ドラフト指名漏れ→U-23代表でVに貢献 再挑戦期す成長株・西村進之介の現在地
2024年プロ野球ドラフト会議の開催が、10月24日に迫っている。ちょうど1年前、プロ野球志望届を提出したものの指名漏れとなり、社会人野球のヤマハ野球部に入った西村進之介外野手は今年9月、中国の紹興市で行われた「第5回 WBSC U-23ワールドカップ」に全試合出場。野球日本代表「侍ジャパン」U-23代表を、2大会連続3度目の優勝に導いた。
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社会人の名門・ヤマハで1年目、初の代表選出でU-23ワールドカップ優勝
2024年プロ野球ドラフト会議の開催が、10月24日に迫っている。ちょうど1年前、プロ野球志望届を提出したものの指名漏れとなり、社会人野球のヤマハ野球部に入った西村進之介外野手は今年9月、中国の紹興市で行われた「第5回 WBSC U-23ワールドカップ」に全試合出場。野球日本代表「侍ジャパン」U-23代表を、2大会連続3度目の優勝に導いた。
「日本代表チームに入るのは初めての経験でした。野球をやっている以上、侍ジャパンのユニホームを着たい気持ちはずっと、心のどこかにずっとありました。そういう機会をいただけたことは、ありがたかったです」
そう切り出した西村選手は10日間で9試合をこなした、中国での激戦の日々を振り返る。
全9試合にスタメン出場し、打率.381、9打点をマーク
全9試合にスタメン出場し、21打数8安打、打率.381、9打点。特にオープニングラウンド4戦目のコロンビア戦には「9番・中堅」で出場し、2打数2安打5打点と活躍した。
1点ビハインドの3回に同点中犠飛、同点で迎えた5回に中越えの勝ち越し三塁打、6回には右翼席へダメ押しの3ランを放ち、逆転勝ちに貢献した。「2試合目と3試合目がノーヒットで、危機感がありました。全試合スタメンで出たかったですし、監督の川口(朋保)さんに我慢して使ってもらっていたので『今日は打たないと……』と思っていました」という崖っぷちで結果を出した。
オープニングラウンドを4勝1敗で突破した日本は、スーパーラウンドでベネズエラ、ニカラグア、韓国を連破。決勝では、オープニングラウンドで苦杯をなめさせられたプエルトリコに5-0でリベンジし、優勝に漕ぎつけた。
ヤマハ入社後に打撃改造に着手「長打率を上げることが目標」
西村選手は専修大3年の2022年、東都大学野球2部リーグで打率.409、4本塁打をマークしてMVPに輝き、頭角を現した。4年になると、チームメートで東京ヤクルトにドラフト1位指名されることになる西舘昂汰投手とともにプロ志望届を提出したが、名前が呼ばれることはなかった。
プロへの再挑戦を期して、社会人野球の名門ヤマハに入社。チームは7月、東京ドームで行われた都市対抗野球大会に6年連続45回目の出場を果たしたものの、初戦敗退を喫し、ルーキーの西村選手には出場機会もなかった。「都市対抗終了後、打撃コーチの嶋岡(孝太)さんと話し合って、打撃フォームを変えました。長打率を上げることを目標に、今も取り組んでいる途中です」と明かす。入社当初は打率優先で胸くらいの高さに構えていたグリップを、左耳の上まで上げ、メジャーリーガーを思わせる豪快なフォームになった。
もともと走攻守の3拍子揃った左の好打者だが、「ちょこん、ちょこんと当てる打撃はいつでもできますが、そういう選手はこのチームで試合に出られませんし、その先のプロ野球でも求められていないと思います。しっかり振ってヒットにできる、当たれば長打になる選手像を目指しています」とパワーアップに励む。打撃改造の効果は、初めての国際大会でも表われた。
「侍ジャパンのユニホームを、トップチームで着たい気持ちが生まれました」
「侍ジャパンのユニホームを、トップチームで着たい気持ちが生まれました。(U-23ワールドカップは)自分にとってものすごく大きい経験でしたが、世間的に注目されていなかったことも事実です。WBC(ワールド・ベースボール・クラシック™)なら、野球をよく知らない人でも見ますから、そういうところでやらないといけないと思います」と力を込めた西村選手。「それは、まだ“夢”ですけれど」とも付け加えた。
「小学生の頃からプロ野球選手になることが“夢”でしたが、大学3年の時に具体的な“目標”に変わりました」と言う。そして国際大会の経験は、新たな“夢”をもたらした。現実味を増していくための努力を、続けるのみだ。
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