「後悔したこともあった」川崎宗則、WBC初代王者たぐり寄せた“神の右手”の教訓

2020.10.12

ほんの一瞬の出来事でも、はっきりと脳裏に焼き付いている。それほど鮮烈だった。2006年に初めて開催された「ワールド・ベースボール・クラシック™(WBC)」。決勝のキューバ戦で川崎宗則内野手は、世界一を大きく手繰り寄せる生還を果たした。熱狂した世間は、それを「神の右手」と呼んだ。あれから14年。「あの大会で全ての野球観が変わった」という39歳は今、独立リーグの舞台で白球を追っている。

写真提供=Full-Count

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2006年WBC決勝、本塁生還も右肘負傷…歓喜の瞬間も「痛くてそれどころじゃ」

 ほんの一瞬の出来事でも、はっきりと脳裏に焼き付いている。それほど鮮烈だった。2006年に初めて開催された「ワールド・ベースボール・クラシック™(WBC)」。決勝のキューバ戦で川崎宗則内野手は、世界一を大きく手繰り寄せる生還を果たした。熱狂した世間は、それを「神の右手」と呼んだ。あれから14年。「あの大会で全ての野球観が変わった」という39歳は今、独立リーグの舞台で白球を追っている。

 異国の地で戦う日本代表の姿に、誰もが息を呑んだ。決勝の瞬間最高視聴率は56.0%。1次、2次リーグで苦杯をなめた韓国に準決勝で雪辱を果たし、キューバと初代王者を争った。川崎選手は「1番・遊撃」でスタメン出場。試合は初回に4点を先制して終始リードする展開も、気づけば8回に1点差まで迫られていた。

 迎えた9回。相手の失策も絡んで1死一、二塁の好機を迎えた。打席には3番・イチロー外野手。鋭い打球が右前に転がると、二塁走者の川崎選手は速度を上げて三塁を回った。右翼手からの送球は良く、本塁ベース上には捕手が立ち塞がっていた。生還できるか際どいタイミング。脳内で瞬時にあらゆるケースを想定し、一つの答えを導き出していた。

「捕手にタックルするか、スライディングするか、いろんな方法があった中で、あの時はとっさに手でいこうと選びました。左手でタッチにいこうと思ったんですけど、僕が思っている(ベースの)場所を塞がれていたんで、右手でいきました」

第1回WBCを戦った1か月あまりはカルチャーショックの連続「衝撃的でした」

 左手では、捕手の左足が邪魔になってベースに届かないため、捕手の膝下に差し込むようにして右手を潜りこませた。2点差となって盛り上がる日本ベンチ。この回さらに3点を追加し、結果的に10-6で悲願を達成した。マウンド上にできた歓喜の輪に、川崎選手は控えめに加わった。「痛くてね、それどころじゃなかった。テーピングをグルグル巻きにして」。本塁クロスプレーの瞬間、捕手との接触で右肘を負傷。生還直後も痛みで座り込み、9回の守備から交代していた。

「トレーナーに怒られましたね。2度としないでくれと。一歩間違えたら選手生命が終わっていたかもしれない。右手でいったことに、いろんな見方があると思う。後悔した時もあります。でも、あの時だからしょうがない。1点を獲りに行った結果。あれはあれで良かったと思っています」

 川崎選手はこうも言う。

「子どもには絶対にやらせちゃいけない。足でいきなさいと言います。まあ、僕はまたやるでしょうけど(笑)」

 球史に語り継がれるプレーを、単なる美談で終わらせない。それも、WBCで得た教訓。当時24歳で極限の戦いに身を置いた経験は、自らの野球人生も大きく動かした。

「衝撃的でした」

 1か月あまりの大会期間は、カルチャーショックの連続だったという。超一流のメジャーリーガーと同じグラウンドに立っている現実。「僕が今まで思っていたこととは違うアプローチでアウトを取ったり、ヒットを打ったりしているなという感覚。もっと違う自分、新しい自分もいるんだな、ということを見つけました」。築いてきた“常識”を覆され、意識が一変した。

39歳を迎えても現役を貫く姿勢「限りは決めない」

 その後、イチロー選手とも自主トレを共にするようになり、MLBへの興味は強くなった。2008年にも日本代表を経て、2009年の第2回WBCで再び“世界”を目の当たりにすると、「2006年の時より、より具体的に、より現実的に考えられるようになっていたかな」。その肌感覚に突き動かされ、2011年オフに海外フリーエージェント権を行使して福岡ソフトバンクからメジャーに挑戦し、2017年3月まで異国に身を置いた。

 海を渡ることは、単に高いレベルで野球をするという価値だけではない。「国境越えると、感性が変わりやすい」。違う文化に触れ、違う言語を話し、新たな人に出会う。2019年には、台湾プロ野球の味全ドラゴンズでコーチ兼任としてプレーした。今季は新型コロナウイルス感染拡大の影響で渡航できず、実戦機会を求めてルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスに9月から加入。39歳を迎えても「限りは決めない」と現役を貫く。

 日本、米国、台湾……。「国が変わっても同じ野球をやれる。それがうれしくてしょうがない」。新たな環境に身を置くたびに視野は広がり、刺激を受けて心は豊かになる。それに気づかせてくれたのも、あの14年前の激闘の日々だった。噛み締めるように、川崎選手はこう言った。

「僕の中で一生、大事に輝き続けている、誇りだと思える大会です」

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