アマでもプロでも「ずっと必死」 元日本代表・オリックス安達の飽くなき探究心

2022.7.25

「昔も今も自信なんか全くないんですよ。だからこそ、今も野球選手としてやれていると思っています」。オリックスの安達了一内野手は苦笑いを浮かべながら、過去の自分を振り返る。東芝時代の2011年に「第39回 IBAFワールドカップ」で日本代表入りを果たしたが、当時も今も、誇れるものは何一つないという。そんな不安を拭い去るため努力を続けたからこそ、プロへの扉が開いた。

写真提供=Full-Count

写真提供=Full-Count

東芝時代の2011年に日本代表として「第39回 IBAFワールドカップ」に出場

「昔も今も自信なんか全くないんですよ。だからこそ、今も野球選手としてやれていると思っています」

 オリックスの安達了一内野手は苦笑いを浮かべながら、過去の自分を振り返る。東芝時代の2011年に「第39回 IBAFワールドカップ」で日本代表入りを果たしたが、当時も今も、誇れるものは何一つないという。そんな不安を拭い去るため努力を続けたからこそ、プロへの扉が開いた。

 甲子園とは無縁だった高校時代。群馬県立榛名高では1年から試合に出場し、3年では主将を務め「3番・遊撃」として活躍したが、最後の夏は県予選準々決勝で敗退。不完全燃焼のまま卒業を迎えようとしていると、監督から「全国を目指すか、楽しく野球するか」と選択を迫られ、地元・上武大学に進学を決めた。

「当時は上武大の立ち位置がよく分かっていなくて。全国から選手が来ていることは知っていましたが、実際に入部すると『こんなにレベルが高いのか……』と面喰らいました。全てのレベルにおいて(実力が)足りないと感じたので必死でしたね」

甲子園とは無縁も上武大へ、4年時の春季リーグ戦では打撃3部門のタイトル獲得

 戸惑いを感じはしたが、高校時代とは違い、野球に集中できる環境が整っていた。レベルの高さから退部する選手もいたが、安達選手は1人で壁当てやティー打撃など個別練習を欠かさず続けたことで、2年からベンチ入り。3年になると遊撃のレギュラーに定着し、関甲新学生野球連盟の秋季リーグ戦でMVPとベストナインを受賞するまでに成長した。

 そして、4年時にも春季リーグ戦で首位打者、最多本塁打、最多打点と打撃3部門のタイトルを獲得。圧倒的な成績を残したことで、同年夏には大学日本代表候補強化合宿に招集された。だが、ここで現実を見ることになる。

「周りの選手を見ると『自分がここにいていいの?』という感じでした。人数合わせで呼ばれているだけじゃないかと(笑)。これは選ばれないだろうなと思っていました」

 投手では斎藤佑樹(元北海道日本ハム)、大石達也(元埼玉西武)、澤村拓一(ボストン・レッドソックス)、菅野智之(読売)、同じ内野手では、後にオリックスでチームメートになる小島脩平、荒木貴裕(東京ヤクルト)らがグラウンドで輝いて見えた。結果的に日の丸を背負うことはなく、同年秋にはプロ志望届を提出したが、新人選手選択会議(ドラフト)で名前を呼ばれることはなかった。

社会人・東芝で実力が開花、日本代表として日の丸を背負う

 誰もが認める実力をつけたのは、2010年に社会人野球の強豪・東芝に入社してからだ。1年目から「1番・遊撃」で都市対抗野球大会に出場して優勝すると、個人としても打率.391をマークして新人賞にあたる若獅子賞を獲得。翌年には社会人中心の日本代表に選出され、パナマで開催された「第39回 IBAFワールドカップ」に出場した。全7試合でプレーしたが、チームは2勝5敗で予選リーグ第1ラウンドで敗退。自身も16打数4安打の打率.250と目立った成績を残すことはできなかった。

「日本代表は素直に嬉しかったですよ。ですが、自分は日本を背負ってプレーする選手なんかじゃない。本当に自信がなかったので、逆にプレッシャーも感じることはなかった。試合も完全に力負けでした。思い出に残っているのは、地元の警察が球場まで護衛してくれたこと。ナイター照明が暗くて、グラウンドもデコボコ。日本の環境とは全然違いました」

現状に満足はなし「アマチュア時代、プロに入ってからもずっと必死」

 その後、2012年にドラフト1位でオリックスに入団し、2年目から正遊撃手として活躍。2016年には国が難病に指定する「潰瘍性大腸炎」を発症し、現在も病気と向き合いながらプレーを続ける日々を送っている。3年ぶりに1軍で100試合出場を果たした昨季は、チームの25年ぶりとなるリーグ優勝に貢献し、歓喜の瞬間を味わった。

「プロ野球選手はガツガツして、自信に満ち溢れた人が多いかもしれない。でも、自分はそれとは真逆。アマチュア時代、プロに入ってからもずっと必死。これがいいのか悪いかは分かりませんが、今の自分があるのはこういう性格だからかもしれません」

 自分自身に足りないものは何か――。現状に満足することは一切ない、その飽くなき探究心が原動力になっている。34歳となりベテランの域に差し掛かった今もなお、さらなる成長を追い求めていく。

記事提供=Full-Count
写真提供=Full-Count

NEWS新着記事