成長を実感した日本通運での貴重な時間 古田島成龍が力にする“みんなの思い”
ようやくプロの入り口に立った。10月26日に開催されたプロ野球ドラフト会議(新人選手選択会議)。日本通運野球部の古田島成龍投手はオリックスから6位で指名され、11月21日に仮契約を結んだ。
写真提供=Full-Count
ドラフト指名漏れ後に達成した大学日本一「絶対負けたくない気持ち」
ようやくプロの入り口に立った。10月26日に開催されたプロ野球ドラフト会議(新人選手選択会議)。日本通運野球部の古田島成龍投手はオリックスから6位で指名され、11月21日に仮契約を結んだ。
この2年前。中央学院大学4年時にもプロ志望届を提出していたが、支配下選手の指名が終わっても、育成選手の指名が終わっても「古田島成龍」の名前が呼ばれることはなかった。
「親はもちろん、大学同期の仲間たちも集まってくれて、しかも指名される態で花束も用意してくれていた。悔しかったですが、周りの方々にたくさん応援してもらって、一緒に悔しい気持ちを持っていただいて、本当にプロ野球選手になるということは自分だけの夢じゃないんだなと実感しました。もっとやらなければという思いを持って、日本通運に入りました」
悔しさを吹き飛ばすかのように、ドラフト会議後に行われた関東地区大学野球選手権大会で優勝すると、明治神宮野球大会に2002年以来19年ぶりの出場。ここでも初戦で佛教大学を破って勢いに乗り、決勝では慶應大学に9-8で勝利して初優勝を飾った。
この時はスカウトの目を気にせず、全力で野球と向き合った。純粋に野球を楽しんでプレーしていると「ドラフトまでは、試合中の意識が(チームの勝利よりも)対自分になっていたことを改めて感じました」と振り返る。
「プレッシャーも気持ち良く感じたくらい。僕らのチームからは誰もドラフト指名を受けなかったんですが、対戦相手には必ず指名を受けた選手がいて、そこには絶対負けたくない気持ちはありました」
日本通運で直面した「自分の認識の甘さ」
社会人野球に進んで2年後のプロ入りを目指すことにした時、アプローチをかけてくれたのが日本通運だった。大学3年夏のオープン戦で挨拶して以降、たびたび話をする中で膨らんだ印象は「人の良さ」だ。澤村幸明監督をはじめ、コーチらと話をする中で「本当に人がいいなと思いました。ここだったら自分が伸び伸びとやりやすく、合っているんじゃないかと感じました」と話す。
また、大学4年の夏には都市対抗野球大会を観戦。右のエースがいないという率直な感想を伝えたところ、「ぜひエースになってほしい」と期待を寄せられた。こうした経緯もあり、迷わず日本通運への加入を決めた。
いざ、社会人野球の門を叩くと、自分の認識の甘さに驚かされた。「大学より少しレベルが上がっただけだと思っていた」というが、対峙する打者も、マウンドでボールを操る投手もみな「想像のはるか上を越えるレベル」だった。特に、投手陣に関して日本通運は粒ぞろいで「チーム内のレベルが高いし、意識も高かった」という。
トレーニング一つ取ってみても、ウエートがまったく上がらず、メディシンボールも上手く投げられない。走ってみても遅く、あらゆる点でチーム内の最低レベルにあることを実感。「大学で日本一になったので少し得意になっていましたが、本当に全然ダメでした。ただ、ここで成長すべき点、つまり自分の伸び代を肌で感じることができたので良かったです」。状況を客観視すると同時に、前進するためのモチベーションに変えられるのは、古田島選手の持ち味なのかもしれない。
プロ入りを視野に掲げた「日本通運でエースになる」という目標
入部1年目の2022年は社会人野球のスケジュールを把握し切れていなかったこともあり、ハイペースで飛ばした。当初は良い結果が出ていたが、見る間に低下。コンディショニングの大切さを痛感した。プロになれば、レギュラーシーズンだけでも143試合を戦う。1年間戦い抜く体力をつけることを念頭に置きながら、時にはボールを投げない調整方法も取り入れて、2023年を戦った。
チームでは都市対抗野球大会や社会人野球日本選手権大会で優勝するという目標を掲げる一方、個人としてはプロ入りを目標とする。スカウトの目ばかり気にしていた大学時代の反省を踏まえ、さらには2つの目標を同時に達成できるよう「日本通運でエースになる」ことに決めた。
「ここでエースにならないと、プロの世界に行っても活躍できないと思ったんです。左のエースでもある相馬(和磨)さんを抜かないと、絶対にプロには行けない。今年の都市対抗と日本選手権は、自分にそう言い聞かせてマウンドに上がりました。都市対抗では初戦と3回戦、日本選手権でも初戦を任されたものの日本一にはなれず。チームを優勝させられなかった悔しさがあり、エースになれたのかと聞かれても自信を持って『はい』とは答えられません。ただ、この2年は自分でも伸びたと分かるくらいの成長ができた貴重な時間になりました」
5位指名が終わっても名前が呼ばれず「またか……」
迎えた運命のドラフト開催日。選手寮近くにある自宅で、妻と大学時代の友人たちとテレビ画面を見守った。大学時代以上にドキドキが募ったかもしれない。1位指名から始まり、2位、3位、4位、5位と来ても名前が呼ばれず。その場に居合わせた全員がどんより沈む様子を見て、「もう終わったと思いました。またか……って」。その次の瞬間だった。
「オリックス・バファローズ 古田島成龍」
その言葉をしっかり聞いたわけではなかったが、周囲の歓声に「あ、俺? 指名された!」と一気に興奮が頂点に達した。ドラフト指名されたら選手寮へ向かう手筈になっていたが、居ても立ってもいられず「指名を確認した10秒後には家を出ていました(笑)」と振り返る。「必死で自転車を漕いでいたら、妻から『なんでもう出ちゃったの? もっと喜びを分かち合いたかったのに!』と電話が掛かってきました」と苦笑い。寮に到着してからも「もう来たの?」と驚かれるほどのスピード移動だった。
仮契約を終え、恩師やお世話になった人々、友人らに報告をする過程で改めて強く感じたのが、プロ野球選手になるのは「自分だけの夢ではない」ということだったという。
「自分は正直、身長が高くはないですし(175センチ)、茨城県の小さな町の出身で中学や高校では初めてのプロ野球選手で、大学でも4人目。決して王道は歩んでいませんが、それでもできると証明したい。挨拶に伺った時に皆さんからの期待を感じたので、少しでも長くユニホームを着ている姿を見せ続けたいと思います。子どもたちから目標とされるような選手にもなりたいですね。プロは周りのためを思うことが、自分の活力になるのかなと思います。自分でもどこまでできるのか、自分に期待してワクワクしています」
2度目の挑戦でプロの入り口に立った今、みんなの思いを背負い活躍する頼もしいプロ選手になるべく、また新たなチャレンジの道を歩んでいく。
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