「興味なかった」から「ここでやってみたい」 薮田安彦氏を変えたWBCでの経験

2023.2.13

薮田安彦氏は、2006年の第1回「ワールド・ベースボール・クラシック™(WBC)」で野球日本代表「侍ジャパン」の世界一に貢献した。日米通算18年間の現役生活の中でも、大きな転機になったという大会。当時を振り返り、日の丸を背負うプレッシャーや、自身のキャリアに与えた影響などを明かした。

写真提供=Full-Count

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2007年、最優秀中継ぎ&FA権取得でメジャー移籍

 薮田安彦氏は、2006年の第1回「ワールド・ベースボール・クラシック™(WBC)」で野球日本代表「侍ジャパン」の世界一に貢献した。日米通算18年間の現役生活の中でも、大きな転機になったという大会。当時を振り返り、日の丸を背負うプレッシャーや、自身のキャリアに与えた影響などを明かした。

 薮田氏にとって、初めての日本代表だった。「全てが初めての経験。全てがいい経験だったし、苦しいところもありましたけど、全て印象に残っています」と話す。

 最もプレッシャーを感じたのは、やはり初登板だった第1ラウンド第2試合のチャイニーズ・タイペイ戦だった。松坂大輔の後を受け、「ブルペンでは相当(プレッシャーが)ありましたね。マウンドに上がってしまえばあまりないですが、勝たないといけないというのが絶対条件なので」。それでも1回をわずか6球で完璧に封じ、「そこで自分の投球ができたというのはうれしかったです」と手応えを得た。

 所属していた千葉ロッテは2005年、シーズンを2位で終え、プレーオフを制して31年ぶりにパ・リーグ優勝。日本シリーズでは阪神に4連勝で日本一まで上り詰めた。しびれる場面でマウンドに多く立っていたこともあり、「いい流れで2006年に入っていけたので、気持ちの落ち着かせ方がうまくいって力を出せたかなと思います」と短期決戦を経験していたこともプラスに働いた。

WBCで立ったメジャー球団のマウンドが抱かせた夢

 大会では4試合で計4回1/3を投げ、2安打1失点5奪三振。第2ラウンドでエンゼルスタジアム、決勝ラウンドでペトコパークの土を踏んだことは、自身でも想像すらつかなかった「メジャー挑戦」の夢を抱かせることになった。

「“やってみたい”という気持ち。アメリカのスタジアムでのプレーは気持ちよかったし、アメリカ戦で投げられたのも大きかったと思います。初めてプロに入った時のキャンプがアリゾナだったんですが、メジャーリーグの試合が行われるスタジアムで投げたことはありませんでした。スタジアムのきれいさとか、日本と違う環境とか……。ここでやってみたいな、と思いましたね」

 実は、大会前には「正直ほとんど興味がなかったし、テレビも見なかった」というほど、メジャーは遠い存在だった。「全く知らない場所」だったはずが、芽生えた想いは、徐々に募っていった。

募るメジャー挑戦の想いと沸き上がる葛藤

 だが、薮田氏の胸には葛藤があった。「自分の中では日本一にはなったけどタイトルを獲っていないというのもあったし、フリーエージェント(FA)権も持っていなかった。タイトルを獲れれば自分の中で自信になるなという気持ちで臨んで、獲れたら行きたいと思っていました」。

 2006年は47試合に登板して防御率2.62、22ホールドポイント。そして2007年、58試合に登板して防御率2.73、38ホールドポイントで最優秀中継ぎのタイトルを獲得し、さらにFA権も手にした。ついに、あの時抱いた“挑戦”の想いを実現させた。

「WBCは今まで経験したことのないプレッシャーもありましたし、そういう場で野球ができる喜びは今までなかったので、自分の人生の中でもかなり大きなものになりました。その先の野球人生にも大きく影響しました」

 薮田氏にとって、世界一の栄冠とともに、人生の大きな決断をもたらした大会だった。

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