「あの経験のおかげで…」 “世紀の落球”G.G.佐藤氏が語る逆転の発想のススメ

2021.6.14

2013年に「侍ジャパン」として全世代が常設化される以前から、様々な国際大会で好成績を挙げてきた野球日本代表。日本野球界の頂点とも言える代表に選ばれることは、野球選手にとって最高の栄誉だ。だが、人生最高の舞台が一転、人生最悪の瞬間になることがある。

写真提供=Getty Images

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2008年に憧れの日本代表入りも、大舞台の北京でまさかの3失策

 2013年に「侍ジャパン」として全世代が常設化される以前から、様々な国際大会で好成績を挙げてきた野球日本代表。日本野球界の頂点とも言える代表に選ばれることは、野球選手にとって最高の栄誉だ。だが、人生最高の舞台が一転、人生最悪の瞬間になることがある。

 かつて埼玉西武などで外野手として活躍したG.G.佐藤(本名・佐藤隆彦)氏は、2008年に北京で2つの落球を含む3失策を犯し、罪悪感に押しつぶされそうになった過去を持つ。しかし、波乱万丈の現役生活を乗り越えた今、「あの経験のお陰で、人の痛みが分かる人間になれた」と言い切る。

 北京で左翼を守った佐藤氏は、準決勝・韓国戦の4回にレフト前へ弾き返された打球をトンネルし、8回には左中間のフライを落球。翌日の3位決定戦・米国戦でも、遊撃後方のフライを深追いして落球した。星野仙一監督の下、「金メダル以外はいらない」と宣言していた日本代表は、まさかのメダルなし。佐藤氏は日本への帰途、前年シーズンオフに結婚したばかりの妻にメールで「死にたい」と綴った。

 それでも、本拠地・西武ドーム(現メットライフドーム)で行われた帰国後最初の試合で、「G.G.佐藤は、どんな時も俺たちのG.G.佐藤だ」と書かれたプラカードを掲げるファンの姿に奮起。その年は怪我に泣かされたが、翌2009年には打率.291、自己最多タイ25本塁打、83打点の活躍で応えた。

北京を経て「失敗した人の気持ち、できない人の気持ちが分かるようになった」

 2011年を限りに埼玉西武を退団後も、イタリアンベースボールリーグのボローニャ、富山県内のクラブチームを渡り歩き、2013年には千葉ロッテでNPB復帰。2年間在籍し、体力の続く限りプレーした。

 引退後は父親が社長を務める「株式会社トラバース」に入社。測量、調査、地盤改良工事などを行う会社で、今月4月には副社長に就任した。人を束ねる立場となり、北京での痛恨の経験が生きていると感じることがある。

「僕はあの経験のお陰で、失敗した人の気持ち、できない人の気持ちが分かるようになったと思っています」

 会社の部下にも失敗する人間、仕事に時間がかかる人間はいるが、「まずは失敗を恐れずにやらせたい。失敗した場合は、なぜ失敗したのか、どうすればうまくいくのか、をしっかり話し合う。その繰り返しでいいと思う」と語る。また、「当時、あのエラーをするまでの僕は、前年に初めてレギュラーを獲って活躍できるようになり、天狗になっていました。あのままうまくいって金メダルを獲っていたら、今頃手の付けられない人間になっていたかもしれない」とも笑顔で続けた。

恩師・野村克也氏からの言葉「エラーはしたが、名を残したお前の勝ちだ」

 佐藤氏に最も影響を与えた恩師は、ヤクルト(現・東京ヤクルト)、阪神、東北楽天などで名将として鳴らした故・野村克也氏だ。中学時代、野村氏の妻・沙知代さんがオーナーを務める「港東ムース」に所属していたため、野村氏からたびたび指導を受けた。昨年2月、佐藤氏は野村氏が亡くなる10日前に、テレビ番組の収録で久しぶりに顔を合わせている。その時、まるで遺言のように伝えられた言葉がある。

「あの北京のメンバーで、いまだに名前を覚えられているのは星野とお前だけだ。エラーはしたが、名を残したお前の勝ちだ。その経験を生かして、これから生きていきなさい」

 実際、佐藤氏は今年に入ってから自身のYouTubeチャンネル、公式ツイッターを相次いで開設。そこでは北京で犯した“世紀の落球”を話のネタにして、積極果敢に発信している。

 例えばYouTubeでは、東京ヤクルト、埼玉西武などで捕手として活躍した米野智人氏とコラボ。米野氏はヤクルト時代の2002年10月10日、当時巨人の松井秀喜氏が打ち上げたファウルフライを落球。その直後、松井氏にとってNPB公式戦最後の1発となるシーズン50号を許した。松井氏の50本塁打到達は、これが最初で最後。佐藤氏とは“世紀の落球”つながりというわけだ。

若者たちに勧めたい失敗を恐れない行動「体験談を語れる人間に」

 一方、今年6月から地元の千葉県市川市で小学生向けの「トラバース野球アカデミー」を無料開講。この先は中学生向けのシニアリーグチームも創設する予定だ。さらに、トラバースがスポンサーとなって千葉に球団を作り、2年後を目処に独立リーグ・ルートインBCリーグに参入する構想もある。「揺りかごから墓場まで、野球ができる環境を作りたい」と夢は広がる。

 アカデミーや会社で幅広い年代の人々と接する中で、現代の情報過多な社会状況の影響か、実際に一歩を踏み出す行動ができない若者が多いと感じていると言う。

「やってみなければ、分からないことがある。自分自身を実験台にするつもりで、失敗を恐れず行動してほしい。体験談を語れる人間になってほしいです。僕もあのエラーが今、プラスになっていることがたくさんありますから」

“逆転の発想”を披露する佐藤氏の表情には、苦しみを突き抜けた者だけが持つ爽やかさがあふれている。

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