野球愛を知った3年間 元読売左腕が感謝する日本通運硬式野球部で過ごした時間

2020.5.11

昨年まで都市対抗野球大会に5年連続、通算44度の出場を果たしている日本通運硬式野球部は、これまで数多くのプロ野球選手を輩出してきた。現役として牧田和久投手(東北楽天)、生田目翼投手(北海道日本ハム)がプレーする中、埼玉西武の辻発彦監督をはじめ引退後も野球界で活躍するOBは多い。オリックス、読売でプレーし、現在は読売の球団広報部員として活躍する阿南徹氏もその1人だ。「社会人時代がなければ今の自分はありません」と、3年を過ごした古巣への感謝を忘れない。

写真提供=読売巨人軍

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オリックスと読売で7年プレー、現在は読売の球団広報として活躍する阿南徹氏

 昨年まで都市対抗野球大会に5年連続、通算44度の出場を果たしている日本通運硬式野球部は、これまで数多くのプロ野球選手を輩出してきた。現役として牧田和久投手(東北楽天)、生田目翼投手(北海道日本ハム)がプレーする中、埼玉西武の辻発彦監督をはじめ引退後も野球界で活躍するOBは多い。オリックス、読売でプレーし、現在は読売の球団広報部員として活躍する阿南徹氏もその1人だ。「社会人時代がなければ今の自分はありません」と、3年を過ごした古巣への感謝を忘れない。

 2009年のドラフト会議でオリックスに5巡目で指名された阿南氏は、先発も中継ぎもできる左腕として大きな期待を寄せられた。仮契約を結んだ後、日本通運の選手、コーチ、関係者の前で感謝の気持ちを込め、挨拶をした。その時の言葉を、今でもはっきりと覚えている。

「自然と言葉が出ました。『皆さんのお陰で、このような挨拶ができています。この場に立たせていただいて、ありがとうございました』とお礼を伝えました。周りの方々に感謝、感謝です。間違いなく、自分の力だけではプロ野球選手にはなれなかったと思っています」

 日本通運での3年間は、人と人との繋がりを学んだ時間だった。

 城西大学から2007年に日本通運に入社。当初は同期入社の選手たちのレベルが高く、「自分がプロに行けるなんて想像もしていなかった」という。1年目はビデオ係として試合を撮影して、データを分析。練習試合に登板しても大学生相手に大量失点するなど、「夢」として追いかけていたプロの世界は遠のいていく気がしていた。

 ピッチングについて、1人でいくら考えても改善策は見つからない日々。それならば、考えすぎるのをやめよう――。阿南氏は覚悟を決めた。

「毎日球数だったり、試合でこういうピッチングをしたという反省点を日誌に書いていましたが、やめました。自分が考え過ぎなんじゃないかと思えてきたんです。普通ならば、書いて改善点を見つけて良くなるんですが、もう野球を辞めてもいいという覚悟を持って、吹っ切ってみようと思ったんです」

日本通運で投球スタイルを大幅変更、周囲のサポートを得ながら3年目はエースに成長

 余計なことは考えない。ピッチングも球速を追い求めるスタイルはやめ、制球力を磨いていくことに決めた。それというのも、社会人野球の歴史に残る名投手たちは、ストライクゾーンの四隅に投げ分けるコントロールを重視していたと知ったからだ。

 練習方法も変えた。投手コーチから教えてもらったのは、足袋を履いて10本の足指でしっかりと地面をつかみ、ピッチングやネットスローをすること。しっかりとフォームを固めながら、制球力に磨きをかけた。考え方だけではなく、投手として目指す方向性も変えていこうと努めると、次第に明るい兆しが見えてきた。

 2年目に入ると、先発投手として期待されるようになった。2008年4月に行われた第32回JABA日立市長杯選抜野球大会ではチームを優勝に導く2勝の活躍。決勝戦でも勝利投手となり、最高殊勲選手賞を受賞した。

 その後も成長著しく、都市対抗野球大会予選では大一番を任される信頼を獲得。主戦投手になった3年目こそ、都市対抗野球大会本戦で勝利できなかったのは心残りだが、プロ注目の好投手に成長を遂げた。

「3年目は(都市対抗野球大会の初戦で)東京ガスと対戦しました。6回1/3を投げて3失点。相手は榎田大樹投手(現・埼玉西武)や美馬学投手(現・千葉ロッテ)が投げていました。予選は1回も負けたことはなかったんですが、本戦で勝てなかったのは会社に申し訳ないという思いがありました」

日本通運で学んだ「チーム、野球を愛する伝統」を生かし、プロ野球とファンの架け橋に

 初戦で敗れはしたが、成績よりも誇れるものがあった。自分を大きく変えてくれた、硬式野球部の先輩たちと過ごした時間だ。その濃密な時間があったからこそ、エースとして都市対抗野球大会のマウンドに立てるまでに成長できた。

「皆さん、普段は優しい先輩ですが、野球に対しては厳しくて、熱かったです。野球愛を教えてもらった場所です」

 1試合にかける執念はもちろん、練習から全員がチームの勝利のためにどう動くべきかを考え、行動していた。幼い頃に野球と出会い、高校、大学とプレーしてきたが、ここまでチーム全員の意識が高いと感じた集団は初めてだったという。阿南氏も自然とチームの勝利を最優先に考え、制球力を磨く練習にも熱がこもった。

「先輩方の姿を見ているだけでも、自分が頑張らないといけないと思いました。だんだん、チーム愛が自分の体にも染みついてきました。野球部にいた方々のおかげで、僕は変わらせてもらった。野球観を変えてもらい、自然と自分の課題に真剣に取り組めるようになりました」

 2年目の秋、同期入社の野本圭外野手が中日にドラフト1位指名された。この時、監督から「次はお前の番だぞ」と声をかけられたという。夢のまた夢だったプロへの道が、次第に拓けていた。だが、それは自分1人では成し得なかったこと。入社当時、自分でも気付かなかった潜在能力は、周囲の支えがあったからこそ開花したと思っている。

「あの3年間でチーム、野球を愛する日本通運の伝統を学びました。だからこそ、僕はプロ野球という世界に入ることができ、今でも球団スタッフとして働かせていただけていると思っています」

 オリックスで3年、読売で4年プレーした左腕は、読売時代の2014年にイースタン・リーグで22試合8勝6敗、防御率2.76の成績で、最優秀防御率のタイトルを獲得した。1軍では2013年に1勝を挙げたが、最後は左肘の怪我に苦しみ、2016年を最後に引退。その後、読売から球団職員としてのオファーを受け、現在は広報部でファンと選手の橋渡し役を務める。

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、NPBは今季の開幕を無期延期としている。野球に接することができないファンのために、阿南氏は広報として自主練習に励む選手たちの様子や声をまとめ、メディアに伝えたり、球団公式SNSを使って発信。ファンから好評を得ている。

「ファンの方たちがどういうことを知りたいかを考えて質問しています。最近は、練習のことや家で何をしているのかなどについて聞いています。選手からも発信するためのアイディアを言ってきてくれることもあるんですよ」

 自分が人のために何ができるのか、チームのために何ができるのか、野球のために何ができるのか――。社会人野球で学んだ教えを生かしながら、プロ野球とファンを繋ぐ架け橋になる。

記事提供=Full-Count
写真提供=読売巨人軍

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