大学代表で立った高校野球の聖地「すごく嬉しかった」 日の丸がくれた特別な体験
振り返れば、新人王への“助走”だったのかもしれない。前阪神の高山俊外野手は、明治大学4年時の2015年に韓国・光州で行われた「第28回ユニバーシアード競技大会」に大学日本代表として出場。「本当にいい経験だった」。同世代の選手たちとプレーできたことで、さらなる成長が促されたと感謝する。
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前阪神の高山俊外野手、大学4年時に「第28回ユニバーシアード競技大会」出場
振り返れば、新人王への“助走”だったのかもしれない。前阪神の高山俊外野手は、明治大学4年時の2015年に韓国・光州で行われた「第28回ユニバーシアード競技大会」に大学日本代表として出場。「本当にいい経験だった」。同世代の選手たちとプレーできたことで、さらなる成長が促されたと感謝する。
初めて背負った日の丸。初戦の韓国戦に「3番・中堅」で先発出場すると、6回にタイムリーを放って8-0の完封勝利に貢献した。日本は続く中国戦を9-0(5回降雨コールド)で制すると、フランスも10-0で撃破。準決勝では米国と対峙したが、ここでも8-0と圧勝し、4戦連続完封勝利で決勝進出を決めた。
チャイニーズ・タイペイと対戦する予定だった決勝は、あいにくの降雨で試合中止。絶好調だった日本はチャイニーズ・タイペイを圧倒しての初優勝を狙っていたが、両チームが優勝という結果に。目標の金メダルこそ手に入れたものの、どこか不完全燃焼感の残る幕引きとなった。
高山選手自身も決して納得のいく活躍ができたわけではない。4戦すべてに先発出場し、クリーンナップを任されたものの13打数2安打2打点と、慣れない国際大会で持ち味を発揮しきれなかった。だが、屈強な米国の選手らに対して力の差を痛感した一方で、文化やプレースタイルの違う相手との対戦は刺激の連続だった。
チームメートはそうそうたる顔ぶれ「個々のレベルが高い」
対戦相手だけではなく、ともに戦ったチームメートからもまた、大きな刺激や気付きを得た。吉田正尚外野手(現ボストン・レッドソックス)や田中正義投手(現北海道日本ハム)、茂木栄五郎内野手(現東北楽天)、坂本誠志郎捕手(現阪神)、柳裕也投手(現中日)ら、そうそうたる顔ぶれだった。
「個々のレベルが高いので、すごいなと思ってチームメートを見ていましたし、学べることも多かったです」
普段は敵でも、この時ばかりは戦友だ。「東京六大学リーグで対戦している選手もいました。本当にいい選手が多いので、チームメートになって一緒にプレーできて楽しかったです。どういう考えでやっているのかを聞いたりもできました」と振り返る。
U-18日本代表に胸を貸した一戦「大学生になっても甲子園で試合ができた」
大会後に行われた一戦も、鮮明に覚えている。帰国から約1か月半経った8月26日、「第27回 WBSC U-18ワールドカップ」に挑む高校日本代表の壮行試合が甲子園球場で行われ、胸を貸す側の大学代表の一員として出場。日本大学第三高時代には3度の甲子園出場を果たしたが、大学生になって足を踏み入れる“高校野球の聖地”は特別だった。
「すごく嬉しかったです。(自分が)高校生の時は春夏ともに甲子園に出場しましたが、もう1度プレーする機会を与えていただきました。大学生の時は神宮(球場)での試合がメインなので、甲子園で試合をするなんて考えていなかった。大学生になっても甲子園で試合ができたことが、とても印象に残っています」
ちなみに、この時の高校代表には清宮幸太郎内野手(現北海道日本ハム)、森下暢仁投手(現広島東洋)、小笠原慎之介投手(現中日)、オコエ瑠偉外野手(現読売)らが名を連ねていた。
30歳で迎える大きな変化、若手選手との共闘で期待される変化
特別な出会いと体験を与えてくれた大学代表。そこで得た財産は、確かな形に昇華した。東京六大学リーグで通算131安打を放ち、大学の先輩でもある高田繁氏が1967年に打ち立てた通算最多安打記録(127安打)を更新。2015年10月22日のドラフト会議(新人選手選択会議)では阪神と東京ヤクルトから1位指名を受け、抽選で交渉権を引き当てた阪神に入団した。
1年目のオープン戦で打撃のアピールに成功すると、開幕戦だった3月25日の中日戦に「1番・左翼」で先発出場。初回に迎えたプロ初打席で大野雄大投手から左翼へヒットを放った。新人選手が開幕戦のプロ初打席で初安打を記録したのは球団史上初の快挙。その後もスタメンに定着すると134試合に出場し、打率.275、8本塁打、65打点、5盗塁で新人王に輝いた。
その後は不振などに苦しみ、2023年限りで阪神を戦力外に。今季からNPB2軍のイースタン・リーグに新規参入する「オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」を新天地に選んだ。
プロ9年目で迎える大きな変化。トップを目指す若い選手と接することで、野球の見方も変わるのではないかと視野を広げる。さまざまな経験を力に変え、挑戦を続ける30歳が、再びNPB1軍の舞台に立つ日を待ちたい。
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