「望んでもできない経験」 千葉ロッテ・井口監督が語る日の丸を背負う重み
現在、野球日本代表は稲葉篤紀監督率いるトップチームを筆頭に、社会人、U-23、U-18、U-15、U-12、女子の各カテゴリーに分けられ、「侍ジャパン」として常設化されている。全カテゴリーで同じデザインのユニホームを採用したのは2013年のこと。以来、白地にストライプ模様が施され、胸に「JAPAN」の文字、左胸には日の丸が輝くユニホームが、侍ジャパンの勝負着となっている。
写真提供=Full-Count
アトランタ銀メダリストも認める代表ユニホームが持つ特別感
現在、野球日本代表は稲葉篤紀監督率いるトップチームを筆頭に、社会人、U-23、U-18、U-15、U-12、女子の各カテゴリーに分けられ、「侍ジャパン」として常設化されている。全カテゴリーで同じデザインのユニホームを採用したのは2013年のこと。以来、白地にストライプ模様が施され、胸に「JAPAN」の文字、左胸には日の丸が輝くユニホームが、侍ジャパンの勝負着となっている。
2017年から採用される現行モデルでは、4つの日本の伝統色を使用。神聖さと清浄無垢を示す「真白(ましろ)」、かつて侍が戦に勝利をもたらす縁起色として武具を染めたという「青褐色(あおかちいろ)」、日の丸の赤でもある「紅色(くれないいろ)」、そして優美さと力強さを示す「黄金色(こがねいろ)」だ。「真白」「青褐色」「紅色」は、順にホーム、ビジター、セカンドビジター用ユニホームのベース色として用いられ、その上を「黄金色」で描かれた日本の伝統的な縞模様「輪つなぎ」が「ファンと選手を繋ぐ」象徴として輝く。
経験者は皆、代表ユニホームに袖を通すことは「特別なこと」と異口同音に語るが、1996年に米国・アトランタで銀メダルを獲得した千葉ロッテ・井口資仁監督もまた「チームから1人でも多く侍(ジャパン)に入って、ジャパンのユニホームを着てもらいたいと思います」と話す。
アトランタではメンバー20人のうち社会人16人、大学生4人
青山学院大学入学時から「アトランタに出場して、プロに行く」という目標を立てていた井口氏は、1年生の頃から大学代表入りし、まもなく日本代表合宿にも呼ばれるようになった。日本代表デビューしたのは3年生。1995年、アトランタ行きの切符を懸けたアジア地区予選でもある「第18回アジア野球選手権大会」だった。
当時、“オールジャパン”と呼ばれた日本代表はアマチュア選手のみで構成され、その大半は社会人で大学生はごく一部だった。アトランタ本番ではメンバー20人のうち、大学生は井口氏を含む4人だけ。社会人の中には、金メダル獲得に生涯を捧げた“ミスター・アマチュア野球”こと杉浦正則投手(当時・日本生命)や、ドラフト指名凍結選手となってアトランタに臨んだ大久保秀昭捕手(当時・日本石油)らが名を連ねた。
目の当たりにした社会人の熱い想い「我々以上に必死だった」
国を代表して日の丸のついたユニホームを身にまとう。並々ならぬ覚悟と決意で臨んだつもりだったが、社会人選手が世界の頂点に立つこと、そして金メダル獲得に対して抱く、熱く強い想いに圧倒されたという。
「合宿の時から社会人の方と学生のテンションは違いましたね。我々も必死でしたが、社会人の方は我々以上に必死だった。そんな記憶があります。予選も含めて大会期間中に限らず、合宿の時からいつも社会人の方に引っ張ってもらっていた。この舞台は社会人、そしてアマチュアのトップの方が求める場所なんだ、と強く感じました」
自チームの選手に寄せる期待「侍に呼ばれるような選手になってほしい」
だからこそ「正直なところ、僕は五輪はアマチュアで、という思いはあります。プロが出られる世界大会は他にもありますし、僕が今の大学生だったら目指したいと思ったと思います」と本音を明かす。だが、もちろん時代の変化は十分理解しているし、コロナ禍で制約を受けながらも本格始動した稲葉ジャパンには全面協力する気構えだ。
「やっぱり日の丸を背負うということは、ものすごい重みがあること。ただ、普通では考えられないようなプレッシャーの中、ここ一番で何をするべきなのか。それは経験しなければ分からないことだし、その経験は自分が望んでもできないもの。侍(ジャパン)に呼ばれるような選手になってほしいですね」
1996年ドラフト1位(逆指名)で福岡ダイエー入りを決め、21年の現役生活を送った井口氏。日米両球界で頂点を経験し、通算2254安打、295本塁打、1222打点、224盗塁という輝かしいキャリアを打ち立てた土台には、日本代表として戦った経験が大きな影響を与えている。
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