キーワードは「結束」 侍ジャパン稲葉篤紀監督が残した金メダルという功績
野球日本代表「侍ジャパン」トップチームは今夏、悲願の金メダル獲得という快挙を成し遂げた。「WORLD BASEBALL CLASSIC™(WBC)」では2度頂点に立ちながら、歴史あるスポーツの祭典では遠かった優勝の二文字。日本球界挙げての最重要課題に決着をつけた24人の侍戦士を率いたのが、稲葉篤紀監督だった。2017年7月31日の就任発表以来、およそ4年にわたる足跡を振り返る。
写真提供=Full-Count
トップチームだけではなく、侍ジャパン、日本球界全体での「結束」を実現
野球日本代表「侍ジャパン」トップチームは今夏、悲願の金メダル獲得という快挙を成し遂げた。「WORLD BASEBALL CLASSIC™(WBC)」では2度頂点に立ちながら、歴史あるスポーツの祭典では遠かった優勝の二文字。日本球界挙げての最重要課題に決着をつけた24人の侍戦士を率いたのが、稲葉篤紀監督だった。2017年7月31日の就任発表以来、およそ4年にわたる足跡を振り返る。
2017年に開催された第4回WBCでは決勝トーナメントまでコマを進めながら、準決勝で米国に敗れた侍ジャパン。世界一を目指すべく、当時の小久保裕紀監督からバトンを受け継いだ稲葉監督は、2014年に現役引退した直後から侍ジャパン打撃コーチを経験。選手たちと感覚が近い兄貴的存在でありながら、選手・首脳陣と両方の立場から日本代表を知るだけに、監督就任は自然な流れだったのかもしれない。
就任会見で世界の頂点に立つと宣言した指揮官が、4年間を通じて大切にしてきたのが「結束」だ。まずは、トップチーム内の結束。そして、アンダーカテゴリーから女子も含めた侍ジャパンとしての結束。さらには、日本球界としての結束。代表合宿を開く時、稲葉監督が最初のミーティングで必ず話すのが「子どもたちが憧れるような代表でいよう」ということだった。今現在の結果を追い求めるだけではなく、未来の球界を担う次世代を見据えた広い視野もまた「結束」を象徴するものだ。
就任以来、積極的に国際大会を戦い、数多くの選手に代表経験を積ませた
初采配は2017年11月の「ENEOS アジアプロ野球チャンピオンシップ2017」。日本、韓国、チャイニーズ・タイペイが参加する大会には24歳以下(オーバーエイジ枠あり)の若手選手たちで臨み、3戦全勝で初代王者に輝いた。
2018年3月には「ENEOS 侍ジャパンシリーズ2018 日本vsオーストラリア」に臨み、2試合連続で完封勝利。初黒星を喫したのは、同年11月の「ENEOS 侍ジャパンシリーズ2018 日本vsチャイニーズ・タイペイ」でのことだった。「2018日米野球」の壮行試合。6点を追う展開で9回を迎えた日本は、打者一巡の猛攻で1点差まで詰め寄った。試合に敗れこそしたが、最後まで諦めない粘り強さは日米野球まで続いた。
日米野球では、サヨナラ勝ちした第1戦を含め6試合中3試合で9回に得点。第5戦は8回裏に勝ち越し点を挙げて勝負を決めるなど諦めない姿勢が光り、MLBを代表するスター軍団を相手に5勝1敗と圧勝した。
2019年3月の「ENEOS 侍ジャパンシリーズ2019 日本vsメキシコ」では、同年11月開催の「第2回 WBSCプレミア12」を意識し、代表経験の少ない選手を中心にチーム結成。1勝1敗の戦績だったが、今では侍ジャパンに欠かせない存在となった山本由伸投手(オリックス)、村上宗隆内野手(東京ヤクルト)が代表デビューを飾った大会でもあった。
そして迎えたプレミア12。壮行試合の「ENEOS 侍ジャパンシリーズ2019 日本vsカナダ」第1戦で足に死球を受けた秋山翔吾外野手(当時埼玉西武、現MLBシンシナティ・レッズ)が離脱するアクシデントに見舞われながら、チームは強い結束力を披露。スーパーラウンド第2戦で米国に土をつけられたが決勝へ進み、韓国を5-3で下して大会初優勝。2009年の第2回WBC以来10年ぶりとなる世界一に返り咲いた。
こだわったチーム作り「いい選手を選ぶのではなく、いいチームを作っていきたい」
年が明けた2020年。稲葉ジャパンの集大成とも言える大一番を迎える予定だったが、新型コロナウイルス感染症が世界的に大流行。野球をはじめとするスポーツばかりか、人々の日常生活が一時ストップするという未曾有の混乱を招いた。夏を迎える頃にはようやく社会が動き始め、スポーツ界も徐々に再開したが、侍ジャパンとして選手が活動する機会はないままに終わった。それでも「準備する時間をたくさんいただけたと捉えています」と前を向く指揮官は、11月のみやざきフェニックス・リーグで2試合、現役時代を過ごした北海道日本ハムで采配を振り、試合勘を鈍らせない努力を怠らなかった。
注目された24人の選手選考。稲葉監督は常々「いい選手を選ぶのではなく、いいチームを作っていきたい」と話していたが、その言葉を体現するメンバーが揃った。この4年間、常連組の山崎康晃投手(横浜DeNA)、甲斐拓也捕手、柳田悠岐外野手(ともに福岡ソフトバンク)らを除けば、若手・ベテラン関係なく積極的に招集し、日本代表の経験を積ませながら適性を見た。豊富な選択肢から24人を選ぶ作業は、決して簡単ではなかったはずだ。
単なるスター選手の寄せ集めでは、チームとして機能しない。自チームではレギュラーを外れたことがない源田壮亮内野手(埼玉西武)や近藤健介外野手(北海道日本ハム)らがベンチに回り、昨年の沢村賞受賞者・大野雄大投手(中日)が緊急対応として控えることも。普段は対戦相手として戦うメンバーとともに、滅私の心でチームとしての勝利を追い求められたのも「結束」があったからに他ならないだろう。
2021年8月7日の横浜スタジアム。稲葉監督が全幅の信頼を置く24人の侍戦士は、米国に2-0で勝利し、悲願の金メダルを手に入れた。就任以来4年間積み上げてきた日々が最高の形で結実。指揮官の晴れやかな笑顔に光った涙には、監督として過ごした4年の想いはもちろん、選手として悔しさを味わった北京以来の感情が溢れていた。
日本球界の悲願を遂げた稲葉監督は、8月8日に日本代表監督を勇退すると発表した。長いようで短かった4年間で稲葉監督が築いた功績は大きい。侍ジャパンはここからどのような発展を遂げていくのか。これから発表される次期監督への期待は一段と高まりそうだ。
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