新着記事の一覧
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プロも緊張「震えていた」 元北海道日本ハム・田中幸雄氏が振り返るシドニーの戦い
2021.08.16 トップチーム日本代表の五輪挑戦には長い歴史がある。当初はアマチュア選手で構成され、公開競技だった1984年ロサンゼルス大会で金メダルを獲得した。続く1988年ソウル大会で銀メダルに終わると、正式種目となった1992年バルセロナ大会では銅メダル、1996年アトランタ大会では銀メダルと金から遠ざかった。そこで2000年シドニー大会を迎えるにあたり選んだ道は、プロ選手の力を借りること。「侍ジャパン」の名前もなかった時代に、8人のプロがシーズン中にも関わらずチームを離れ、日本野球のプライドを掛けた戦いに臨んだ。
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米国、キューバでの濃厚な3週間 元オリックス・大引啓次氏が大学代表で得た気づき
2021.08.10 U-23オリックス、北海道日本ハム、東京ヤクルトの3球団でプレーした大引啓次氏は2006年、法政大学4年次に大学日本代表の一員に選ばれ、米国で行われた「第35回日米大学野球選手権」と、キューバで行われた「第3回世界大学野球選手権」を戦った。世界の野球を知った経験はその後のプロ生活に生かされ、さらに指導者を目指す今も指針となっている。
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「自分はまだまだレベルが低い」 千葉ロッテ・荻野が大学代表で知った“現在地”
2021.08.02 U-23「実はいつどんな形で試合に出たかも、あまり覚えていないんです。日本のピッチャーがすごく良くて全然打たれずにレベルが高いなと思ったのは覚えていますね。僕自身は打撃も守備もそれほど目立つ方ではなかったので、足を生かした代走などで使ってもらえればいいと思いながらやっていました」
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コミュニケーションが生んだ信頼関係 東北楽天捕手がU-18/U-23代表で得た学び
2015年に開催された「第27回 WBSC U-18ベースボールワールドカップ」の侍ジャパンU-18代表メンバーには、若くしてプロの世界で活躍している投手が多い。当時、その投手陣を引っ張ったのが、静岡高3年の堀内謙伍捕手(現・東北楽天)だった。日の丸を背負って学んだのは、コミュニケーションの大切さと考える力。かつての仲間と1軍の舞台で対戦するため歩みを進めている。
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U-18W杯で獅子奮迅の活躍「とにかく結果を出す」 鷹4年目左腕を支える自信
2021.07.19 U-182017年にカナダ(サンダー・ベイ)で行われた「第28回 WBSC U-18ベースボールワールドカップ」。3位に終わった野球日本代表「侍ジャパン」U-18代表の中で、“魔球”と称されたチェンジアップを駆使し、世界に衝撃を与えた投手がいた。現在、福岡ソフトバンクの中継ぎとして活躍する田浦文丸投手(秀岳館高)だ。
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気が重かった侍ジャパン選出「人間関係が…」 中日の“人見知り”左腕が得た収穫
2021.07.12 トップチーム野球人生で初めて日の丸を背負うのに、どうも気が重たかった。「うわ、終わったなーって感じでしたね」。2018年11月に日本で開催された「2018日米野球」。中日の笠原祥太郎投手は、侍ジャパン選出の報を聞いた時から、不安に駆られていた。なにせ、自他ともに認める人見知り。待ち受けるのは、面識のない超一流プレーヤーたちが集う環境だった。
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若手からベテランまで 新生・稲葉ジャパンを彩る国際試合の経験豊富な面々
2021.07.05 トップチーム6月16日に発表された野球日本代表「侍ジャパン」トップチームの24選手。2021年、稲葉篤紀監督の下で戦うメンバーは若手からベテランまで幅広く網羅された、まさに「日本代表」に相応しい顔ぶれとなった。
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女子代表は「思いを発散できた」場所 元高校球児・片岡安祐美を支えた仲間の存在
2021.06.28 女子小学生を中心に年々、競技人口を増やしている女子野球。チームメートとともに白球を追いかける選手たちが「いつの日か」と憧れるのが、侍ジャパン女子代表としてプレーすることだ。今年3月に予定されていた「第9回WBSC女子野球ワールドカップ」はコロナ禍により延期となったが、日本代表は現在、大会6連覇中。世界でも圧倒的な強さを誇る存在となっている。
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「プロを目標にするきっかけに」 読売・ドラフト2位右腕が大学代表で得た気付き
2021.06.21 U-23激闘の記憶は今も刺激になっている。読売・山崎伊織投手は2019年に開催された「第43回 日米大学野球選手権大会」(以下、日米大学野球)に出場。当時は東海大学の3年生だった。この時、侍ジャパン大学代表として共に戦った投手陣の大半がプロ入り。右肘手術からの復活を目指す山崎投手は今も、当時の仲間の活躍に刺激を受けている。
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「あの経験のおかげで…」 “世紀の落球”G.G.佐藤氏が語る逆転の発想のススメ
2021.06.14 トップチーム2013年に「侍ジャパン」として全世代が常設化される以前から、様々な国際大会で好成績を挙げてきた野球日本代表。日本野球界の頂点とも言える代表に選ばれることは、野球選手にとって最高の栄誉だ。だが、人生最高の舞台が一転、人生最悪の瞬間になることがある。