日通野球部出身、埼玉西武ライオンズ辻新監督が日通本社を訪問

2017.2.2

1月26日、埼玉西武ライオンズの監督に就任した辻発彦氏が、日通本社を訪問。川合会長、渡邉社長に、監督就任の報告を行った。

 1月26日、埼玉西武ライオンズの監督に就任した辻発彦氏が、日通本社を訪問。川合会長、渡邉社長に、監督就任の報告を行った。

 辻監督は佐賀県出身。1976年、佐賀東高校から日通に入社。7年間日通野球部に所属し、四番打者として活躍。都市対抗野球大会にも出場した。1983年、西武ライオンズに入団後には、ゴールデングラブ賞を二塁手として歴代最多となる8度も受賞するなど、名守備、名走塁で野球ファンを魅了した。現役引退後は、ヤクルトスワローズ、横浜ベイスターズ、中日ドラゴンズおよびWBC日本代表のコーチや二軍監督を務めた。(※「辻」は、1点しんにょう)

●辻監督のコメント

 廃部になる野球チームもある中、日本通運は昔からスポーツに協力的で、大変ありがたいと思っています。また、日通がWBCのグローバルスポンサーになったことにも感激しました。

 入社当時、佐賀から出てきた私は、入社させていただいたからには、3年間は死ぬ気でやろうと思っていました。反面、周囲はすごい先輩ばかりで、さみしかった思い出もあります。奮起のきっかけは2年目になり、ルーキーが9人入社し、「今年だめならクビだ」と発破をかけられたことです。火が着きましたね。週末、自宅に帰る人がいる中、こちらは田舎が遠いから帰れない。その分練習に打ち込みました。入社当時、62、3㎏しかなかった体重も10㎏以上増やし、身体もできてきて、試合に出られるようになりました。

 日通野球部時代、最も印象に残っているのは都市対抗の予選です。都市対抗への出場は、社会人野球選手にとって予算達成みたいなもの。好きな野球をさせていただいているのに、都市対抗に出られなかったというわけにはいかない。一つ負ければ終わりだから、代表に決まるまでのプレッシャーは大変なものでした。今考えると、これまでの野球人生の中で一番ヒリヒリした試合だった。代表になったときは本当にうれしかったです。

 私の野球の原点は「日通魂」。日通野球部で養われたアマチュア精神にあります。

 当時の部室に「選手である前に社員であれ」「己を捨ててチームのために尽くせ」という教訓が掲示されていました。私自身も、「好きな野球をやらせてもらっている」という思いが強く、出社したときには倉庫の掃除をしたり伝票整理をしたり、できることは何でもやりました。選手だから何もしないではだめ。選手である前に日通の社員であり、野球をやらせてもらっているんだという気持ちは忘れませんでした。だからこそ、勝たなければいけないし、都市対抗に出なくてはいけないという気持ちにつながった。また、チームの中での自分の役割について、よく考えなければならない。そして、チームで勝ち、勝ったときには皆で喜ぶ。それこそ日通野球部で教わったアマチュア精神です。

 本当にいろいろなことを日通に教わったと思っています。

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