新着記事の一覧
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日米大学野球で痛感した新球種の必要性 阿波野秀幸氏がスライダーを覚えた理由
2022.02.14 U-23現役時代は近鉄、読売、横浜と3球団で活躍した阿波野秀幸氏。ルーキーイヤーの1987年に西崎幸広氏(日本ハム)とのデッドヒートを制して新人王に輝くと、1989年には19勝を挙げて最多勝のタイトルを獲得した。エース左腕として一時代を築き上げたが怪我に泣かされることも多く、2000年を最後に現役引退。読売、中日などで投手コーチを務め、指導者として手腕を振るっている。
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筒香嘉智がアンダー世代に伝えたいイメージする力 「自然と目標に近付ける」
2022.02.07 トップチーム今年で渡米3年目を迎えるピッツバーグ・パイレーツの筒香嘉智内野手。現役選手として日々、自身のさらなる成長に努めると同時に、愛する野球の未来を考え、提言する人としても知られている。
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侍ジャパン選出は「非常に光栄なこと」 米国に渡った筒香嘉智が抱く代表への想い
2022.01.31 トップチーム2017年3月21日(日本時間22日)。「2017ワールド・ベースボール・クラシック™」(以下第4回WBC)準決勝の舞台となったドジャースタジアムは、年に数えるほどしか訪れない雨模様だった。南カリフォルニアを象徴する青空は分厚い雨雲に覆い隠されてしまっていたが、グラウンドで繰り広げられる試合は回を追う毎に熱気を増す一方だった。
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「広い世界を知ることは大事」 元北海道日本ハム・榎下氏の人生を変えた高校代表
2022.01.24 U-18北海道日本ハムで現在、国際グループ兼広報として活躍する榎下陽大氏は、鹿児島工業高のエースとして2006年夏の甲子園で4強に進出したことがある。さらに全日本高校選抜チームの一員として渡米し「日米親善高校野球大会」に参加、本場の“ベースボール”に触れた。代表でのチームメートは田中将大投手(東北楽天)、斎藤佑樹投手(元北海道日本ハム)という、社会現象にまでなった面々。榎下氏はこの代表経験を通じ、大げさではなく「人生が変わった」という。高校最後の夏、日本代表として何を経験したのか。
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1軍出場の先に待つ同級生との“再会” 福岡ソフトバンク海野を刺激する仲間の活躍
2022.01.17 U-23ひりつくような緊張感の中で戦ったことを、今でも鮮明に覚えている。福岡ソフトバンク・海野隆司捕手が初めて日の丸のユニホームに袖を通したのは2018年のこと。その夏に米国で開催された「第42回日米大学野球選手権」(以下、日米大学野球)、そしてオランダで開催された「第29回ハーレムベースボールウィーク」で、野球日本代表「侍ジャパン」大学代表に選ばれた。
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栗山ジャパンがいよいよ始動 “世界一奪還”に向けた初陣は3月の台湾戦
2022.01.10 トップチーム2022年、栗山英樹新監督を迎えた野球日本代表「侍ジャパン」トップチームは、2023年3月に開催予定の「第5回ワールド・ベースボール・クラシック™」(以下WBC)での世界一奪還という目標に向かって動き始める。
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左肩を故障もWBC連覇貢献「本当に貴重な経験」 元阪神・岩田稔氏が手にしたもの
2021.12.27 トップチーム1型糖尿病を抱えながらも送った16年間のプロ野球生活に、2021年を最後に幕を閉じた元阪神の岩田稔氏。2009年に行われた「第2回ワールド・ベースボール・クラシック™」(以下WBC)では初めて日の丸を背負い、大会2連覇に貢献した。国民の期待を一身に受けてマウンドに上がった経験は、引退した今でも大きな支えになっている。
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武田勝氏が“ど真ん中へ投げる勇気”知った舞台 技巧派左腕が日本代表で得たヒント
2021.12.20 社会人北海道日本ハムで投手コーチを務める武田勝氏は、プロ入り直前となる2005年9月、オランダで開催された「第36回IBAFワールドカップ」で初の日本代表入りを果たした。国際大会の常識に驚き、アクシデントにも見舞われたが、そこでの出会いはプロ入り後に大きなヒントになったという。
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主要国際大会では無失点 「頼られたい」侍ジャパン絶対的クローザーの矜持
2021.12.13 トップチーム横浜DeNAの山崎康晃投手はプロ7年間で通算170セーブを挙げ、最多セーブ投手にも2度輝いた名クローザーだが、国際大会となるとまさに無敵。プロ入り後は強化・壮行試合を除く主要な国際大会で5度、日本代表のユニホームに袖を通し、計15試合15イニングで1点も許していないのだ。野球日本代表「侍ジャパン」を象徴する男が、大舞台で力を発揮できる秘訣を明かした。
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“真の”大学代表で一念発起 福岡ソフトバンク2年目外野手が学んだ考える力
2021.12.06 U-23日の丸をつけて戦った日々は刺激に満ちていた。福岡ソフトバンクの柳町達外野手は慶應大学4年時の2019年7月、野球日本代表「侍ジャパン」大学代表の1人として「第43回日米大学野球選手権大会」に参加し、メジャーリーガーの卵たちとの戦いに臨んでいた。