元千葉ロッテ藤田宗一氏が振り返る第1回WBC優勝の軌跡 「あの興奮は今でも覚えている」

2020.4.6

今では野球の世界一決定戦として認知される「ワールド・ベースボール・クラシック™(WBC)」だが、第1回大会が行われた2006年は、まだ誰も真の価値を推し量ることはできなかった。日本代表メンバーとして金メダルを獲得した藤田宗一氏(元千葉ロッテ)もまた、大会前は「第1回でどういう大会かも分からずでした」と明かす。

写真提供=Full-Count

写真提供=Full-Count

当初は渋った代表入りも、今では「自分の野球人生で一番いい経験」

 今では野球の世界一決定戦として認知される「ワールド・ベースボール・クラシック™(WBC)」だが、第1回大会が行われた2006年は、まだ誰も真の価値を推し量ることはできなかった。日本代表メンバーとして金メダルを獲得した藤田宗一氏(元千葉ロッテ)もまた、大会前は「第1回でどういう大会かも分からずでした」と明かす。

「自分は正直、代表入りを一度断ったんですよ。野球人生を通じて日本代表に選ばれるのは初めてでしたが、WBCがどういう大会かも、調整の仕方も分からないのが不安で。でも、当時千葉ロッテの広報で同級生の榎(康弘)に『いい経験になるから行け』と強く勧められて参加することになりました」

 この時、藤田氏は千葉ロッテに入団9年目。前年の2005年にはセットアッパーとして、チームに31年ぶりのリーグ優勝と日本一をもたらした。薮田安彦、小林雅英と“勝利の方程式”を形成し、3人の名字の頭文字から「YFK」と呼ばれる活躍ぶり。173センチと小柄な体格ながら、勢いのあるストレートと鋭いスライダーをコーナーに投げ分ける左腕を、当時の王貞治監督、鹿取義隆投手コーチら日本代表首脳陣は見逃さなかった。

 気が進まないながらも参加を決めた藤田氏に、新たな不安がさらに追い打ちをかける。2005年オフ、鹿取投手コーチから事前に送られてきたメジャー公式球で練習を始めると、2週間ほどで肘に張りを覚えた。「これをどうやって攻略するかを、オフの間はずっと考えていました」。短期間で調整しなければいけない難しさはあったが、代表として招集されると不安は刺激で吹き飛んだ。

「ダルビッシュ(有)だったり大塚晶文さんだったり、いろいろなチームからピッチャーが来ていたので『あ、こういう考え方をするんだ』と勉強になりました。特に、ゴリ(石井弘寿現東京ヤクルト投手コーチ)とは一緒に練習していて、トレーニング方法を教え合ったりしました。それまで自主トレは1人でやっていたし、他球団の選手の話が聞けるのは、野手も含め新鮮でしたね」

イチロー氏の“予告ホームラン”に「あの一発でチームの結束が一気に強まりました」

 東京ドームで行われた第1ラウンドでは、衝撃を受けたという。

「正直、アジアに敵はいないと思っていたんです。それが3戦目で韓国に負けて、そのレベルの高さを実感しました。当時、彼らは成績次第で兵役が免除されるということで、チーム力がとにかくすごかったです」

 日本代表は韓国に次ぐ2位で第2ラウンド進出を決めたが、この頃になっても日本国内は盛り上がりに欠けていた。藤田氏は当時を振り返りながら「アメリカに行く時も、普通の遠征に行くみたいに家族に見送られただけ。移動の服装も私服でした」と笑う。王監督は「優勝」を目標に掲げていたが、実際にはこの段階になっても代表内で優勝への具体的な道のりが見えない人も多かったという。

 それが一転、優勝への思いが急速に高まったのが、第2ラウンド初戦のアメリカ戦だった。当時のアメリカ代表チームにはデレク・ジーター、アレックス・ロドリゲス、ケン・グリフィーJr.ら、メジャーを代表するスター選手が勢揃いしていた。

「試合前のミーティングでイチローが選手全員に向かって『僕はメジャーに勝ちたい。1打席目にホームランを打つから見ていてくれ』と言ったんです。僕は話半分に聞いていましたが、言った通り1打席目に先頭打者ホームラン。『ホンマにやりよった』と思うと同時に『もしかしたら優勝もあるんじゃないか』と思いましたね。実際、あの一発でチームの結束が一気に強まりました」

 大会中には、諦めないことの大切さも痛感したという。第2ラウンド最終戦で韓国に敗れた日本は、翌日の試合でアメリカがメキシコに勝てば決勝トーナメント進出の道が断たれるピンチを迎えた。下馬評はアメリカ有利とみられていたが、メキシコが大健闘して勝利。帰り支度をしていた日本は、準決勝に駒を進めた。

「韓国に負けた後のミーティングで、王監督がボソッと『まだあるから』とおっしゃったんです。でも、みんな日本へ帰るつもりで準備をしていたら、メキシコが勝った。すぐに『あ、これや。監督が言っていたことは、こういうことか』と思いました。何があるか分からない。諦めないということですよね」

チームを鼓舞した王監督の一言 「絶対に優勝するぞと思いました」

 決勝トーナメント進出を決めた後、王監督の呼びかけで急遽ミーティングが招集されたという。「監督が『チャンスだ。これで優勝するぞ』とおっしゃった、あの一言ですよね。絶対に優勝するぞと思いました」。日本は準決勝で韓国に勝利すると、決勝ではキューバを10-6で撃破。見事、初代王者に輝いた。

「あの興奮は今でも覚えています。世界一になって、メダルをもらえるなんて思っていなかったので、本当に名誉に思いました」

 世界一の称号を掲げて凱旋帰国すると、到着した空港ロビーには黒山の人だかり。日本代表が勝ち進むにつれ、国内の盛り上がりは急激に高まり、優勝の吉報に日本全国が沸いた。当初は価値を計れなかったWBCだが、大会が終了する頃にはその価値を急上昇させていた。

 当初は代表入りを渋っていた藤田氏も、今では「自分の野球人生で一番いい経験をしたと思いますね」と満面の笑みを浮かべる。「本当に数多くいる選手の中で、自分が日の丸を背負わせてもらったことは、いい経験でした。最高ですね」。もし今、代表入りを渋っていた自分に声を掛けるとしたら、間違いなく榎氏と同じ参加を後押しする言葉を贈っただろう。そして今、侍ジャパン入りの機会がある現役選手にも、間違いなく参加を勧めるだろう。日本代表としてWBCで戦った経験は、今でも大きな宝物として、藤田氏の心の中で輝き続ける。

記事提供=Full-Count
写真提供=Full-Count

NEWS新着記事