与田剛氏が振り返る2度のWBC™ 投手陣を支えた「最大限の力を引き出す」環境作り
2009年の第2回「ワールド・ベースボール・クラシック™」(以下WBC)と2013年の第3回WBCの2大会で、日本代表の投手コーチを務めた与田剛氏。両大会ともにチーフコーチを支えるブルペン担当として、世界に誇る投手陣を盛り立て、2009年には優勝に大きく貢献した。
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2009年と2013年に投手コーチとして参加「とにかく死に物狂いで」
2009年の第2回「ワールド・ベースボール・クラシック™」(以下WBC)と2013年の第3回WBCの2大会で、日本代表の投手コーチを務めた与田剛氏。両大会ともにチーフコーチを支えるブルペン担当として、世界に誇る投手陣を盛り立て、2009年には優勝に大きく貢献した。
コーチ就任の誘いを受けたのは2008年のこと。大会2連覇を目指す日本代表を指揮することになった原辰徳監督から声が掛かった。当時について「まさか自分の野球経歴の中で、こんなお話が来るとは思っていませんでした。とにかく死に物狂いでやろうと思いました」と振り返る。
中日などで守護神を務め、1990年には31セーブを挙げて新人王と最多セーブに輝いた。2000年を最後に引退後は解説者として活躍も、指導歴は社会人野球のサウザンリーフ市原で投手コーチを務めたくらい。プロを指導した実績はなかったが、またとない機会。心を決めた。
まずは、2006年の第1回大会で投手コーチを務めた鹿取義隆氏、武田一浩氏に話を聞き、WBCとはどのような大会なのか、理解を深めた。そして、代表候補が所属するチームの監督や投手コーチと会い、一人ひとりが持つ好不調のバロメーターを取材。代表合宿ではそれぞれの投手の現状を正確に把握するため、自分の目で観察し、一人ひとりに声を掛けた。
「短期決戦ということで、現状の見極めが一番難しかったと思います。合宿では投球フォームのステップ幅であったり肘の高さであったりを映像に撮りながら、とにかく細部まで観察しました」
心掛けた「選手が持っている最大限の力を引き出す」環境作り
起用法など最終決定をする原監督のために、「僕たちコーチは選択肢を用意しなければならない。その選択肢を用意するための選択が僕自身の中では怖かった。指導者としての怖さを初めて味わいました」と振り返る。集まった投手は皆、日本を代表するトップばかり。選ばれた誇らしさと同時に、かかるプレッシャーも大きい。その状況の中で「彼らが持っている最大限の力を引き出す」環境作りに努めた。
「現役時代の私よりはるかに上の成績を収めている投手たちが集まっているわけですから、教えるなんておこがましい。下の世代ではあっても、野球人として素晴らしく尊敬できる人間ばかり。だから、彼らから教わりながら、良さを引き出すことを考えていました」
任されたブルペンでは「間(ま)」を大切にしたという。今は声を掛けていい間なのか、見守るべき間なのか。「一人ひとり違いますし、これは感覚でしかない」と、わずかな表情やしぐさの変化に気を配った。
「この選手はここまで言っても大丈夫。あの選手は一切声を掛けない方がいい。選手によっては何か言ってほしい時はこっちを見たり、あるいは全く目を合わせなかったり。こういうデータは何もないので、それぞれの『間』を感じながら接していました。人間なので毎日気分は変わりますから、朝会った瞬間から様子を観察し、ウォーミングアップやキャッチボールの時に声を掛けて、今日は随分笑っているな、今日は口数が少ないな、と見ていましたね」
第2回大会決勝で見た藤川の姿に「優勝できたのは球児の力が大きかった」
第2回大会で、今でも鮮明に甦る光景があるという。決勝戦の9回裏。3-2とリードする日本はダルビッシュ有投手(北海道日本ハム)を投入した。藤川球児投手(阪神)に代わり、準決勝から守護神を任されていた右腕は2死まで奪ったところで、同点に追いつかれた。
「ダルビッシュが同点打を打たれた時、いの一番に準備をしてくれたのが球児でした。ここで何かあったら俺が行くんだ、という意志をキチンと示してくれた。ダルビッシュがマウンドへ向かい、一瞬『もう大丈夫、優勝だ』という空気が出たところで、球児のあの姿がブルペンを引き締めたし、もしかしたらベンチもピリッとさせたかもしれない。胸中は複雑だったと思いますが、チームのために責務を全うする姿はさすが。優勝できたのは球児の力が大きかったと、僕はずっと思っています」
同点で凌いで迎えた延長10回。イチロー外野手(シアトル・マリナーズ)がセンター前に運んだ鮮やかな決勝二塁打は、今でも語り継がれる名シーンとなった。「決起集会の時にやろうと言っていたシャンパンファイトが本当にできました」と懐かしそうに笑顔を浮かべる。
指導者としての土台を作ったWBC「得る物がたくさんあった」
2013年の第3回大会は山本浩二監督を筆頭に、東尾修投手総合コーチ、梨田昌孝野手総合コーチとNPBの監督経験者が並んだ。大先輩が揃う組閣だったが、前回の反省を生かして「遠慮はしないように、自分が言わなければいけない意見はほぼ言ったつもりです」と話す。
「真剣勝負の中で意見交換することはすごく大切なこと。お互い必死なので、僕も主張を曲げられず、先輩方にも強い意見がある。白熱する場面もありましたがケンカではなく、短期決戦ではそういうことがすごく大事。結果的には優勝できませんでしたが、第2回大会とはまったく別物で勉強になりました」
両大会を通じて感じたのは、WBCは「特別な舞台」ということだ。プレーする選手はもちろん、監督、コーチも皆、大きな誇りを感じると同時に、プレッシャーとも隣り合わせだった。
「ロッカールームで誰も、一言も話さない、妙な瞬間が多々ありました。試合前、試合後、負けた後はもちろん、勝った試合の後でも。『打って反省、打たれて感謝』という言葉もありますが、僕自身、勝ったけれど、もう少し準備させてから投手交代させるべきだったミスを、投手自身の実力で帳消しにしてもらったこともあります」
与田氏にとって指導者としての土台を作る経験ともなったWBCの舞台。「得る物がたくさんあって、それを生かさないといけないと思い、東北楽天、中日と指導者をやらせてもらいました。それでも反省ばかりで、なかなか上手くいかないんですけど」と苦笑いするが、積み上げてきた一つ一つの経験が宝物になっている。
栗山ジャパンにエール「日本のヤングパワーを世界に見せつけて」
2023年3月に開催される第5回大会。侍ジャパンを率いる栗山英樹監督、同い年の吉井理人投手コーチら首脳陣に、一野球人として大きなエールを送る。
「今、日本のプロ野球は投打ともに本当にヤングパワーがすごい。もちろん、ベテランの経験は必要なのでバランスですよね。栗山監督は本当に温厚であり、厳しい方でもあると思うので、今の若手の感覚を引き出してくださるはず。日本のヤングパワーここにあり、と世界に見せつけてほしいですね」
栗山ジャパンがシャンパンファイトの歓喜を味わえるよう、心からの声援を送る。
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