WBC初代王者へ「チーム変わった」 渡辺俊介が忘れぬイチローの言動「格好良くて鳥肌 」

2025.11.17

千葉ロッテで活躍し、“ミスターサブマリン”と称された渡辺俊介氏は、2006年と2009年にWORLD BASEBALL CLASSIC™(以下WBC)に出場し、大会連覇を成し遂げた。「夢じゃないかと思いました」という世界一の景色、王貞治監督の“直接勧誘”や、心揺さぶられたイチローの言葉……。当時を振り返りつつ、来年3月の第6回大会に挑む井端弘和監督率いる野球日本代表「侍ジャパン」へエールを送った。

写真提供=Getty Images

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第1回大会へ王貞治監督から直接勧誘「一緒に戦ってくれ」

 千葉ロッテで活躍し、“ミスターサブマリン”と称された渡辺俊介氏は、2006年と2009年にWORLD BASEBALL CLASSIC™(以下WBC)に出場し、大会連覇を成し遂げた。「夢じゃないかと思いました」という世界一の景色、王貞治監督の“直接勧誘”や、心揺さぶられたイチローの言葉……。当時を振り返りつつ、来年3月の第6回大会に挑む井端弘和監督率いる野球日本代表「侍ジャパン」へエールを送った。

 2005年10月。王監督の侍ジャパン監督就任が発表された直後のことだった。福岡ソフトバンクと千葉ロッテはプレーオフの激闘中。試合前、ベンチで相手の打撃練習を眺めていた渡辺氏のもとに、福岡ソフトバンクを率いる王監督が真っ直ぐに歩み寄ってきた。

「『WBCで一緒に戦ってくれ、先発の中心で考えているから』と声を掛けていただきました。正直、第1回なのでどんな大会になるか想像もつかない。WBCに出られるというよりも、王さんが直接オファーしてくれたのがめちゃくちゃうれしくて、すごく衝撃でした。親族一同、巨人ファンで、王さんと長嶋(茂雄)さんは特別な存在でしたから。どんな大会であれ、出る気満々でいました」

韓国戦で2試合先発→決勝は救援「今まであまりないような緊張感」

 期待の言葉通り、1次ラウンドの韓国戦で先発を託された。下手投げは珍しく、短期決戦では有利とされる。しかし、実情は少し違ったようだ。「韓国の国内リーグの映像を見たら、アンダースローがたくさんいるんです。日本より多い。王さんは『慣れていないから』と仰っていたけど、韓国は一番慣れていた(笑)」。とはいえ、韓国ではパワー系が多く、渡辺氏のように浮き上がるボールを操り、緩急を武器にするタイプは少なかった。

 そんな利点も活かし、5回途中1失点でリードを持って降板したが、チームは逆転負けを喫した。そして、2次ラウンドでも再び韓国戦に先発。6回無失点の好投も、またしてもチームは逆転負けとなった。決勝のキューバ戦では慣れない中継ぎとして3回3失点(自責2)。「今まであまりないような緊張感がありました」と独特な雰囲気の中で仕事を全うし、世界一の景色を味わった。

「チームが変わっていった試合」として、2次ラウンドの米国戦を挙げる。試合前、目の前にはデレク・ジーター内野手やアレックス・ロドリゲス内野手らが並んでいた。「憧れの目で見ていましたね。みんな『かっけー』と言って」。それを見た野手で唯一のメジャーリーガーだったイチロー外野手が選手を集めた。「円陣を組んで『俺たちの野球の方が上だ、絶対に勝てる』と。それで試合が始まったら、いきなり先頭打者本塁打を打った。格好良くて鳥肌が立ちました。結果的には負けはしましたが、イチローさんのあの言葉と行動で、ベンチも『よっしゃ、いけるぞ』となりました」。

チームに火をつけた米国戦での“世紀の誤審”

 さらに、この試合で起きた“世紀の誤審”もチームに火をつけた。同点の8回1死満塁、岩村明憲内野手が放ったやや浅めの左飛で三塁走者の西岡剛内野手がタッチアップ。送球は逸れ、日本が勝ち越したかに見えた。だが、米国から離塁が早かったと再三のアピールを受けたボブ・デービッドソン審判が判定をアウトに覆し、得点は認められなかった。「(抗議に)向かっていく王さんの姿。WBCというお祭りに来ていたものから、絶対に勝って世界一になるんだと本気になった瞬間だったと思います」と回顧した。

 一丸となって掴んだ頂点。「決勝戦が終わって胴上げの後、紙吹雪が舞っていた。目が覚めたらプロ入り前くらいまで戻されて、全部夢でしたと言われるのでは、というくらい信じられなかったですね。2005年にロッテで優勝してアジアチャンピオンになって、翌年WBCに出てその中心にいる。それまでの自分の経験では考えられないスピードでその立ち位置にいたので、出来すぎじゃないか、うまくいきすぎで怖いなと思いました」。夢見心地になるほど幸せな光景だった。


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第2回大会は投手陣最年長「個人としてはほとんど役に立てなかった」

 2009年の第2回大会は投手陣最年長としてメンバー入りした。若く勢いのある投手も多く「サポート役になるのかな。第1回大会の時に大塚(晶文)さんが細かいことを教えてくれた」と、自身に課せられた役割はわかっていた。実際に米国に行った際、ダルビッシュ有投手が乾燥するメジャー球に苦戦し、どうしたらいいか質問を受けたことも。「ロジンの使い方や、汗をかかないと滑ってしまうという話はしました。後にも先にも、ダルビッシュが慌てた姿を見たのはあの時だけ。ちょっとかわいかったです」と笑った。

 ディフェンディング王者として、対戦チームも、周囲も、日本代表を見る目が変わっていた。そんな中で成し遂げた連覇。「個人としてはほとんど役に立てなかった」と言うものの、「第2回大会は特に世界一になりたいという思いが強かった。合宿に(候補選手を)多めに呼んで削り落とす方式だったので、外れた選手の分までと、ワクワクより責任感を背負って戦っていました。イチローさんが全然打てなくて苦しんでいる時は、負けたら余計責任を感じてしまうだろうから、みんなでカバーしようという思いもありました。そういう思いには敏感だったと思います」と喜びを噛み締めた。

「あの時期にある程度高いパフォーマンスを出せる投手がどこまで揃うか」

 日の丸のユニホームは、渡辺氏にとって特別だった。「何よりもそれ自体が栄誉なこと。野球を日本で続けてきた選手なら誰もが目指したい頂点の1つだと思いますし、その価値は間違いなくある。あとは、当時も野球離れが叫ばれていた時だったので、WBC優勝で野球人口が増えるなど、野球の良さを伝えられた。その1人になれたのがうれしかったですね」と、影響力の大きさも実感していた。

 時は巡り、来年3月には“井端ジャパン”がWBC連覇を目指す。渡辺氏は連覇の難しさを「周りも本人たちも、どうしても前回のドラマを意識してしまう。世界一になるのはただでさえ特別なことで、実力だけではなかなか難しい。運すらも必然にするようなことが必要だと思います」と説明する。

 その高い壁に挑む侍ジャパンへ「井端さんは特別なことよりも、できることをしっかりやる、という野球をすると思います。それをできる人材が日本のプロ野球にはたくさんいる。カギは投手。球数制限があるのでどんなにいい投手も完投できない。あの時期にある程度高いパフォーマンスを出せる投手がどこまで揃うか。大変な思いの中で戦うことになると思いますが、心から楽しんで、やっぱり野球っていいよな、という戦いをしてくれればいいなと思います」と願いを込めた。

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