“最強U-18代表”主将が痛感した国際大会の厳しさ 米国が見せた勝利への執念

2022.4.25

2012年に大阪桐蔭高の主将として甲子園で春夏連覇を達成し、その後も亜細亜大学、東邦ガスとアマチュア野球のエリート街道を歩んだ水本弦氏。昨年の都市対抗野球大会を限りに現役を引退し、現在は社業に専念している。小学生から歩んだ野球人生を振り返ると、高校3年の2012年に韓国で行われた「第25回AAA世界野球選手権大会」での経験が野球観を変えたという。

写真提供=Getty Images

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大谷、藤浪らを擁した“最強JAPAN”で主将を務めた水本弦氏

 2012年に大阪桐蔭高の主将として甲子園で春夏連覇を達成し、その後も亜細亜大学、東邦ガスとアマチュア野球のエリート街道を歩んだ水本弦氏。昨年の都市対抗野球大会を限りに現役を引退し、現在は社業に専念している。小学生から歩んだ野球人生を振り返ると、高校3年の2012年に韓国で行われた「第25回AAA世界野球選手権大会」での経験が野球観を変えたという。

 水本氏は藤浪晋太郎投手(阪神)、大谷翔平投手(ロサンゼルス・エンゼルス)、森友哉捕手(埼玉西武)ら、のちにプロ野球やメジャーリーグで活躍するスター軍団を束ねる主将として日の丸を背負った。悲願の優勝を目指して各国の強豪と戦ったが、結果はまさかの6位に終わり涙を呑んだ。

 球場、審判、生活面など何もかもが揃っている日本を離れ、完全アウェーの地で行われた国際大会の厳しさを痛感。たとえ球審の判定や、海外選手に多いボーク気味の牽制球などに不満があったとしても「絶対に表情に出すな」と釘を刺されていた。

「いかにその環境に早く慣れるかが大事。夜中まで試合をして、次の日の朝にもう1試合。食事面、宿泊施設なども日本がどれだけ恵まれているかが分かりましたね」

米国の三塁走者がホームへ激走「スマートな野球じゃ戦えない」

 グラウンド上でも日本では見たことがない、驚くような光景を目にした。当時はまだ危険なクロスプレーを防ぐ「コリジョンルール」がない時代。第2ラウンドの米国戦では、相手の三塁走者が完全にアウトのタイミングながら肘を突き出して体ごと本塁ベース上の森捕手をタックルしたことが論議を呼んだ。突き飛ばされた森捕手は脳震とうの疑いで病院へ向かったが、幸い怪我もなく最終戦までプレーし続けることができた。

 日本ではあり得ないことだったが、当時のメジャーリーグではよく見掛ける光景だった。メジャー予備軍たちのパワー溢れるプレーを目の当たりにし、「勝つための執念を見せつけられたような気がしました。今では(危険なクロスプレーは)絶対にないことですが、スマートな野球じゃ世界で戦えない」と実感。日の丸を背負い、国を代表して戦うことの重大さに気付いたという。

 この大会で日本は第1ラウンドを2位で通過。だが、第2ラウンドでは1勝1敗で迎えた第3戦の米国戦に5-10で敗れ、5-6位決定戦に回った。結局、最後は韓国にも敗れて6位。藤浪投手、大谷投手のダブルエースを擁し、“最強JAPAN”の呼び声も高かったが、チームは実力を発揮しきれないまま終わってしまった。

実感したホームとアウェーの差「野球に集中できる度合いは全然違う」

 水本氏は亜細亜大学に進学した2013年、「第39回日米大学野球選手権大会」に1年生として唯一選出され、再びJAPANのユニホームに袖を通した。開催国でもあった日本は3勝2敗で2大会ぶりの優勝を果たしたが、水本氏は「野球に集中できる度合いは全然違う」と振り返るほど、改めてホームとアウェーで生まれる差を感じだという。

 社会人野球の東邦ガスでは5年間プレーしたが、右膝前十字靭帯断裂の大怪我もあり、昨年限りでユニホームを脱いだ。27歳の若さで選手としては一線を退いたが、濃密な時間に溢れたキャリアだった。

「JAPANのユニホームを着てプレーできたこと、高校、大学、社会人まで野球を続けられたことは感謝しかありません。今後は陰ながら野球界を見守っていきたいと思います」

 第2の人生は始まったばかり。大舞台で培った経験を生かしながら、一歩一歩前に進んでいく。

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