失意の“あのプレー”から救われたU-18W杯出場…横浜高→國学院大・緒方漣の現在地

2026.3.16

日本を代表する遊撃手になるという意志を胸に、ハイピッチで成長を続けている。横浜高3年の2023年夏に、野球日本代表「侍ジャパン」U-18代表として「第31回 WBSC U-18ベースボールワールドカップ」(以下U-18W杯)優勝に貢献し、大会MVPを獲得。國学院大進学後も、昨夏の「第45回 日米大学野球選手権大会」に2年生ながら大学代表として出場した、緒方漣内野手のことだ。

写真提供=Full-Count

写真提供=Full-Count

「気持ちが落ち込んでいた中で、やり返すチャンスをいただいた」

 日本を代表する遊撃手になるという意志を胸に、ハイピッチで成長を続けている。横浜高3年の2023年夏に、野球日本代表「侍ジャパン」U-18代表として「第31回 WBSC U-18ベースボールワールドカップ」(以下U-18W杯)優勝に貢献し、大会MVPを獲得。國学院大進学後も、昨夏の「第45回 日米大学野球選手権大会」に2年生ながら大学代表として出場した、緒方漣内野手のことだ。

 高校3年の夏、U-18W杯の代表メンバーに選出された時には、救われる思いがしたという。「夏の神奈川県大会で負けて、気持ちが落ち込んでいた中で代表に選んでいただいたので、高校野球をやり返し、周りの方々に恩返しをするチャンスをいただいたと思いました」と振り返る。

 名門・横浜高で1年の春から遊撃レギュラーの座に就いた緒方選手は、2年連続で夏の甲子園出場を果たし、最後の夏も慶応高との神奈川県大会決勝に駒を進めていた。

慶応高との神奈川県大会決勝でまさかの判定、まさかの敗戦

 5-3とリードして迎えた9回の守備。無死一塁の場面で、ゴロが二塁手の正面へ飛び、遊撃の緒方選手は4-6-3のダブルプレーを狙って二塁のベースカバーに入った。二塁手から送球を受け、右足でベースを蹴りながら一塁へ送球する、自分としては普段通りのプレーだった。ところが、足がベースに触れていないと判定され、まさかのオールセーフ。送りバントで1死二、三塁となったところで逆転3ランを浴び、横浜高は敗れた。

 この判定は全国的に話題となり、一方、勝った慶応高はそのまま甲子園で107年ぶり2度目の全国制覇を果たした。「自分のせいで試合の流れを変えてしまったことが申し訳なかったです」と緒方選手。「あのプレーで考え方が変わり、アウトを取りにいく時には、誰もがアウトと言うように、確実に取ることを心掛けるようになりました」というほど衝撃的な敗戦。それだけになおさら、同年9月に台北で行われたU-18W杯へ臨む思いは格別だった。


写真提供=Full-Count

U-18W杯は打率.542の猛打でMVP獲得「野球の楽しさを取り戻せた」

「日本代表に選ばれることは初めてで、自分としては1試合1試合必死。凄くレベルの高いメンバーとの日常が、素直に楽しかったです」と目を細める。

 初戦のスペイン戦には「7番・二塁」でスタメン出場。本職の遊撃には小林隼翔内野手(広陵高・現立教大)や山田脩也内野手(仙台育英高・現阪神)がいて二塁に回ったのだが、いきなり3打数3安打3打点1四球の大活躍で波に乗った。

 大会を通じ9試合で打率.542(24打数13安打)の打棒を振るい、大会MVPに輝く活躍で日本の初優勝に貢献。打順は3戦目から3番に定着した。「(神奈川県大会で)負けてからの代表だったので、忘れかけていた野球の楽しさ、初心を取り戻せた気がしました。野球をやっていて良かったと思えました」と偽らざる思いを吐露する。

2年生にして日米大学野球に出場、現阪神・立石の長打力に仰天

 もともとプロ志望だったが、高校3年の春の段階で「実力的にまだ全然通用しない」と判断し、國学院大に進学。2年となった昨春に遊撃レギュラーの座を獲得すると、東都大学野球リーグでは春秋連続でベストナインに選出された。同年夏には、侍ジャパン大学代表として日米大学野球に参加。出場は「9番・遊撃」で先発した第4戦だけで、3打数1安打1打点1四球だったが、「凄い先輩方と一緒に練習し、毎日が吸収で、自分に落とし込める物を探す充実した日々でした」と目を輝かせる。

 特に、同年秋のドラフトで阪神から1位指名され入団した創価大・立石正広内野手の長打力には仰天した。「自分が打撃投手を務めた時も、エスコンフィールドHOKKAIDOで左中間の2階席や逆方向の右翼に、どでかいのを放り込まれました」と笑う。


写真提供=Full-Count

恩師の激励「そんなことあったっけ、と忘れられるように」

 4月からは3年生になる。2027年のドラフトを視野に、「守備ではより高みを目指し、ナンバーワンと呼ばれる遊撃手になりたいですし、課題の打撃、走力も向上させて、プロの世界で活躍し、WBC(WORLD BASEBALL CLASSIC™)に選ばれる選手になりたいです」と力を込める。

 高校3年の夏、失意の底へ叩きこまれた“あのプレー”については、「あれがあったから(成長できた)、と言える野球人生にしていきたいです」と前向きだ。恩師の横浜高・村田浩明監督からは最近顔を合わせた際、「『そんなこと、あったっけ?』と忘れるくらい、どんどんキャリアを積み重ねていけ」と激励されたという。その言葉通りに、進化を続けている。

記事提供=Full-Count
写真提供=Full-Count

NEWS新着記事