武入り。1年目から22セーブを挙げる活躍で新人王に輝き、翌年には先発投手として13勝(9敗)をマーク。シーズン終了後に日本代表メンバーに選ばれ、2013年の「第3回ワールド・ベースボール・クラシック™」では中継ぎ投手として活躍した。ドラフト指名された当時は25歳と若くはなかったが、日本通運での経験はかけがえのない4年間だったという。

写真提供=Full-Count

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日本通運から2011年に西武入り、新人王に輝いた後に日本代表として活躍

 希少なサブマリンとして埼玉西武、サンディエゴ・パドレス、東北楽天でプレーした牧田和久投手。無所属の現在は現役続行を目指し、古巣の社会人・日本通運のグラウンドなどで自主トレを続けている。

 牧田投手はドラフト2位で2011年に埼玉西武入り。1年目から22セーブを挙げる活躍で新人王に輝き、翌年には先発投手として13勝(9敗)をマーク。シーズン終了後に日本代表メンバーに選ばれ、2013年の「第3回ワールド・ベースボール・クラシック™」では中継ぎ投手として活躍した。ドラフト指名された当時は25歳と若くはなかったが、日本通運での経験はかけがえのない4年間だったという。

 社会人2年目の2008年。主力メンバーとしてマウンドに上がり、結果が伴い始めると、プロ入りという目標がおぼろげながら見えてきた。日本通運に入社した時には「全くなかったです」という目標だが、「100%(プロに)行ける確信はなかったですが、次第にボールそのものも良くなってきて『行けるのではないか……』という思いが沸いてきました」と振り返る。

リハビリ中に脳科学の本を熟読「プラスに思えばプラスの言動や結果になる」

 まさかの出来事が起きたのは、新たな目標に向かって歩み始めた時だった。

 2008年秋に開催された社会人野球日本選手権大会の1回戦・トヨタ自動車戦でマウンドに上がると、相手の1番打者だった荒波翔内野手(元横浜DeNA)がセーフティバントを敢行。咄嗟にバント処理を試みた際、右膝前十字靭帯を断裂した。負傷時は23歳。「年齢も年齢だったので、1度はプロ野球を諦めました」。全治1年の大怪我はプロ入りの目標を遠ざけるものとなった。

 だが、決して無駄な時間にはならなかった。当時のチームトレーナーから脳科学の本を薦められて熟読。その中で印象に残る言葉があった。

「マイナスに思ったらマイナスな行動や言動になる。プラスに思えばプラスの言動や結果になる」

 考え方が変われば投球も変わる。復帰後は、この思考の変化で投球に自信が芽生え、メンタルが強くなった。

「四球を出したらだめだと思わずに、ある意味開き直って、ストライクゾーン内に強く投げることを考えました。そうすると、しっかり腕を振れるようになり、ボールもうまくコースに入って結果にも表れた。そこから何事もマイナスではなく、プラスに考えて取り組むようになりました。怪我をして野球についてしっかり考えるようになった。その部分が成長につながったんだと思います」

思い出の日本通運グラウンドで自主トレ「必死だった自分を思い出します」

 戦列に復帰した後は、いったんプロ入りという目標を消し、チームのため必死に腕を振った。

「とにかく復帰してからは、会社やチームメートに『牧田がいて良かった』と思ってもらえるような活躍をしたい、なんとかチームのために、とやった。その結果がプロ入りにつながりました」

 大怪我を糧に成長を遂げた右腕は、プロ入りの目標を叶え、2018年には海を渡り、メジャーリーグに移籍。2年を過ごした米国では様々な経験を積んだ。2020年からは活躍の場を日本に戻し、東北楽天でプレー。昨季終了後に自由契約となった。

 プロ入りまでの日々を過ごした日本通運グラウンドでの自主トレは、37歳を迎えた自身を奮い立たせるものがある。

「自分を成長させてくれた場所。現役の社会人選手を見ていると、当時の必死だった自分を思い出します」

 かけがえのない社会人時代の経験とともに、サブマリンが次の舞台へ挑んでいく。

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