同世代ライバルから大きな刺激 元U-18代表ベストナイン遊撃手が歩むプロへの道

2021.1.18

2016年に台湾で開催された「第11回 BFA U18アジア選手権」。優勝した侍ジャパンU-18代表は、守りからリズムを作るチームだった。その鉄壁な内野陣の中心にいたのが、遊撃手・佐藤勇基内野手(中京大中京高)だった。

写真提供=Full-Count

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中京大中京高時代に侍ジャパンU-18代表でアジア頂点を経験した法政大・佐藤勇基

 2016年に台湾で開催された「第11回 BFA U18アジア選手権」。優勝した侍ジャパンU-18代表は、守りからリズムを作るチームだった。その鉄壁な内野陣の中心にいたのが、遊撃手・佐藤勇基内野手(中京大中京高)だった。

 1992年ドラフト1位で中日に入団した佐藤秀樹氏を父に持つ男は、華麗な守備でチームを盛り立てた。その後、法政大学で4年間プレーし、今春からは社会人のトヨタ自動車へ入社。再び侍ジャパンのユニホームを着ることを夢見て、今も白球を追いかけている。

 当時のU-18代表は、今井達也投手(埼玉西武)や堀瑞輝投手(北海道日本ハム)、藤嶋健人投手(中日)、寺島成輝投手(東京ヤクルト)、藤平尚真投手(東北楽天)らを擁する強力な投手陣を誇り、無傷の6連勝で頂点に立った。投手陣が与えた点は、大会を通じてわずか1点。6戦中5戦を完封した背景には、投手陣はさることながら、鉄壁とも言える内野陣の存在が大きくあった。

 遊撃手として5試合にスタメン出場した佐藤選手は、大会ベストナインを獲得。小枝守監督からも絶大の信頼を得ていた。

 代表メンバーのほとんどは、その年の夏の甲子園に出場した顔ぶれだった。他にも遊撃を守れる選手がいたが、首脳陣はハンドリングの巧さ、肩の強さなどから、3年夏には甲子園出場を逃していた佐藤選手を抜擢。これが見事に当たった。

「選ばれた時は『僕でいいのかな』と思いました。自分自身、日本代表というのは初めての経験だったので、世代の代表という自覚を持って臨みました。野球だけではなく、普段の生活からしっかりやらないといけないと感じていました」

世代屈指の守備力も、U-18代表で感じたチームメートのレベルの高さ

 代表に選ばれた後は一層、背筋を伸ばし襟を正して生活をしていたという。そんな人間性も見抜いた小枝監督の起用だった。指揮官は、世代の代表たる選手が「野球だけやっていればいい」という考えを持つことを嫌った。佐藤選手のきちんとした性格は、プレーの随所に表れていた。

 U-18代表で掴んだ優勝で大きな自信を手に入れたが、高校2年生から大学進学を考えていたため、高校卒業後は東京六大学野球の名門・法政大学に進んだ。同級生が次々と高校からプロ入りする中、世代屈指の守備力と評された佐藤選手は、さらに自身の技術を上げないと到底プロでは通用しない、と感じていたという。

「(埼玉西武の)鈴木将平選手の打撃を見て、レベルの高さを感じました。芯に当てるのが上手いし、長打もある。走塁も一塁を蹴ってから二塁へ向かうスピードがすごく速かったです。こういう選手がプロに行くんだろうな、と見ていました」

東京六大学野球では侍ジャパンU-18代表の仲間たちとハイレベルな対戦

 国際大会でベストナインに輝いた経歴から、大学で寄せられる期待は大きかった。期待は時にプレッシャーとなり、1年生の時はオープン戦などで失策を重ねる日が続いた。

「1年生の時は大変でした。試合でエラーをすると『(守備が上手かったのは)あの日本代表の時だけか?』みたいな冷たい目で周りから見られているんじゃないか、と感じた時期もありました。でも、その見えない重圧を跳ね返せないと、上(プロ)ではプレーできないと思ってやっていました」

 大学では原点回帰を心掛け、投手が打たせたボールを確実にアウトにする、というシンプルな思考で守備を磨いた。そのおかげか、高校時代よりもゆったりとした“間”が生まれ、慌てずに打球をさばくことができたという。結果、大学4年間を通じてリーグ戦ではほとんど失策はなかった。

 東京六大学野球では、早稲田大学・早川隆久投手(東北楽天)、明治大学・入江大生投手(横浜DeNA)と、U-18代表のチームメートがライバル校のエースとして君臨していた。特に、入江投手とは台湾で同部屋だった間柄。対戦には自然と力が入った。

「2人とは食事に行くような関係性ではなかったですが、塁上とかで『最近どう?』と話をすることはありました。自分は3年生からリーグ戦に出始めましたが、彼らは下級生の時から出ていたので、遠く離れた存在に感じていました。でも、負けてはいられないな、とも思っていましたね」

 4年生となった昨年は、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、春季リーグ戦の開催は8月にずれ込んだ。だが、法政大学は見事、3季ぶりの優勝。佐藤選手にとっては、U-18代表でともに戦った仲間、そしてライバルの存在が、何よりも刺激になったようだ。

社会人の名門・トヨタ自動車から目指す社会人代表入りとプロの道

 今春には社会人野球の名門・トヨタ自動車の門を叩く。大学では代表チームに縁がなかったが、社会人では再び侍ジャパンのユニホームに袖を通すことを夢見る。

「代表でしかできない経験があります。あの時のことはずっと忘れずに、大学生活を過ごしてきました。まずはチームのために戦い、社会人でも代表に選ばれるような選手になりたいと思います。今のままでは無理ですが、評価を上げてプロも目指していきたいです」

 侍ジャパンのプライドを持って一緒に戦った仲間が、5年前、そして昨年のドラフト会議で脚光を浴びた。あの縦縞のユニホームは自分自身に刺激をもたらしてくれる。同世代の仲間とまた一緒に同じグラウンドで輝く日を信じて、これからも佐藤選手は白球を追いかけていく。

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