時代とともに変化する「日本代表」の在り方 福留孝介が送る井端JAPANへのエール

2025.10.13

2006年に日本代表として「WORLD BASEBALL CLASSIC™」(以下WBC)を戦い、記念すべき初代王座獲得に大きく貢献した福留孝介氏。2009年の第2回大会にも出場し、日本が2連覇を果たす原動力となった。日米球界で活躍した福留氏の野球人生を振り返ると、日本代表として実に4度、世界一を目指して戦った。

写真提供=Full-Count

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2006、2009年のWBC連覇を含め、日本代表として4度世界大会でプレー

 2006年に日本代表として「WORLD BASEBALL CLASSIC™」(以下WBC)を戦い、記念すべき初代王座獲得に大きく貢献した福留孝介氏。2009年の第2回大会にも出場し、日本が2連覇を果たす原動力となった。日米球界で活躍した福留氏の野球人生を振り返ると、日本代表として実に4度、世界一を目指して戦った。

 社会人時代、そしてプロ入り後に経験した4度の日本代表が自身にとってどんな意味を持っていたのか。福留氏にとっての「日本代表」を紐解くと同時に、野球日本代表「侍ジャパン」の指揮官として2026年のWBCで連覇を狙う井端弘和監督への思いを語ってもらった。

 初めて日本代表のユニホームに袖を通し、世界一を決する舞台で戦ったのは、1996年のアトランタだった。社会人1年目の19歳。チーム最年少ながら正三塁手として全9試合に先発出場し、2本塁打を放つなど銀メダルを獲得した。この時はアマチュアのみでチームが編成され、“ミスターアマ野球”と呼ばれた右腕・杉浦正則氏の他、内野には当時はまだ大学生だった井口資仁氏、今岡誠氏の姿があった。「当時のアマチュア選手にとっては、日本代表入りが大きな目標でした。日本代表として4年に一度、世界一を目指す。この舞台に立てたことは大きな意味がありました」という。

「時代に合った日本代表の形になるのでは」

 次に「JAPAN」の文字を胸にプレーしたのは、2004年のアテネでのこと。2000年のシドニーではプロ選手の参加が可能になり、アマチュアとプロの混成チームで大会に臨んだが、結果は4位。メダルには一歩届かず、1984年ロサンゼルスから4大会続いたメダル獲得が途絶えた。これを受け、「メダル獲得」が最重要使命となったアテネでは長嶋茂雄氏を監督とし、プロ選手のみでチームを編成。そこにプロ6年目、中日打線の主軸に成長した福留氏も招聘された。

 選りすぐりのメンバーに入ったことは嬉しいことだったが、同時に複雑な思いも胸をかすめた。

「社会人野球を経験し、アトランタに出場した僕にとって、4年に一度やってくるあの舞台にプロ選手が立つことに、すごく違和感がありました。おそらく当時、アマチュア球界の中には『自分たちにとって最高峰の大会だったのに、なんでプロが?』という声もたくさんあったと思います。ただ、時の流れとともにルールも変わる。選ばれたからには一生懸命やるしかない。そういう思いで臨みました」

 大会前に脳梗塞で倒れた長嶋氏に代わり、ヘッドコーチだった中畑清氏が指揮を執る中、日本は銅メダルを獲得。福留氏はこの後、2006年と2009年にWBC連覇を経験し、日本代表として戦った4度の世界一決定大会では、いずれもメダルを手にすることとなった。

 同じ「日本代表」ではあるが、その構成メンバーはアマチュア選手のみ、プロ・アマ混成、プロ選手のみと、時代とともに変化してきた。そして今、侍ジャパントップチームは日米球界でプレーするプロ選手が中心ながら、大学生らアマチュア選手、日本国内でのプレー経験がない日系人選手らも選考の対象となっている。

「色々な変遷を辿りながら、今ではプロでもアマでも実力のある選手を選ぼうという流れになってきた。僕自身、4度の日本代表はそれぞれ違った意味合いを持つ経験になりましたし、これからも時代に合った日本代表の形になるのではないかと思いますね」


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選手の声に耳を傾ける柔軟な姿勢に「色々なことをイメージしている」

 次回WBCの開催まで、およそ半年。井端監督は2度目のWBC連覇に向けて、最強のチームを形作っている。2023年10月から侍ジャパントップチームを任される指揮官は、福留氏にとって1999年に中日へ同期入団し、10年一緒に戦った仲間でもある。就任以来、「アジアプロ野球チャンピオンシップ2023」では優勝、「第3回WBSCプレミア12」では準優勝という成績を収めてきた井端監督の姿をどう見るのか。

「井端さんが現役時代のプレーのように、細かいところに気を配った戦い方をする一方で、今の若い選手たちを尊重しながら、自由に伸び伸びとプレーさせている印象がありますね。そこに吉見(一起)投手コーチや能見(篤史)投手コーチ、松田(宣浩)野手総合コーチのように、最近まで現役だった、より選手たちに近い人材を起用している。今の選手たちに合わせたプレースタイルに変えながらも、日本野球の良さでもある走塁や緻密なプレーなどもしっかりやっているので、色々なことをイメージしてやっているんだと思います。井端さん自身、本当に色々なことを考えながらプレーする方だったので、まったく不思議はないですね」

 同時に、自分らしさを貫きながらも、若い世代の声にも耳を傾ける柔軟さは「子どもたちへの指導」からヒントを得たのではないかと考える。

「おそらく、引退後にジュニア世代を指導したり、今でもU-15代表監督を兼任したりすることで、より柔軟な考え方や対応が生まれてきたんじゃないかなと思います。子どもたちと接していると『これが正解』と答えを1つに決められないことばかり。だから、若い世代と接する気概が増えれば増えるほど視野は広がると思うし、色々な考え方が生まれるんでしょう」

 第6回を迎える2026年3月のWBCで日本は連覇に挑むが、米国をはじめ他の参加国もかつてないほど準備に力を入れている。井端監督にかかる期待やプレッシャーも計り知れない大きさだが、福留氏はこうエールを送る。

「連覇をしなければいけない雰囲気になっていますが、こればかりはやってみないと分からない。選んだメンバーが全員揃って一番良い状態で本番を迎えられれば最高だけど、それはなかなか難しいですよ。だから、もう代表の監督ですから、自分がこれだと思う選手を集めて、自分のやりたい野球をやっていいと思います。結果は求められると思うし、なかなか楽しむことはできないでしょうが、井端監督らしい、今までとは違ったスタイルが見られるんじゃないかと楽しみにしています」

 本番まであと半年。井端ジャパンがどんな戦いを見せてくれるのか、楽しみにしたい。

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写真提供=Getty Images, Full-Count

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