「もっと聞いておけば…」元読売内野手がジュニア世代に伝えるU-21代表で得た学び

2020.7.6

2014年11月、21歳以下の選手が参加する「第1回 IBAF 21Uワールドカップ」が台湾・台中で開催され、野球日本代表「侍ジャパン」U-21代表は決勝でチャイニーズ・タイペイに敗れて2位となった。読売の野手代表として出場した辻東倫氏は、決勝に鈴木誠也外野手(広島東洋)、近藤健介外野手(北海道日本ハム)らとともに先発出場。この試合を含む7試合に出場し、打率.308、3打点と活躍した。

写真提供=Full-Count

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元読売の辻東倫氏、現在はジャイアンツアカデミーのコーチとして活躍中

 2014年11月、21歳以下の選手が参加する「第1回 IBAF 21Uワールドカップ」が台湾・台中で開催され、野球日本代表「侍ジャパン」U-21代表は決勝でチャイニーズ・タイペイに敗れて2位となった。読売の野手代表として出場した辻東倫氏は、決勝に鈴木誠也外野手(広島東洋)、近藤健介外野手(北海道日本ハム)らとともに先発出場。この試合を含む7試合に出場し、打率.308、3打点と活躍した。

 読売でも強打の内野手として期待された辻氏だったが、2018年を最後に24歳の若さで現役引退。現在はジャイアンツアカデミーのコーチとしてジュニア世代の育成に携わっている。指導者になって2年目。今だから分かる同世代の選手の凄さがあるという辻氏が、侍ジャパンの未来を担う選手たちに助言を送った。

 国際大会や日本代表に無縁だった辻氏がU-21代表に招集されたのはプロ2年目、2014年秋のことだった。三重・菰野高校では通算36本塁打を放ったスラッガー。それまで1軍での出場経験はなかったが、球団から将来の主軸候補として期待され、経験を積むために台湾へ送り出された。

「高校の時は、大谷(翔平)投手や藤浪(晋太郎)投手らが同世代で、U-18代表として世界と戦う姿を『すごいなぁ……』と思いながら見ていました。自分がU-21代表に選ばれた時は『活躍して、来季は1軍で通用するレベルになろう』と思いました」

 初戦のオーストラリア戦はベンチスタートだったが、途中出場で2打数1安打1打点。次のベネズエラ戦でも代打でタイムリーを放ち、結果を残した。積極的な打撃が功を奏し、1番打者だった牧原大成内野手(福岡ソフトバンク)や3番を打っていた鈴木選手らと並んで、存在感を発揮した。

各球団の主力となったU-21代表メンバー、中でも当時から凄さを感じさせたのは…

 当時ともに戦ったメンバーの中には今、各球団の主力になっている選手も多い。牧原選手や鈴木選手以外にも近藤選手や田口麗斗投手(読売)、当時はアマチュアだった山岡泰輔投手(オリックス)や桜井俊貴投手(読売)ら。中でも、侍ジャパンのトップチームでも主力となった鈴木選手の凄さは、当時からグラウンド外でも感じていたという。

「滞在するホテルにプールがあったので、練習が終わったらみんなで行こう、という話になりました。でも、鈴木誠也選手だけはそこにバットを持ってきて、振ってからプールに入っていました。今となっては、そういうところから自分と意識の差があったんだなと感じますね」

 練習量も人より多くこなしていた印象も残る。スイングスピードは当時から速かったため、相当数のバットスイングを重ねてきたことは容易に想像ができた。

 途中出場で結果を残した辻氏は、大会終盤にはスタメンを獲得。決勝のチャイニーズ・タイペイ戦に「7番・三塁」で先発した。しかし、金メダルをかけた戦いでは3打数無安打2三振と精彩を欠き、チームも0-9で黒星。コンディションを保つ難しさを痛感した。

「若い時はそこまで考えていなかったですね。21歳くらいだと、寝たらすぐに元気になる感じでした。あまり食事のことも考えていませんでした。国際大会は自分が100パーセントのパフォーマンスで挑まないといけない場所。体調のことも考えながら戦っていれば、決勝の結果も変わっていたんじゃないかなと思っています」

 自分の体をどれだけケアできるか――。その後、読売で1軍デビューを果たす頃には、栄養士のアドバイスを受けて日々、体調管理に努めたという。もしもU-21代表時代に戻れるのなら、消化のいいものを取り入れるなど徹底した食事管理をして戦いたい、と話す。

国際大会から得た多くの学びを、未来の侍ジャパンを担う子どもたちに伝授

 2015年に1軍で初出場、その翌年には初安打を記録し、成長の階段を上がり始めたが、思うような結果が残せず。怪我などもあり、2018年を最後に引退の道を選んだ。現在はジャイアンツアカデミーのコーチとして子どもたちに野球の楽しさを伝えながら、野球への恩返しを続けている。

 現役を退いた今でも、他球団で活躍する同世代の選手が気にならないことはない。

「牧原さんだったり、近藤さんだったり、もっと他の選手とコミュニケーションをとって、自分の打撃にプラスになるようなことを聞いておけばよかったかなと思います。他の人の話を吸収することは大事だと思います。プライドはあるかもしれませんが、自分にプラスになるようなことを聞くことはすごく大事だなと思います」

 対象となる世代は違えど、対話の重要性は変わらない。今は子どもたちに自分の経験をしっかり伝えながら、いい“きっかけ”を与えられるような指導を心掛けている。ユニホームを着ている限り、野球人としての誇りは持ち続けていく。

 三重の実家には読売のユニホームと一緒に、U-21代表で着用した背番号「6」の侍ジャパンのユニホームが飾ってある。

「選出された時は、用事もないのにユニホームを着ていた気がします。両親が喜んでくれていましたし、うれしかったですね。もう5年以上経ちますか……。早いですね。実家に帰ったら、当時のことを思い出します。重く感じたユニホームですが、僕の一生の宝物です」

 唯一出場した国際大会で得た多くの学びを今、未来の侍ジャパンを担う子どもたちに伝えている。教え子から一人でも侍戦士が出ることを夢見て、辻氏は子どもたちの待つグラウンドへ向かう。

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