「想像もしなかった」侍ジャパン入り リーグV&最高勝率…2017年に訪れた薮田和樹の転機
オイシックス新潟アルビレックスBCでプレーする薮田和樹投手は、広島東洋に所属していた2017年、「アジア プロ野球チャンピオンシップ」に出場した。プロ3年目で最高勝率のタイトルを獲得してリーグ制覇に貢献し、さらに初めての野球日本代表「侍ジャパン」選出で初戦先発を任された右腕。「あの年があって、今がある」というほど、“転機”となったシーズンだった。

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2024年からオイシックス新潟でプレー、2017年に侍ジャパンを経験
オイシックス新潟アルビレックスBCでプレーする薮田和樹投手は、広島東洋に所属していた2017年、「アジア プロ野球チャンピオンシップ」に出場した。プロ3年目で最高勝率のタイトルを獲得してリーグ制覇に貢献し、さらに初めての野球日本代表「侍ジャパン」選出で初戦先発を任された右腕。「あの年があって、今がある」というほど、“転機”となったシーズンだった。
2014年ドラフト2位で亜細亜大から入団も、2年間は“即戦力”の期待に応えられないでいた。しかし、2年目のシーズン後半から感覚は良かった。「オフの取り組みも変えて、3年目はずっと調子を維持できていました。春季キャンプの成績はあまり良くなかったけど、緒方(孝市)監督も状態の良さを買ってくれて『数字はあとからついてくる』と、ずっと使ってくださった。自分がこれだ、というものを見つけられたのが大きかったかなと思います」。
中継ぎでシーズンをスタートさせたが、5月末に先発に転向。最後までローテーションを守り、リーグ2位の15勝を挙げて最高勝率(.833)のタイトルを獲得した。チームは2年連続8度目のリーグ制覇。充実の秋に、さらに届いた吉報が侍ジャパン入りだった。亜細亜大時代は公式戦3試合のみの登板だっただけに、アマチュア時代には「想像もしていなかった」という飛躍だった。
「突き抜けた成績が出せた年だったので、自分自身もイケイケというか、その年は球宴も選んでいただいていたので『ここからどんどんスター選手に……』というのを思い描いていました。あの年があって、今があるというか、カープでは9年間お世話になったんですけど、あの年がなかったら5年くらいで終わっていたんじゃないかなと思うので」
初戦・韓国戦で先発マウンドを託されるも…「まんまと打たれましたね」
「アジア プロ野球チャンピオンシップ」の出場資格は、24歳以下または入団3年目以内の選手と、その他オーバーエイジ枠として3人。稲葉篤紀監督が率いた初陣は、若く活気あふれたメンバーが揃っていた。初めて顔を合わせた宮崎合宿では「年上が数人だけでしたし、みんなすごく元気があるなと感じました」と驚かされた。
そんな中で初戦となる韓国戦の先発を託された。みやざきフェニックス・リーグで韓国球団を相手に投げたことはあったが、大舞台で1軍レベルの海外チームと対峙するのは初めて。「楽しさと緊張がありました」とマウンドに上った。3回までは無失点も、先制点をもらった直後の4回、先頭の4番・金河成内野手(現アトランタ・ブレーブス)に同点ソロを浴び、さらに連打で招いた一、三塁のピンチで犠飛を許したところで降板となった。3回1/3、59球を投げ3安打3失点という“ほろ苦”な結果となった。
「元々、韓国の打者は直球に強いと聞いていました。でも、自分もその年やれた自信があったので押してみたら、まんまと打たれましたね(笑)。パッという数字は出したかったですけど、普段なら強度を落としていく時期でもあり、チームから球数も決められていて『怪我だけはするなよ』と送り出してもらっていたので……」
打たれはしたが、降板後にベンチで仲間たちを見ていると、不思議と勝利を予感したという。その通り、1点を追う9回に追いつき、試合は延長戦へ。10回に3点を失ったが、その裏に4点を奪ってサヨナラ勝ちという劇的な決着となった。「負ける気はしなかったんです。ベンチの雰囲気も明るくて、みんな若いので、普段のシーズンより楽しかったです」と独特の空気を存分に味わった。
33歳となり実感する貴重な経験「本当に出られて良かったと思います」
当時は選出された喜びはあったものの、「日本代表」であることをあまり深くは考えていなかったのだという。しかし、33歳となり環境も変わった今、あのときの経験の大切さを実感している。
「今振り返ってみると、ああいう経験は何人もできるものではない。普段交流しない選手と交流できたし、繋がりが広がったという部分では本当に貴重でした。野球という狭いカテゴリーの中ですけど、広げることができたと思います」
チームメートだった今永昇太投手(現シカゴ・カブス)とは、今もオフシーズンの自主トレ施設が同じという縁があり、顔を合わせれば野球談義に花を咲かる。「ああいったすごい選手と繋がれているのも財産だと思います。本当に出られて良かったです」と目尻を下げた。
2023年限りで広島東洋を戦力外となり、オイシックス新潟で2シーズンを過ごした。11年間のプロ生活の中でも忘れられない2017年。日の丸を背負って務めた大役は成績以上のものをもたらし、その記憶は今も光り輝いている。
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