異国で乗った救急車 国際大会で感じた“恐怖”…U-15代表主将を務めた池田陵真の経験

2024.8.19

異国で乗った救急車は「強心臓」を生んでいた。オリックス・池田陵真外野手は、2018年にパナマで開催された「第4回WBSC U-15ワールドカップ」に野球日本代表「侍ジャパン」U-15代表の主将として出場。準決勝の米国戦で頭部に死球を受け、緊急退場した記憶がある。

写真提供=Getty Images

写真提供=Getty Images

オリックス3年目の外野手が振り返る国際大会の経験

 異国で乗った救急車は「強心臓」を生んでいた。オリックス・池田陵真外野手は、2018年にパナマで開催された「第4回WBSC U-15ワールドカップ」に野球日本代表「侍ジャパン」U-15代表の主将として出場。準決勝の米国戦で頭部に死球を受け、緊急退場した記憶がある。

 勝てばメダル獲得圏内だった準決勝。「4番・左翼」でスタメン出場していた池田選手は、第2打席で頭部に死球を食らった。当たった瞬間、その場に崩れ落ちると「全てが怖くて……。結構やばかったです」と当時の心境を振り返った。

「僕としては、バーンと当たって、そのまま倒れたんですけど、起き上がって『いける』と思ったら、アメリカのトレーナーに体を押さえつけられて『動くな!』と。『OK! OK!』と僕は言っていたんですけど、頭に当たったら検査に行かないといけない、となりました。担架で運ばれてそのまま救急車に乗って病院に行きました」

 うっすらとした記憶を思い出した。「救急車だったんですけど、体を固定するとかもなくて……。担架に乗ってただ押さえつけられているという感じでした」。異国で感じた“恐怖”には感謝の気持ちがある。

「(救急車の)スピードも結構速くて、救急車内で担架からドーンと落ちて……。そこでなぜか冷静になれて笑ってしまったんですよね。普通に座っている方がいいんじゃないかと……(笑)。それくらい(心配して)焦って運んでくれていました」

頭部死球で緊急検査…異常なしも「車椅子でチーム宿舎に帰りました」

 緊急検査を受けながらも戦況が知りたかった。スタッフに映像で試合状況を確認させてもらいながら、治療を受けた。主将としてグラウンドに戻りたかった。

「悔しかったですね。試合に出られなくなってしまって。頭に当たった試合も本当は戻ろうとしていました。『大きな異常はない』ということだったので。点滴を打っている最中にも『戻れる!』と言っていたんですけど、叶いませんでした」

 池田選手が負傷離脱してから、チームは米国に逆転負け。病室で強く拳を握るしかなかった。「僕がいなくなってから逆転負けされてしまったのも悔しさが残りましたね。体はいける感じがしていたんで、本当は戻りたかったんです」。無事に病室を出られたことが救いだった。

「車椅子でチーム宿舎に帰りました。点滴が終わった後、立とうとしたら頭がグラグラとなって。後頭部に当たったので、首が固まってしまって動けなかったです。日本に帰ってきてからも2回ほどMRI検査に行きました」

 3位決定戦も出場はできず「ベンチには入っていたんですけどね。グラウンドに立つことはできませんでした」。3-6でチャイニーズ・タイペイに敗れ、4位が確定。目の前でメダルを逃した。


写真提供=Full-Count

U-15代表で侍ジャパン入り「選んでもらえてよかったなと思います」

 大阪・和泉市立国府小6年の時、オリックス・バファローズジュニアに選出された池田選手はU-12代表での国際大会出場経験もある。「U-15の前に、U-12にも選ばれていました。だから、代表経験はそれなりにはあったので、変な緊張はなかったです。もちろん、慣れていた訳ではないですけど」。15歳で日の丸の主将を務めたキャプテンシーは、今も生きる。

「結構、今でも覚えていますね。トライアウトは緊張しました。何百人と集まって、そこでプレーをして選んでいただけるかどうか。プレッシャーはありました。選ばれないといけない立場でもあったので『ミスできない』という感情でしたね」

 選出され、最初の“顔合わせ”で主将に任命された。「やっぱり、日本代表として(国際大会に)行くっていうのは、自分にとっても大きな財産です。『日本を背負っている』みたいな感覚は全員にあると思う。選んでもらえてよかったなと思います」。12歳でも15歳でも、特別な感情を抱いた経験だった。

海外チームとの体格差で「年齢が同じだと理解するのに少しだけ時間がかかりました」

 異国での大会開催に「慣れない環境でのコンディショニングや気持ちのコントロールなどを勉強できたのは、プラスでしかないなと思います」と振り返る。衝撃を受けたのはチーム宿舎の食事会場だった。

「時間差でアメリカ代表が食事会場に入ってきた時、みんなで『ウソやろ?』となりました。日本人選手よりも見るからに体がちょっと違うサイズだったので。アメリカ、キューバ、ドミニカ共和国……。中学3年生と高校3年生が試合をしているみたいな感じでした」

 目を丸くするしかなかった体格差。「年齢が同じだと理解するのに少しだけ時間がかかりましたね。ボールのスピードや球威はそこまで差を感じなかったんですけど、体のサイズが違うので……。最初はビックリした記憶があります」。仰天の記憶を、にこやかに振り返った。

記事提供=Full-Count
写真提供=Getty Images, Full-Count

NEWS新着記事