ヤクルト増田珠が痛感したU-18米国代表との“差” 今ではMLBレギュラー「凄すぎました」
東京ヤクルトの増田珠外野手は、横浜高3年時の2017年に「第28回 WBSC U-18ワールドカップ」に出場した。2014年には「第2回 IBAF 15Uワールドカップ」も経験。2度の代表経験は「日本を背負って戦うのは、ユニホームもそうですし、すごくうれしかったです。もっと頑張りたいなと思いました」と、プロ野球選手の道に進むための成長へとつながった。また、前向きに異国での生活にも溶け込み、野球観だけではなく人生観にも大きな影響を受ける大事な期間となった。

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手首の痛みとの戦いだったU-18ワールドカップ
東京ヤクルトの増田珠外野手は、横浜高3年時の2017年に「第28回 WBSC U-18ワールドカップ」に出場した。2014年には「第2回 IBAF 15Uワールドカップ」も経験。2度の代表経験は「日本を背負って戦うのは、ユニホームもそうですし、すごくうれしかったです。もっと頑張りたいなと思いました」と、プロ野球選手の道に進むための成長へとつながった。また、前向きに異国での生活にも溶け込み、野球観だけではなく人生観にも大きな影響を受ける大事な期間となった。
目標だったU-18代表に選出された。しかしその日々は、痛みとの戦いだった。直前の大学生との練習試合で右手首に死球を受けた。「痛い中でやっていてうまくいかなくて……。打撲だったんですけど、結局は大会が終わるまで痛かったですね」。8試合で打率.158(19打数3安打)、3打点の成績に「言い訳になっちゃうので」と首を横に振るが、手首の影響があったのは明白だった。
オープニングラウンド第2戦の米国戦は、増田選手にとって衝撃的だった。スコアは0-4だったが「点数以上の差というか、フィジカルもスピードも違いを痛感しました。インパクトが凄すぎましたね」と愕然。中でも遊撃を守っていたブライス・トゥラング(現ミルウォーキー・ブルワーズ)のプレーは忘れることがない。「三遊間のランニングスローとか、やはり米国人だなって」と、初めて“本場”のプレーを感じた瞬間だった。
それまで米国代表は州の代表で出場することが多かったが、同大会は全米で選考会を実施して代表メンバーが決定したという。「だから、すごい選手の集まりでした。半分くらいメジャーのドラフトで1位になるような子たちだったので、すごくいい経験でしたよね。その後もずっと気になって彼らの動向を調べたり」。これ以来、増田選手はMLBが大好きになり、マイナーのトッププロスペクトのランキングをチェックするなど興味を深め、“野球観”にも大きな影響を与える一戦となった。
親交深めたカナダのおばあちゃん、到着初日には大ハプニングも…
持ち前の明るさで、開催地・カナダでも多くの思い出ができた。左翼を守ることが多く、「レフトの横の高台でいつも試合を見ているおばあちゃんがいて、フィーリングで喋っていたら仲良くなって、大会終わった後に写真を撮ったんです。元気にしているかなぁ」。到着初日には宿舎でシャワーを浴びる際にドアが開いていて火災報知器が鳴ってしまったことも。「今チームメートの丸山和郁と同部屋だったんですけど、めっちゃ焦って、裸で必死に止めましたよ」と懐かしそうに笑い飛ばした。
慣れない土地で知らない相手との戦い。「環境の変化にいかに対応するかとか、顔見知りじゃない選手とプレーすることでコミュニケーションを重視するとかは上手になったのかもしれません。ヤクルトに来た時にも活かせたかなというのはあります」と振り返るように、2024年に福岡ソフトバンクから東京ヤクルトへ移籍した際も、あっという間に新天地に馴染む姿があった。
U-18ワールドカップの出場を「最初は緊張しましたけど、最後は楽しめていました」という根底には、U-15代表での経験がある。訪れたメキシコの地では、主に「4番・投手」として計9試合で打率.556(27打数15安打)、11打点と打ちまくった。「メキシコの空気が合っていたんですかね。140キロ台後半を投げてくる投手もいて“大人と子ども”状態でしたけど、そういう投手からヒットを打てたのはすごく自信になったことでした」と目尻を下げた。
U-15代表選考会のため体育祭を欠席「体育委員長だったのに出られなくて…」
実は当時、代表選考会が中学校の体育祭の日とかぶっていたため、「僕、体育委員長だったのに(体育祭に)出られなくて。選ばれずに帰れない、と思いました」と奮起。日の丸のユニホームを勝ち取った経緯があった。学校の仲間たちの応援も背に残した結果だった。
メキシコでは宿舎の前にビーチがあり、休日はバナナボートなどで楽しんだ。パイナップルジュースの美味しさは忘れることがない。「あのメキシコがきっかけで海外留学に行きたいと思っていましたし、将来の夢は世界一周となりました」。その思いは今も密かに持ち続け、英語の勉強にも取り組んでいる。
2017年ドラフト3位で福岡ソフトバンクに入団し、2023年限りで戦力外となったが、東京ヤクルト2年目の今季はキャリアハイのシーズンを送る。特に代打での勝負強さが際立ち、「気持ちの部分で毎年少しずつ成長できているし、打撃も少しずつやりたいスイングを打席で表現できるようになってきているかなというのはあります」と頷く。シーズンも終盤。チームに欠かせない存在へと成長を遂げた26歳は「自分のできることをやって、ファンの皆さんやチーム関係者の記憶に残るヒットを1本でも多く打ちたいなと思っています」と言葉に力を込めた。
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