33年前に痛感した「日の丸の重み」 元西武・潮崎氏が振り返るソウルへの道

2021.4.19

2013年に「侍ジャパン」として全世代常設化される以前から様々な国際大会で好成績を挙げ、観る者に感動を届けてきた野球日本代表。これまで名だたる選手たちが日本代表ユニホームに袖を通してきたが、現在、埼玉西武ライオンズで編成グループディレクターを務める潮崎哲也氏もその1人だ。

写真提供=埼玉西武ライオンズ

写真提供=埼玉西武ライオンズ

1988年に史上最年少19歳で代表入り、ソウル前哨戦では朝までミーティング

 2013年に「侍ジャパン」として全世代常設化される以前から様々な国際大会で好成績を挙げ、観る者に感動を届けてきた野球日本代表。これまで名だたる選手たちが日本代表ユニホームに袖を通してきたが、現在、埼玉西武ライオンズで編成グループディレクターを務める潮崎哲也氏もその1人だ。

 1990年代に西武(現・埼玉西武)の黄金期を支えた右腕は、社会人時代の1988年、史上最年少の19歳で代表入りし、韓国・ソウルでの銀メダル獲得に貢献した。あれから33年が経った今、潮崎氏は日の丸を背負って戦った意義をどう捉え、現在の侍ジャパンをどう見ているのだろうか。

 1988年9月に行われたソウル大会で、見事銀メダルを獲得した日本。しかし、実は開幕の10日ほど前まで、チームには暗雲が垂れ込めていた。ソウル大会の前哨戦として8月下旬から9月上旬まで、イタリアで行われた「第30回IBAFワールドカップ」。日本は予選で12か国中4位、決勝トーナメントでも準決勝でキューバ、3位決定戦でチャイニーズタイペイに敗れ、4位に終わった。

「イタリアでは宿舎から片道2時間以上かけて球場に通っていました。ナイターで敗戦後、宿舎に戻ると、午前2時頃から鈴木義信監督(現・全日本野球協会 顧問)の下でミーティングが始まった。2~3時間経ち、気がつくと夜が明けていたことがあります」と、潮崎氏は振り返る。

痛感した日の丸の重み「このチームは勝たなきゃいけないのだ」

 選手個々に実力はあっても、当時はいかんせん急造チーム。イタリアではまだ、日本の持ち味であるチームプレーが機能していなかった。「ミーティングの中身は覚えていませんが、このチームは勝たなきゃいけないのだ、と痛感したことだけは覚えています」と言う。危機感を共有し、ソウルへ向けてチームを練り上げていった。

「我々の時代は日の丸の存在が非常に大きかった。全員がアマチュア選手だったこともあって、怪我をしても、この試合で体がぶっ壊れても、日の丸のために頑張るんだ、という感覚でした」と潮崎氏。当時の日本代表メンバー20人中13人が後にプロへ進んだが、「代表として戦っている間はみんな、プロなんて頭の中に微塵もなかった」と断言する。

 事実、チーム最年少の19歳だった潮崎氏は、ソウルで先発とリリーフを兼ね5試合中4試合に登板。獅子奮迅の働きを見せた。「若くて体も元気だったので、キツイとは全然思いませんでした。試合に出してもらえてありがたかった」と語る一方、「今の時代のようにプロの立場で参加していたら、所属球団から叱られるかもしれませんね」と苦笑する。

 その後、1989年ドラフト1位で西武に入団。「魔球」と呼ばれた得意のシンカーを武器に、15年間で82勝55敗55セーブをマークした。現役引退後も西武で2軍監督、1軍コーチなどを歴任。2019年から現職に就き、編成部門でチーム作りを担っている。アマチュア球界との関わりが深い仕事で、日本代表時代に培った人脈も生きている。「そこは非常にありがたい。当時のメンバーには仲間意識がありますよ。“戦友”ですから」と穏やかな笑顔を浮かべる。

全世代で常設化された侍ジャパン「その後の野球人生に生きてくる」

 野球日本代表はいまや「侍ジャパン」として常設化され、トップチームをはじめ、社会人、U-23、大学、U-18、U-15、U-12、女子の各カテゴリーからなり、全て同じユニホームを着て戦う。潮崎氏は「同世代の中で自分が選ばれたという事実は自信になり、間違いなくその後の野球人生に生きてくると思います」と、若い世代から侍ジャパンに名を連ねる意義を認める。

 今、稲葉篤紀監督率いる侍ジャパンのトップチームに期待することを聞くと、「何より結果を出してもらいたいですね。日本の野球が世界的にも十分通用し、強いということを証明してほしい」。そして「今は自分の体が第一で、バランス感覚が大事な時代だと感じますが、僕としては『自分の体はどうなっても……』という、昔ながらのアマチュアイズムも見たい気がします。日本代表とは選ばれし者の集まりですから、誇りを持って日本のために頑張ってもらいたい」と付け加えた。

 かつての野球日本代表から侍ジャパンへ、脈々と受け継がれてきたスピリットがある。国を背負った戦いの中で、それを発見できるシーンがきっとあるだろう。

記事提供=Full-Count
写真提供=埼玉西武ライオンズ

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